【初めての地への期待を込めて】アイモバ北陸アタック&アイモバ紀勢アタックの旅【2】

こんにちは。北陸の食パンです。

前回のアイモバ遠征記事から1ヶ月近く空いてしまい、楽しみにされてた方にはご迷惑をおかけしましたことお詫び申し上げます。

今回はわいの過去のアイモバ遠征シリーズ第九弾ということで、アイモバ北陸アタック&アイモバ紀勢アタックの旅(2013年8月29日発、8月31日帰着)をしてエリア制覇した記録の続きを書こうと思います。前回記事見てない方はこちらをみてからこの記事を読みましょうw

ではでは、本編いきますよ。

四:未踏の地九頭竜湖を目指せ!(岐阜 高山エリア~福井 大野エリア)

前回記事で、高山エリアまで制覇を完了した。この後は、九頭竜湖を経由して、再び金沢へ戻ることになる。

前回記事の続きということで、前回記事の最後に載せたルート図を再掲することにする。

高山ICから再び中部縦貫自動車道で、飛騨清見ICへ戻り、そこから東海北陸自動車道を南下して白鳥ICへと向かう。

今回の北陸アタックにおいて、キーロードである東海北陸自動車道は、かつて「日本一不要な高速道路」としてマスメディアや国会でバッシングされていたこともあった。この根拠として、岐阜県飛騨地方から富山県南砺市にかけて豪雪地帯を通過することから、雪により通行止めとなって本来の利用目的である時間短縮などのメリットがあまりないと考えられていたとされる。

しかし、全線開通により東海地方と北陸地方を最短で結ぶ大動脈となり、従来の北陸自動車道経由よりも大幅に時間や距離が短縮されたことにより、利便性が向上し、東海と北陸を行き来する車両が大幅に増加した結果、マスコミや国会の揶揄を良い意味で裏切る形となった。

それでも、全線開通したのは2008年と比較的最近のことである。その原因としては、前回記事で軽く触れた飛騨トンネルをはじめとして数々の難工事や度重なる計画変更のあおりを受けたことなどによるものである。

東海北陸自動車道の見どころとしてはやはり、数々の難工事の末に開通した岐阜県北部区間につきる。先ほど紹介した飛騨トンネルをはじめ、高速道路の標高日本一(海抜1085m。松ノ木峠PA付近)の場所を擁するほか、日本一の橋脚の高さを誇る鷲見橋など様々な見どころがあるので、東海北陸自動車道を通られた際はぜひともチェックしてほしい。

わい的に思う日本の三大山岳高速道路は「中央自動車道」、「中国自動車道」、そしてこの「東海北陸自動車道」であると思う。

道路線形については、同じ山岳高速の「中央自動車道」、「中国自動車道」に比べ急カーブや急勾配が少ないため走りやすさとしては「東海北陸自動車道」に軍配が上がっている。これは、時代背景や土木技術が大きく影響しているので、仕方がないことなのであるが。

東海北陸自動車道全通により、交通量は増加したものの、シーズン時は渋滞が頻発したり、対面通行区間で正面衝突事故が絶えないという問題も発生している。そのため、暫定2車線区間を4車線化する工事が現在進行形で行われている。

さて、話を遠征当時の話に戻すことにする。

白鳥ICへ至った後は、国道158号バイパス兼中部縦貫自動車道の一部である油坂峠道路で、岐阜県・福井県境を越え、国道158号現道に合流する。その後、国道158号を九頭竜湖方面に進んでいくが、途中で工事している箇所がいくつかあり、片側交互通行の区間もあったため、少し時間がかかりながらのドライブとなった。

九頭竜湖かかるつり橋があったので、思わず車を止めて、車中から撮影した。この橋は「箱ヶ瀬橋」という橋らしく、あの瀬戸大橋の試作橋として造られたようである。そのことから別名「九頭竜湖の夢のかけ橋」とも呼ばれているようだ。

ちなみに、この橋は車道であり、国道157号線と国道158号線を結ぶ福井県道230号線の橋となっている。この福井県道230号はいわゆる「険道」で、ほとんどの区間で離合不能の1車線幅道路となっているので、「険道マニア」は一度訪れてみてはいかがだろうか? ついでに、酷道157号(酷道418号重複)の温見峠越えとセットでお楽しみくださいw

先を急いでいて余裕がなかったというのもあるが、今思えば、車から降りて撮影するべきだったかなあと思っている。

なお、当時このあたりではセルラーiPadでは圏外となっており、大野エリアの位置情報を取得するのに九頭竜湖駅まで下らないといけなかったのである・・・。

雲行きが怪しい中、「箱ヶ瀬橋」から15分ほど走ると越美北線の終点駅である「九頭竜湖駅」に到着する。時刻は13時過ぎのことである。

金沢から5時間ずっと車に乗りっぱなしかつろくに休憩してないというのもあって、駅前の駐車場に車を止め、少し駅前を散策することにした。前回遠征(クリックすると当該記事に飛びます)の六人部PA~橋本駅ほどではないにしろ、車を降りるとやっぱりふらついたのは言うまでもない。

なお、上の写真は越美北線の終端部分である。

越美北線はもともと越美線の一部(仮に全通していれば福井駅~美濃太田駅を結ぶ路線となっていた)として開業したものの、1972年の九頭竜湖駅までの開通を持って建設が凍結された。当時の土木技術を鑑みれば、建設自体は不可能ではなかったが、建設しても需要が見込めなかったことから、建設凍結されたものと思われる。

ちなみに、越美北線があるなら、越美南線もあるのではと思った方。勘が鋭い。実は、越美南線も存在はします。とはいっても、国鉄から第三セクターに転換されちゃいましたけど。そう、越美南線は現在の長良川鉄道なのである。一応、長良川鉄道の正式な路線名は「長良川鉄道越美南線」となってはいるが、実際のところ路線名まで知ってる人はそうそういないであろう。

越美北線の終端でお約束のアイモバカメラによる千早とのショット。

こちらが九頭竜湖駅の駅舎である。外観が、ログハウス風となっており、隣には特産物直売所や観光案内所がある道の駅九頭竜(和泉ふれあい会館)が設置されている。

写真にある通り、バス停も設置されており、市営バス3路線が乗り入れているが、場所が場所なだけに本数自体はあまり多くはないようだ。

駅舎から少し先のほうまで行ってみた。これは、おそらく積雪量をはかるセンサーだと思われる。

こちらが九頭竜湖駅の時刻表である。1日わずか5本(うち1本は途中の越前大野どまり)で、閑散路線の末端区間の典型例といっても過言ではない。

ここの時刻表は都市部にあるような時刻表形式になっているが、これぐらいの本数なら逆にエクセルみたいな表を作ったような時刻表でも足りる気がする・・・。

九頭竜湖駅には、窓口も設置されているが、JR西日本直轄の駅ではなく、道の駅九頭竜の指定管理者である「有限会社いずみ」が窓口業務を受託する簡易委託駅となっている。

なお、この九頭竜湖駅は、常備券タイプの青春18きっぷ(通称あかはる)が販売されている駅の一つである。昔は、通信販売(JR西日本の方針により2009年度冬季シーズン限りで廃止)をやっていたり、枚数限定であるがストラップなどのおまけをつけていた時代もあったため、人気が高く、ほかの駅よりも真っ先に売り切れたことで有名である。

ちなみに、通信販売ではあるが、わいも九頭竜湖駅で売られている「あかはる」を買ったことがある。

そのときの写真がこちら。原券自体は諸事情により残念ながらないのだが、写真だけは撮ってたので掲載した次第である。

ちなみに、あかはるは2009年以来購入していない。青春18きっぷを使う機会がほとんどなくなったというのもあるが・・・。

九頭竜湖駅の裏手に8620形蒸気機関車の28651号機が展示されていた。8620形蒸気機関車とは、、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。鉄な人の間では、「ハチロク」と呼ばれている。

動態保存として、京都鉄道博物館の8630、JR九州の58654(かつてのSLあそBOY。現在はSL人吉で使用)の2両が今も現役で動いている。

保存場所の立地環境などの都合から中に入ることはできないが、ところどころ部品が盗難されているか何かでないものの、保存状態は思ったほど悪くはない。なお、現地は冬季に豪雪地帯になることから重厚な屋根の下で保存されている。

この8620形28651号機は、1919(大正8)年12月に汽車製造大阪工場で製造され、越美北線が無煙化された1973(昭和48)年5月まで働いていた機関車だ。1968(昭和43)年10月には、お召し列 車を牽引して越美北線を走った。国体を記念した植樹祭にともなうもので、同形の88635号機が先頭本務機、28651号機は重連次位機だったそうである。

8620形蒸気機関車自体は、全国各地に保存されているが、中部地方においてここまで近くで見られるのはここしかないのである。

ちなみに、この機関車を見つけたのは九頭竜湖駅のホームから見つけたもので、ホームに入っていなければ、おそらく見過ごしていたことであろう。

28651号機の静態保存地にほど近い場所に、古い民家があったので撮影してみた。

これは、穴馬民俗館と呼ばれる施設で、江戸中期(明暦年間)に建てられた、妻入口造りの民家らしい。基本的な小屋組、軸組は江戸初期一般の住家の原型を残しているとのこと。
かつては、久沢集落に残されていましたが、九頭竜湖ダム建設に伴い、現在地に移転したそうである。

館内には、穴馬地方(当時の和泉地区の呼び名)で使用されていた民俗資料を展示し、かつての生活様式を伝えているが、2015年4月から一般公開が休止されているため、今では入ることができない。遠征当時は、まだ一般公開がされていた時期であったが、また見られるだろうと思い入らなかった。今では後悔している。

伍:白山麓を駆け抜けて北陸一周アタックラストスパートへ(福井 大野エリア~石川 香林坊エリア)

さて、九頭竜湖駅で数十分休憩の後、金沢・香林坊へ向けて戻るルートへと針路を切り替える。

相変わらず、天候がいまいちであるが、仕方がない。

でも、時間制限があるので、大阪行のバスに乗るまでに香林坊にたどり着かないと、とんでもないことになるので、とにかく急ごう。

九頭竜湖駅付近から、福井・石川県県境付近までのルートは以上の通り。

大野市街地を避けるのと、市街地経由だと遠回りになるため、途中で国道158号から外れ、越美北線の線路を渡ったあと、国道157号へ向けて、ショートカットする。

国道157号に合流した後、しばらく国道157号をトレースすることとなる。

だいぶ端折っているが、石川県内に入った後、香林坊に帰着するまでのルートは以上の通り。

野々市/松任エリアに入るまでは、ひたすら国道157号をトレース。その後、外側環状を経由して、戻る形となったが、意外に時間が余ったことと、津幡エリアに代行案件がたまっていたこともあり、一旦、津幡エリアに突っ込んで、代行回収をしてから、香林坊に戻ることとなった。

それにしても、石川県内は相変わらず雨模様。とにかく運転しっぱなしであった。

ちなみに、白山麓/手取エリアの代行もそれなりにあったので、おいしくいただいた。

なお、この間はひたすら運転しっぱなしということもあり、写真は一切撮影していない。

六:北陸道昼特急で営業をこなせ!(石川 香林坊エリア~らいちょうP合流)

レンタカー返却後、ようやくコンビニ内で飯を食い、それから香林坊のバス停で、次に乗る高速バスである「北陸道昼特急」を待つ。んで、金沢市街地を走るバスは北陸鉄道バスが幅をきかせているのだが(他にはJR西日本バスがある)、系統が複雑で多くのバスが行き交っており、特に香林坊あたりで眺めているといつの間にかバスの車列ができてたりとバスマニアにとって眉唾の地である。もっとも、福岡の天神界隈ほどじゃないけどね。

指が写ってしまって、すごい残念な写真になってしまったが、香林坊のバス停前の様子。

金沢市街地は、北陸鉄道のバスの天下になっており、金沢駅から主要観光地までは、だいたいどれも北陸鉄道のバスを使って移動することができる。

時間帯によっては、このように複数台のバスが連なって、バス停留所にバスが停車する様子が見られる。

北陸鉄道のバス停留所においては、こんな感じで、「バスロケーションシステム」が採用されている。日常的に使っている人なら、非常に便利なシステムなわけだが、一見さんには、バスの系統が多すぎて、目が回るぐらい混乱しそうな気はするがw

ちなみに、右はしに写っているバスは、JR西日本バスの路線バス。金沢駅を拠点にいくつかの路線を持っている。

香林坊バス停から、むさし交差点方面を見た写真。ここに国道157号線の1キロポストが設置されている。

金沢市街地の国道157号は片側2車線確保されてはいるものの、それ以外は片側1車線の道路が標準となっている。また、岐阜・福井県を跨ぐ温見峠周辺は酷道で有名となっており、「落ちたら死ぬ」の看板があることで知られている。

さて、約5分の遅れを持って、「北陸道昼特急」に乗車。香林坊からの乗車は私一人だけとかw モウチョットイルノカトオモッテマシタケドネ。この私の乗った「北陸道昼特急」はどうやら夜行高速バスのアルバイト運用っぽく、2階建て車を充当している。1階席は4列シートで、2階席は3列シートとなっており、「北陸道昼特急」では2階席のみ利用できるようである。それでもって、私の座る席は1番前の右側。うっはーーーーーーー俺勝ち組と、思うじゃん? 雨だからいい景色見れないんだよこれがorz それでも、普段体験できない高速道路の料金所を通過する際の目線の高さとか北陸自動車道の金沢西IC入ってからしばらくは海沿いを走るので、その景色を眺められる点としては非常にすばらしいとだけはここで申しておく。

相変わらず雨が降る中、北陸アタックの拠点地である、金沢市の繁華街香林坊を去ろうとしている一コマ。

それにしても、2階建てバス車の2階から見る景色はいいなあw

香林坊から福井県に入るまでのルート図は以上の通り。

金沢西ICから北陸自動車道に乗って、ひたすら西へと進む。

福井エリアに入るまでは特に新しいエリアを制覇するわけでもないので、特段書くことはないが、「北陸道昼特急」は途中福井まで、ちょくちょくお客を拾いながら、京都・大坂方面へと向かっていく。

北陸自動車道 徳光PA~小松IC付近まで日本海沿いを通るルーティングとなっており、下り線走行であれば、海を間近に見ることができる。

なお、北陸自動車道で、ほかに海沿いを走る区間としては、新潟県の親不知IC付近が該当している。

福井県に入ってから京都駅までのルート図は以上の通り。

ここで新しく福井エリアと越前エリアを制覇。それ以降は、前回の遠征(リンクをクリックすると前回遠征の最初のページに飛びます)にてエリア制覇済みである。

途中の敦賀でフォロワーのムトゥーPの代行案件を回収したほか、北陸自動車道敦賀IC通過時に「敦賀通過ナーーーーー」とツイートしたららいちょうPに空リプを送られたのはここだけの話であるw(【参考】敦賀はらいちょうPの出身地)

途中、名神高速道路多賀SAで小休止を挟み、再び京都駅に向けてバスは動いた。

結局、京都駅には約15分の遅れを持って到着した為、乗車予定の新快速にタッチの差で乗れなかった為、大阪駅で待っているらいちょうPに遅延報告を入れて、京都駅で次の新快速を待つ。

これ余談なんですが、京都駅の接近メロディって実は昔地元の路線で発車メロディーとして使われていたので、妙に親近感が湧いてしまうのはここだけの話にしておこうw

なお、2015年春にアレンジバージョンになってしまったため、メロディー自体は変わらないが、往時のメロディーの音程は失われてしまったとだけ追記しておく。

そして、新快速が到着。うっひょぉぉぉぉ223系キターーーーーーーーー!!! で、入線していく様を見ていたのだが、前から5両目を見た瞬間・・・

「▂▅▇█▓▒░(’ω’)░▒▓█▇▅▂うわああああああああ 225系じゃねぇぇかぁぁぁ!」

別にどっちでもいいんですが、やっぱ疾走感を重視すると223系に軍配が上がる(と私が勝手に判断しているだけですがw)んだよなー(ぉ

京都から大阪までのルート図は以上の通り。

ただ、電車に乗っているだけかつすでに制覇済みのエリアばかりなので、なので、特段書くことはない。

そして、大阪駅到着して、すぐにらいちょうPと合流。ここからアイモバ紀勢アタックの旅がいよいよ始まろうとしていた・・・。

次の記事は、アイモバ紀勢アタック編スタートということで、わいの直近の界隈かつアイモバ遠征における盟友であるらいちょうPとの初めての同行遠征旅の模様をお楽しみください。

深夜のノリでとんでもないことに(?)走ったり、世界遺産巡りをしたりなど、たぶん今回の遠征の記事の中で一番濃い内容になるんじゃないかなと思います。

まあ、過度な期待せずに続きをお待ちくださいねw

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