【初めての離島へ】アイモバ佐渡アタック&尾瀬アタックの旅【2】

こんにちは。北陸の食パンです。

今回はわいの過去のアイモバ遠征シリーズ第十弾ということで、アイモバ佐渡アタック&尾瀬アタックの旅(2013年10月11日出発、2013年10月12日帰着)をした記録の続きを書こうと思います。前回記事見てない方はこちらをみてからこの記事を読みましょうw

ではでは、本編いきますよ。

参:雨の中の全力疾走(新潟 佐渡エリア~らいちょうP合流)

前回記事で佐渡に到着するまでの様子を書いたが、ここから佐渡島内を観光するわけでもなく、折り返し9:15発の新潟行のおけさ丸に乗って引き返すこととなる。

とはいっても、せっかくなのでNisPと両津港内の土産物屋を少し巡ることとした。結局、何も買わずに終わってしまいましたけど・・・。

さて、9:15発のおけさ丸に乗って、再び2時間半の船旅。新潟には11:45頃に到着する。

再び、おけさ丸に乗りこんだ後、両津港をしばし眺める。

フェリーターミナルから桟橋に向かって突き出ている設備がボーディングブリッジである。

そういえば、伊豆諸島にはボーディングブリッジという文明ものなんてないんですわ。乗り降りすべてタラップだし。

両津港をあとにするシーンを千早を交えて撮影。千早もちょっと寂しそう(というより黄昏てるといったほうが正しいか)な表情である。

佐渡を離れようとしているころに晴れてくるとは何事!?

まあ、こればかりは仕方ないんですけどねえ・・・。

千早「今日は、この後営業活動しなきゃいけないから、慌ただしく佐渡を離れますけど、今度はゆっくり観光しましょう。」

今度、佐渡をじっくりと観光したいですね。アイモバは終わっちゃったけど・・・。

新潟に向けて航行するおけさ丸の周りには海鳥が飛び交う姿も見られた。

佐渡島の沖合に結構な数の貨物船が航行していた。おそらくこれらは沖合に待避しているのだろうが・・・。

それにしても洋上はいいお天気かつ、海もきれいで最高ですねえ・・・。

しかし、そんな気分もとあることでぶち壊しに(?)

えーとですね。修羅場ですよ修羅場。千早がかなり機嫌悪くてやばい状態に・・・。

えー、わい何もしてないのにー(本当かよ)

(ちなみに、ネタバレすると、通信状態が悪いとアイドルの機嫌が悪い状態になることがあるんで、たまたまそういう現象が出ただけです)

魔法の言葉をかけたことで、千早の機嫌も戻りました。

(ネタバレすると、再度通信しなおしたから)

余談ですが、別のアプリを起動して、「おけさ丸」の速度を測ってみました。時速30km/hほどの速度で、ノットに換算すると16.2ノットになりますね。

11:45頃に新潟港に到着。そそくさと船を下りて、2時間後に越後湯沢につかなければならない。本当に間に合うのか!?

佐渡から戻ってきて、越後湯沢方面に向かうルート図がこちら。

一旦、新潟市内で給油してから、新潟西ICに向かい、そこから北陸自動車道・関越自動車道を使って、越後湯沢へと向かう。

続きのルート図は以上の通り。

本土に戻ってから、不安定な天候が続き、関越自動車道走行中に大雨に降られる。

何しろ、かなりカツカツの行程で組んでいたので、飛ばさざるを得ない状況となっており、ハイドロプレーニング現象が起きないことを願いつつ、ひたすら走り続けた。

余談だが、かなり前に、運転中において、東名高速でハイドロプレーニング現象が発生したことがある。何しろハンドルが利かなくて怖い思いをしたので、今でも記憶にしっかりと刻まれている。

そして、14:00ちょっと過ぎに越後湯沢駅に到着し、無事にらいちょうPと合流した。

新潟港から2時間で行けると思ったけど、なんだかんだでかなり余裕がなくて、先ほど申した通り、結果的に飛ばしながら行かざるを得なかった。飛ばしたからこそ、なんとか予定行程に乗っかることができたが、普通にいってたら30分以上待たせていたことになっただろう・・・。

四:日本一のモグラ駅を探検せよ(らいちょうP合流~群馬 尾瀬エリア)

越後湯沢駅でらいちょうPと落ち合った後は、らいちょうPに運転を交代して、らいちょうPご希望の「土合駅」に向かうこととなった。

ちなみに、当時この遠征でらいちょうP初の自力で東日本地域を車で運転することになった。

越後湯沢から先のルート図がこちら。

湯沢IC~水上ICの間のみ関越自動車道を利用(関越特別区間。関越トンネル区間ともいう)し、土合駅へと向かう。

土合駅を探索した後は、代行案件が溜っている尾瀬エリアへ向かう行程となっていた。

お ま た せ 日 本 一 の モ グ ラ 駅 土合駅に到着ゥー!

わいも一度行きたかったこの駅についにたどり着いた。たぶん、らいちょうPが提案してくれなかったら、訪問はだいぶ先になってたかもしれない。

(一応、普通列車を含めた土合駅通過は何度もしている。)

ありがとうらいちょうP。

ということで、群馬県内最北の駅でかつ「関東の駅百選」に認定されている土合駅。当駅は、後述の「日本一のモグラ駅」として全国的に有名な駅の一つである。

「日本一のモグラ駅」である理由は、当駅の下りホームが新清水トンネル内にあり、駅舎から徒歩10分ほど歩かないとたどり着けないからである。

土合駅は上越線にある群馬県内最北の駅であるが、施設管理はJR東日本高崎支社が受け持っているものの、当駅を通る定期普通列車はすべてJR東日本新潟支社の車両となっている。(水上駅で運転系統が分断されているため)

ちなみに、当駅を含むモグラ駅(地下鉄を除いた鉄道でトンネルの中に駅がある)一覧は以下の通り

駅名 所属路線
土合駅(群馬県) 上越線(今回訪問した駅)
筒石駅(新潟県) えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン(旧北陸本線)
湯檜曽駅(群馬県) 上越線(土合駅の隣駅)
美佐島駅(新潟県) 北越急行ほくほく線
湯西川温泉駅(栃木県) 野岩鉄道会津鬼怒川線

こうしてみると、特定の県に固まっていることがわかる。

うち、複線トンネルの中にある駅が筒石駅で、他はすべて単線である(土合・湯檜曽駅については下り線のみトンネル内に駅がある)。

土合駅の入口に「ようこそ日本一のモグラえき 土合へ」という木製の看板が掲出されている。

駅の入口に入ると、改札口がある。

改札口から右方向へ行くと、上りホーム(水上・高崎・大宮・上野方面)に行くことができ、改札口から左方向へ行くと、例のトンネル内にある下りホーム(越後湯沢・小出・長岡・新潟方面)に行くことができる。

普段は無人駅であるが、夏場の臨時列車運行シーズンになると、水上駅から駅員が派遣され、特別改札などが実施される。

なお、普段の乗車時は、左側に設置されている「乗車駅証明書」をとってから、車内もしくは下車駅で精算する仕組みになっている。

改札口横には窓口もある。かつては有人駅だったこの土合駅であるが、今は無人駅なので、閉ざされたままとなっている。

駅員派遣時にこの窓口が使用されているのかどうかはわからない・・・。

ちなみに、窓口の向かい側に待合室が設置されている(撮影漏れしてしまった・・・)。

なお、待合室は駅寝する登山客がガスを使って料理したりすることが絶えないことから、火災防止の観点上、2016年4月に閉鎖となっている。

改札口を通ったあとの様子。寒冷地のため、仕切り扉がついているのが特徴的である。

改札口を通って左側へ進むと、下りホームに至る通路が続いています。訪問した時は、昼間だからまだいいですけど、夜にここ通るのは、人によっては躊躇いそうですよね。

連絡通路の起点付近にあるこの表記。振り返って撮影。

そう、下りホームから462段+24段=486段上がって、やっと改札口にたどり着けるのだ。土合駅の下りホームから改札口に行くまでの道のりは、普段運動してない人にとっては非常にしんどい場所であること間違いなしであろう。

しかも、「がんばって下さい」の各文字の上に赤いがあって、頑張って登ってきた人に対し、煽っている感じのようにもとれる。

ちなみに、このあたりにトンネルから吹き上げてくる風を抑制する風よけが設置されている(撮影するの忘れたorz)。

川と道路を跨ぐ広い通路部分を通っているときの様子。奥にいくと、いよいよ下りホームへ通じる階段が待ち受けているのだ。

というわけで、全国●●万人のモグラ駅ファンの皆様。お待たせいたしました。

この462段の階段を下ると、上越線下りホームにたどり着きます。

モグラ駅自体は、筒石駅を何度も訪れていることもあって、珍しいという印象は受けないものの、このクソ長い階段には度肝を抜かれました。

なんてったって、筒石駅のメイン階段数以上の階段数ですから、結構手ごわいぞこれは・・・

そしてモグラ駅のメインディッシュの部分ともいえる階段部分で千早を撮影。さすがに、階段入口付近でしか電波を受信できないこともあり、ホームで千早を撮ることはかないませんでした。

(通信できないところにいくと、エラーが出て撮影自体ができないため)

階段を降りている途中で撮影したもの。ホームはまだまだ遠い・・・。

でも、外に比べると気温は幾分低めである。

ようやくホームに到着しました。左側にあるホームがもともと使っていたホームで、右側が現行のホームです。

以前使っていたホームはそれなりに広いが、新しいホームは筒石駅なみに狭いホームになっているのが特徴である。

かつては、通過線1線と本線(下りホーム)1線の2線ありましたが、土合駅で待避することがほとんどないことから、2008年に従来の本線をつぶしたうえで、通過線側に新しいホームを設けました。

前の写真から振り返って撮影したもの。従来のホームのところに建物が建っているが、そこに待合室やトイレがある。

たぶん、そこも先ほどの駅舎の待合室と同様、今は閉鎖されていると思われる。

なお、この下りホームは通年にわたり気温が低めであるので、防寒対策はしっかりとしておきましょう。

ホームから、改札方向に向かって撮影。出口という看板は存在すれど、本当に出口に出られるか不安に駆られるのは気のせいだろうか・・・。(まあ、きちんと出られますけどね。10分かかるけどw)

ホーム側の階段起点には、ようこそ「日本一のモグラ駅」へと書かれた看板が設置されていた。

そこには、改札口まで481メートル、標高差は70.7メートル(下りホーム海抜583メートル、駅舎標高653.7メートル)と数字的には何ら大したことがなさそうに見えるが、階段数(メイン階段462段+24段=486段)のせいで、一気に絶望感が増してくる仕組みになっているのだ。

下りホームから改札口方向に向かって撮影した図。階段のところに何段目かわかるように数字がかかれている。

最初のうちは一段一段数字がかかれているが、上に行くに従い、5段もしくは10段おきに数字がかかれている形になる。さすがに全部の数字を書くのはかったるかったのか需要がないと思ったのかはわかりませんけれども・・・。

そして、左側にある不思議な空間は、エスカレーターを設置する予定のスペースだったそうである。

昔は、谷川岳に登る登山客がこの土合駅をよく利用していたが、今では上毛高原駅もしくは水上駅から谷川岳登山口行のバスに乗れるため、土合駅から向かう人は少なくなった。

そういうこともあり、エスカレーターを設置しても、費用対効果に見合わないことから、計画だけで終わってしまったのである。

階段をすこしアップ気味に撮影してみた図。

5段あがったら、すこしスペースをあけて、次の階段という形でゆとりを持たせた構造になっている。

また途中に休憩用のベンチもいくつか設けられている。

(余談だが、筒石駅の場合は、基本的に連続した階段となっているため、意外ときつかったりする。)

階段を下から撮ったもの。トンネルの先は何も見えませんね。はい。

なんと面妖な千早の表情である。何をしたかは(お察し)

アイモバの千早にとあることをすると「馬鹿!」っていうセリフを吐き捨てるように言ってくれるので、これが大好きだったなんていえない。(いってるじゃんw)

ああ、アイモバがあったころが懐かしい・・・。

下りホームから戻った後は、上りホームを見に行きます。

上りホームに行く途中で見張り台みたいなところがあり、そこからこの写真を撮影している。

こちらが上りホーム。昔は島式ホームで上下線共用であったが、複線化に伴い、下りホームは、前述の通り、新清水トンネル内に設置される形となり、以後は上りホームとして使用されている。

のちに、駅舎側の線路は剥がされている。

ちなみに、1998年の集中豪雨に伴う土砂崩れの際、この上りホームが埋もれてしまい、復旧に約1ヶ月かかったそうである。

土合駅探索が終了したところで、土合駅駅舎の前で千早と記念撮影をする。

伍:代行案件を狩りながら南下せよ(群馬 尾瀬エリア~遠征の晩餐)

土合駅探索後は、代行案件が30件ほどたまっている尾瀬エリアへ向かうこととなった。

いつも、尾瀬エリアへは沼田ICから国道120号をトレースすることが多いのだが、今回は土合駅から向かうということもあって、群馬県道63号から尾瀬エリアに向かうこととした。

土合駅からのルート図がこちら。

湯檜曽駅付近から、群馬県道63号をトレースする。

湯檜曽側は、スキー場があったり、利根川の水がめとなっている各種ダムがあるということもあって道が広いが、ダムやスキー場を過ぎてしばらくすると1.5車線程度の狭い道に変わり、ヘアピンカーブを描きながら坤六峠(こんろくとうげ)へとのぼっていく。

坤六峠を越えると尾瀬エリアに入る。しばらく通信できなかったものの、山を下りるに従い、電波が入り、3人で分け合って、尾瀬エリアの代行案件の回収に成功した。

坤六峠からヘアピンカーブを下ったところで、群馬県道260号と合流する。ちなみに、群馬県道260号は尾瀬散策の拠点の一つである鳩待峠に至る県道であり、一部期間を除きマイカー規制が行われている。したがって、基本的にタクシーやバスでないとたどり着けないところとなっている。

その後、群馬県道63号は国道401号とぶつかって終点となり、そこから国道401号を南下するコースとなった。

途中で、運転者がらいちょうPからNisPに代わり、国道120号線に乗っかった後、しばらくトレースしていくが、関越自動車道昭和ICから乗るため、途中で国道から外れ、県道を乗り継いで、昭和ICへと向かった。

昭和ICから立川までのルート図はこちら。

鶴ヶ島JCTまでは関越自動車道、鶴ヶ島JCTからあきる野IC間は圏央道をトレースした。あきる野ICから30分ほどで今回のメインディッシュをいただく立川に到着する。

六:弾丸ツアーの最後に飯テロを決行せよ(遠征の晩餐~帰着)

というわけで、遠征の晩餐会場である「いちや」に到着。本来なら、私とらいちょうPがここで落ち合って、晩餐会をするという計画であったが、なんだかんだで、越後湯沢で拾ってここまでくるという壮大なスケールに発展したからいやはや恐ろしいw

この「いちや」で食すのが、某界隈で非常に有名なあの「塩スペシャル(通称塩スペ)」である。実は、9月にも私はこの「いちや」にきたが、この日のために「塩スペ」を食すのを見送っていた。

こちらが、この「塩スペシャル」である。大きな海苔、大きいバター、そして3枚のチャーシューを乗っけた塩ラーメンがその正体なのだ。

しかし、2016年4月にリニューアルされた際に、この「塩スペシャル」は、メニューから消え去ることとなった。よって、今では食べることができない幻の品となっている。

立川から自宅までは近いから、そのまま帰りたいところだが、いかんせんレンタカーであるため、また中野坂上に戻らなければならないということで、戻りますw

立川からは国立府中ICから中央自動車道に乗り、そのまま高井戸から新宿までは首都高を通っていった。

そして、新宿でNisPとらいちょうPを降ろして解散。わい一人でレンタカー屋に戻り、車を返した後、自宅へ帰ったのであった。


というわけで、過去のアイモバ遠征記録第十弾はおわりでございます。

アイモバがなかったら、きっと先延ばしにしていた佐渡に行けただけでもよかったです。今度はまったり観光したいものですが・・・。

それと、土合駅に訪問できてよかったです。またいつか再訪したいですね。

さて、次回のアイモバ遠征記録第十一弾の予告ですが、いよいよワンマン遠征史上過酷な遠征に挑みます。

舞台は、なんと北海道。滞在時間1日半で北海道にある32エリア全制覇をしに行きます。

今までも2回抱き合わせ遠征という過酷遠征をこなしてきましたが、間にバスを使って移動はしてました。

しかし、次の北海道は、現地ほぼレンタカーオンリーということで、途中休む暇もありません。

そして、北海道はでっかいどうですから、もう移動するレベルが今までの次元とは比べ物にならないほど、大きなスケールに発展しました。

はっきり言って、「わずか1日半で本当にすべてのエリアを制覇できるのか?」

道中、様々なハプニングが起こりつつも、北海道制覇の全記録を次回ご覧頂くことにしましょう。

さて、この備忘録いつ終わるかな。今年中かな? それとも来年まで続くかな? 少なくとも、アイモバ終了から1年経つまでには終わらせたいものです。(本来の計画なら今更もうほぼ終わりかけまでいってたんだけどね・・・。)

ではでは、今回もご覧頂きましてありがとうございました。


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