【中央エリアを完全制覇せよ】アイモバ伊豆アタックの旅【2】

こんにちは。北陸の食パンです。

今日は、萩原雪歩の誕生日ですね。そして、わいにとって何も恩恵もないクリスマス、いやクルシミマスでしたね。失礼しましたw

さて、今回は、いまだに備忘録の続きを書く始末ではございますが、過去のアイモバ遠征第拾弐弾の続きということで、アイモバ伊豆アタック編(2013年11月4日出発、2013年11月5日帰着)の後編をお送りしますよ。

前回記事見てない方はこちらをみてからこの記事を読みましょうw

ではでは、本編いきますよ。

四:あぜりあ丸に揺られて(静岡 下田エリア~東京 大島/新島エリア【周遊】)

朝方に西伊豆エリア制覇した後は、いよいよ未知なる伊豆諸島を見るために、伊豆諸島方面の船が出る下田港へと向かう。

位置関係を確認するため、改めて下田近辺のルート図を掲載する。

「かじかの湯」がある「道の駅花の三聖苑伊豆松崎」から、下田港へ車を走らせる。静岡県道15号線と国道414号を経由して、約30分ほどかかった。

7:30前に下田港に到着した。

今回乗るあぜりあ丸(なお、その後2014年11月に引退した。この遠征から約1年後のことである。)がこちら。船尾側(トモともいう)から撮影した。

1988年にデビューした船で、就航以来ずっと下田~利島・新島・式根島・神津島航路に従事している船である。

総トン数は480トンと、東海汽船の大型客船や、佐渡汽船の大型フェリーよりもずっとサイズの小さい船となっている。

なお、下田~伊豆諸島航路は、先に申した通り、2014年11月に引退し、すでに後継の「フェリーあぜりあ」に変わっているが、かつての思い出の船ということで、当時に戻った気持ちで解説などを書いていきたい。

朝の早い時間は、貨物の積込などを行っているため、まだ乗船はできない。

貨物受付と航路案内の掲示を撮影する。

しかし、乗船券が購入できるのは8:00以降。30分ほど待たなければならないというのもあり、一旦下田港を離れて、市街へと戻る。

暇つぶしということで、下田魚市場に立ち寄り、船の中で食べる酒のつまみ類などを買う。

そして、ちはみきペアで撮影も忘れずにする。(ちょうど遠征時が765の日なので、担当アイドルを変更できた)

改めて、下田港に8:30頃に到着。駐車場が満車で置き所に困ったが、港から少し離れたところにスペースがあるので、そこに車を止めて、いざ神新汽船の営業所へ。

営業所内にある窓口で、ワンデークルーズチケットを購入する。

ちなみに、購入は現金払いのみで、クレジットカードは使えないので注意して頂きたい。また、ワンデークルーズチケットを購入するとあぜりあ丸のポストカードがもらえたりするので、ぜひ旅の記念にとっておこう(ちなみに品切れ等の場合伊豆諸島開発のゆり丸のポストカードがもらえるらしい)。

今は、「フェリーあぜりあ」のポストカードがもらえるのだろうか・・・。

ちなみに伊豆アタック当日の運航予定は以下の通り。

神津島のみ通常、他は条件付運航である。ちなみに条件付運航とは、現地の海や波が荒れている場合などにおいて、現地の港に着岸できない場合は通過し、出発地に戻るということである。

一見すると、天気はよさそうなのだが、現地は神津島を除き、ひょっとしたら天気が悪い可能性があるということだろう。

そうはわかっていても、わいの頭の中によぎったこと・・・

この船は、揺れまくるんじゃないかという…。

そんな不安を募らせていたのは言うまでもない事実であった。

ちょっと前にもいったけれども、前々回の佐渡遠征のときの船より、見て分かる通り、だいぶ小さい印象を受けた。

今回の航路については以下の通り。

このあぜりあ丸は下田港を9:20に出港する。今回は、最初に利島をめざし、その後新島・式根島・神津島の順にまわり、16:20に下田港へ帰港する航路なのである。

そう、周回航路なので「ワンデークルージング」(ただし、二等客室限定)というプランがあるのだ。

昔は、「ワンデークルージング」プランは、一般に周知されていない、いわばマニアしか知らないようなものであったが、最近は神新汽船や東海汽船のHPにも掲載されている。

おそらく認知度は高まっているようであるが、実際のところどれだけの人が利用しているかは定かではないw

ちなみに、曜日ごとに航路が決まっており、日・火・金曜が利島先回り、月・木・土曜は神津島先回りとなっている。水曜は欠航なので注意されたい。

なお、ワンデークルーズを利用せずに利島・新島・式根島・神津島のいずれかの島で下船する場合は料金は同じなので、同じ料金で船にたくさん乗りたい人は曜日を選んで乗船することをおすすめする。

東京→下田で船で乗り継ごうと考えている方にアドバイスさせて頂くと、利島は港の立地の関係上、条件付き運航が多く、また欠航することも多いため、乗り継ぎには適さないから乗り継ぎするために利島を選ぶのはやめた方がよい。

なぜなら、東海汽船のかめりあ丸【2014年引退】やさるびあ丸が欠航するぐらいのレベルであれば神新汽船のあぜりあ丸は間違いなく欠航するのは目に見えているからである。


そして、出航30分ぐらい前から乗船手続きが始まり、タラップを使って、乗船し、二等客室へと急ぐ。とはいっても、乗船客数はそんなに多くはないが・・・。

乗船客数が少ないというのもあって、二等客室はとても空いていた。今回は、「倉内」の一角を陣取ることとした。このあぜりあ丸でいう一番下の部分である。

本来なら、窓のある上甲板あたりを陣取りたいところであったが、遠征出発からろくに眠っていないというのもあって、少しでも仮眠できるように、あえて一番下の客室を選んだのである。

当然と言えば当然だが、このときから「揺れ」が始まる。
もちろん、幾重にも防波堤に護られた下田港内の波など波ではないのだが、お風呂に浮かべた船の模型だって微妙に揺れる。そんな感じのイメージだ。

上甲板部分の二等客室の様子はこちら。窓から景色をみるならこちらに陣取るとよい。神新汽船において、二等客室は自由席である。

ワンデークルージングで乗船可能な客室である。

テレビと枕(早いもの勝ち)が設置されている。

倉内の二等客室の様子はこちら。設備的には上甲板部分の二等客室と変わらないが、場所柄の都合上、窓はない。

あぜりあ丸には、売店が設置されていないかわりに、自販機コーナーが設置されていた。

飲料用自販機が2台、ビール自販機が1台、カップ麺の自販機が1台の、合計4台の自動販売機が船内に設置されていた。

あぜりあ丸には、フリースペースなるものも存在していた。

ここは、喫煙所も併設されているわけだが、特記すべきことは、漫画・雑誌・電子レンジ・充電用コンセントが完備していることであった。

大型客船にありそうでない設備も兼ね備えている点で、縁の下の力持ち的な存在であるこの船が魅力的に見えてしまうのだから、驚きである。

少なくとも、漫画が常備されている船なんて聞いたことないですし・・・。

フリースペースの一角には魚拓が飾られていた。

電子レンジ上にも魚拓とサインが飾られていた。サインは誰のものだかよくわからなかった・・・。

電子レンジ横にコンセントが設置されており、自由に使うことができた。

あぜりあ丸の案内所。あぜりあ丸の事務長(のち、フェリーあぜりあの事務長)は、船の世界ではちょっとした有名人らしい。話はしてないけどw

案内所にも、運航状況などが掲出されていた。

こちらの客室は、特二等客室。マット・枕・毛布・テレビが備え付けられている。

毛布に、「東海汽船」のロゴがかかれているが、これは神新汽船が、東海汽船グループの傘下にあるからである。

続いて、一等客室を覗いてみる。入り口わきには、小さいテーブルと、小さい座敷椅子が4つ備え付けられている。

一等客室の中はこんな感じ。特二等客室と違い、布団があり、そして枕が大きいのが特徴である。

そして、特筆すべきことといえば、今の船ではなかなか見ることができない「花毛布」が見られることである。

布団の上に乗っている毛布をよく見ていただければ、おわかりいただけるだろう。

あぜりあ丸に乗って、見たかったものが見れて満足であった。

右のほうに目をやっても、花毛布が置いてあった。

そして・・・

開かずの間と化している「特別旅客室」がこちら。一般発売はされておらず、どういう条件でこの客室が使えるのか、まったくもって不明であった。

予想の範疇にすぎないが、おそらく、特等客室のようにベッドが2つくらいおいてあるのだろうか・・・。

下田港の近くには、海上保安庁下田海上保安部があり、しばしば巡視船が港近くを通る風景が見られた。

デッキ部の様子。椅子がずらりと並んでいる。

椅子の後ろの発泡スチロール箱は、神津島でおろすもので、水産物を入れて、貨物船ないしはあぜりあ丸を使って出荷しているものと思われる。

ワンデークルーズチケットとあぜりあ丸のポストカードを並べてみる。

余談だが、1年後(あぜりあ丸退役当日)のシリアルナンバーが999の人がいたそうなので、やっぱり「ワンデークルーズ」の知名度は低いのだろうか・・・。

閑話休題、一等客室と案内所前でちはみき撮り。

千早「花毛布は趣があって、いいですね」

美希「ミキ的には、一等客室がいいと思うな」

すまん、ワンデークルーズは二等客室専用なんだ・・・

千早「伊豆諸島でどんな風景が見られるか楽しみです。」

美希「この船、古いけど、なんかわくわくするの。島めぐりは楽しいと思うな」

出航後、内側の防波堤と一体化している「犬走島」のそばを通過し、下田港の外へ出る。

伊豆半島本土から離れようとしている。

我々は、未知なる領域、伊豆諸島へ向けて航海するのだ。

千早「行きましょう。未知なる地を見に行くために!」

こうして、意気揚々と伊豆諸島へ向かう、わい・千早・美希、そしてNisP(+やよい)の一行であった。

でも、行きはよいよい、帰りはこわいこわいなんて思っていなかったよ。下田を出たときはね。


しばらく外で陸地を眺めていたわいであったが、その後陸地が見えなくなり、船の中において下田の魚市場で買ったツマミ類を食いながら、酒くず芸を始めるわい。出航してすぐのときは、余裕だと思っていた。このときまでは・・・。

酒クズ芸を開始してから30分くらいを経過したあたりになって・・・。

やっぱりけっこう揺れた…。

あぜりあ丸は、フィンスタビライザーを装備していない船であったため、フィンスタビライザー装備の船よりも、だいぶ大きい揺れを感じた。波を切り越えて進むときの前後の揺れだけでなく、横風や横波を受けた横揺れもかなりある。

あえてたとえるなら、平衡感覚を失うぐらいの揺れをずっと感じたのであった。

ある程度覚悟はしていたし、波があるのだから揺れないはずはないけれども、前々回の佐渡遠征で乗ったフェリーに比べたら、揺れもだいぶ大きかった。

覚悟はしていたとはいっても、これは大きな誤算といわざるを得なかった。

恐怖を感じるほどではない(プロが操縦しているのだから恐れる必要など無い)が、船内にはやはり船酔いに苦しむ人の姿もちらほらと見受けられた…。

そして、余裕ぶっこいて酒くず芸をしていたわいも、次第にグロッキーになってきて、船酔い状態に陥った。身の危険を感じて、安静になるという選択をした。

下手に動くと、それこそ●●の危険性が高まるからだ。

それに、大島/新島エリアの位置情報が掴めないというのもあるから、利島に近づくまでは少しでも寝ようと心がけることにした。

そして、ちょっと仮眠した後に、船の速度が落ちたのを感じて、慌てて外へ出ると・・・。

千早・美希・わい「わあああっ!」

ついに、ねんがんのいずしょとうのすがたをみることができたぞ!

見るからに火山島の姿をしていた。たとえるなら、海の上に現れたミニ富士山といったところか・・・。

この島は、利島である。伊豆諸島の中でも砂浜が存在しない島であり、海の周りは断崖絶壁になっているのが特徴だ。

そして、利島の特徴をもう一つあげるのならば、椿が美しく咲き誇る島である。

資源が限られた利島においては、江戸時代から200年以上にわたり、椿産業(椿油など)が今日の利島を支えているのだ。

利島港桟橋を撮影する。

伊豆諸島では、船の着岸~離岸まで、警察官が常駐している。そして、タラップの取り外しの手伝いも行っているのだ。

利島に到着する直前で、大島/新島エリアの代行案件を回収した。

なお、NisPはお休み中だったので、独り占めさせてもらったw(その後、NisPは新島にて代行案件を回収してたw)

桟橋への接岸作業中の様子。

あぜりあ丸には、スラスター(バウスラスターなど)が装備されておらず、船のオモテ(船首)とトモ(船尾)についているロープを駆使して、接岸作業を行っているのだ。

利島に到着したと同時に、千早を撮る。

わいにとって未知なる伊豆諸島の最初の着岸記念だ。

乗下船用のタラップを設置している様子。

船側のウインチで持ち上げつつ、桟橋側にいる人が4人がかりで位置調整を行う。

タラップ自体は、おそらく、さるびあ丸と同じ物を使っていると思われる。

船からタラップを見る。

海面の高さにより、乗下船口が変わるのだ。

そして、短い時間で乗降が終わり、利島をあとにする。

そして、ちはみき撮りも忘れずにw

美希「ねえねえ。ハニー。今度は、どこの島にいくの?」

新島やでw

千早「私の後ろに見える島は伊豆大島なんですね。いつかは行きたいです。」

のちに行きましたとさw

利島港は、御蔵島港の次に港が貧弱で、海があれた時は欠航になりやすい。

今回は、条件付きにも関わらず、なんとか接岸できたわけだが、接岸・離岸中にも、この写真のように、桟橋に波がかぶる光景がみられた。

先に見える島は伊豆諸島最大の島であり、東京から最も近い伊豆諸島の伊豆大島である。

今回の遠征では行かなかったが、のちに何度か来島することとなった。(ちょっと前にもいったよねw)

利島をバックにちはみき撮りも忘れずにw

千早「利島は椿と海産物が有名だそうですね。利島の大サザエは一度食べてみたいです。」

わいもサザエ好きだし、利島のサザエ食いたい。

美希「ミキ。ハニーと一緒に利島の海で泳ぎたいな!」

利島は、砂浜がないから海水浴は無理だけど、ダイビングならあるぜw

あ、そうそう、実は利島の勤労福祉会館内にボウリング場が併設されているそうで、レーン数は2レーンで1ゲーム300円。日本一小さなボウリング場だそうですよw

以上、蘊蓄語りでしたw

利島を離れると、先にはうっすらと2つの島が見える。(写真は3つ見えますが、一番左が利島)

うっすらと見える2つの島のうち、左が鵜戸根(うどね)島、右が次に寄る島の新島である。

鵜渡根島に近づいたところで、1枚写真を撮る。

鵜渡根島は、無人島であるが、明治時代には新島島民が養蚕のためにこの島に渡って暮らしたこともあった。けれども、短期間でまた無人島になったようである。

中央の高い島を取り囲み、周りに小さな岩塔がいくつも集っているのは、島が激しい風波に削り取られて次第に消滅していくような感じがした。そして、高い木が1本も生えていない、ひたすら切り立った岩の島のように見えた。

そう考えると、人が暮らす島としては厳しい環境であったのかもしれない。

あぜりあ丸は、次の寄港地である新島黒根前浜港に向けて航海を続ける。

新島は近くに見えるものの、港までは少し遠い。

利島を出て、1時間弱したところで、新島黒根前浜港沖合に近づいた。

新島黒根前浜港は、新島の中心地に位置する港で、よほどの事情がない限りは、この港が使われる。(ジェットフォイルは、波浮根港発着のときもあり、大型客船は羽伏港発着の時もあるが、羽伏港発着は極めてまれである)

写真を見れば、わかると思うが、新島の海の色はなかなかきれいで、特に夏場は海水浴を楽しむ人たちやサーフィンを楽しむ人たちでにぎわっている。

ところで、新島は、島全体が火山島に指定されている。その証拠に、1991年、2000年に群発地震が発生している。また、群発地震の影響により崩落が各所で起きており、今でも爪痕が残っていたりする。

また、遠い昔は流刑地の一つであり、島内に流人墓地が存在する。

新島の特産品は、抗火石(コーガ石)と呼ばれる石が、もっとも有名な特産品である。これは、新島とイタリアのリパリ島でしか取れない流紋岩質の石で、建築用・装飾用として珍重されている。

また、抗火石(コーガ石)を原料として、ガラスもつくられており、そのガラスは「新島ガラス」とよばれ、オリーブ色のガラスになっているのが特徴である。

食べ物関係では、トビウオやムロアジなどを使用した干物の一種である「くさや」が有名であり、アイモバでも大島/新島エリアのアイテムとして指定されていた。新島以外でもくさやは生産されているが、新島が元祖だといわれているそうである。

そして、お約束の新島をバックにちはみき撮りもきちんとやりましたよとw

千早「新島周辺の海はきれいですね。一日中眺めていたい気分です」

わいも、千早とともに海を眺めたい。

美希「ねえねえ。新島の海でハニーと一緒に泳ぎたいな」

最後に海水浴したのっていつだっけ? あー、高校の修学旅行以来ご無沙汰ですねえw

新島の向かい側には、地内島(じないじま)という無人島がある。

この写真に写っている島が、地内島だ。

人の立ち入りについては、釣り人が時折訪れる程度のものである。

新島の次は、式根島へ向かう。

疲れ+船酔いのせいもあり、ぐったりとしていて、横になるとすぐに寝てしまった・・・。

少し仮眠してたら、もう式根島野伏港内に入っており、接岸作業中であった。

式根島は、新島村の管轄内であり、ある意味属島としての扱いとなっている。

一説によると、かつて新島と地続きであったが、江戸時代の元禄大地震(1703年)の大津波によって新島から分離され、このため伊豆諸島は八島あるのに伊豆七島と呼ばれるとの伝説がある。

しかし、これは通説であり、確たる証拠があるわけではないようだ・・・。

式根島南部には、さまざまな温泉があり、伊豆諸島北部においては、温泉が一番多い島として有名である。

また、海水浴やキャンプ、釣りをする人たちも多く、夏場は多くの人でにぎわっている。

式根島野伏港にある防波堤の壁面には、手書きで「ようこそ式根島へ」というペイントがされている。

式根島から、新島を望む。

改めて、写真で見ると、断崖絶壁の島であることがみてとれる。

島全体を通して砂や地面が白く美しいさまがみてとれる。

また、度重なる群発地震により、ところどころ崩壊しているのが、おわかりいただけるだろうか?

式根島野伏港に到着し、タラップがかけられているときの様子である。

式根島も、利島と同様に、停泊時間はあまりなかったりするのだ。

式根島を遠くから眺めた写真がこちら。

利島や新島と比べると、式根島は、目立った山がないぶん存在が薄いように思えるが、実は港周辺以外は絶壁の島であり、砂浜は存在しないのだ。

式根島の次は、神津島へ向かう。この間は少し長い航海だ。

そして、神津島に到着した時のワンシーン。

当初は、多幸湾三浦港に入る予定であったが、予定が変わり、メインの前浜港に着岸となった。

写真を見ると、釣り人たちが船から降りているのがわかる。

桟橋と逆の方向から撮影したもの。写真に写っている集落は、神津島の中心地区である前浜地区(住所としては存在しないため、港基準で記載)である。

奥の山は、高処山で、右側(写真では見切れているが・・・)に秩父山がある。

そして、神津島についた記念に・・・やっぱり、ちはみき撮りであったw(式根島のときは、グロッキー+電波状況がよくなかったため省略)

千早「今回巡った4つの島は、それぞれ特徴がありますね。いつか、すべての島を巡りたいです」

わいも行きたい。

美希「ミキ。島めぐり楽しかったよ。」

わいは、船酔いでグロッキーw

停泊時間10分で、神津島前浜港を後にする。いつかは、神津島をじっくりと観光したいものだ。

ちょっと遅れたが、ここで神津島について軽く説明することにしよう。

神津島は、伊豆諸島の有人島としては最も西にある島で、島名の由来は、伊豆の島々を作るために、神々を集めて話し合う場がこの島であったことからといわれている。

ちなみに、江戸時代初期、キリシタンの朝鮮人女性ジュリアおたあが流罪になり、神津島で没したという伝説があり、島内には墓所とされるものがある。また、ジュリア祭が毎年5月に行われている。

余談だが、サザンオールスターズの『夢に消えたジュリア』がジュリア伝説をモチーフに作られたともいわれているそうだ。

ところで、奥に見える山は、神津島の最高峰天上山(標高571m)である。この天上山に登るために神津島に訪れるハイカーも少なくない。また、ここに「表砂漠」「裏砂漠」と呼ばれる砂地が存在する。

天上山と前浜港に背を向けて・・・さらば神津島。

その後、2時間あまりの航海を経て、出発地の下田港へと戻るのであった。

下田港に戻るまでほとんど寝てたけどねw 疲れと船酔いによるグロッキー、まじめに恐るべし。

伍:船酔いの後は、陸酔いに悩まされ・・・(静岡 下田エリア~帰着)

夕刻に下田港に到着した。

これから、また東京までNisTAXIで戻る旅をするのである。

しかしながら、あぜりあ丸に揺られたせいもあり、陸についてから、陸酔いに悩まされることに・・・。車酔いだけしなかっただけ、ましだったけども・・・。

帰りも助手席でNisPをナビゲートしながら、東京へ向けて車を走らせるのであった。

というわけで、使いまわしのルート図(下田港~修善寺の南側まで)がこちらw

下田港からひたすら国道414号を北上する。

ただひたすら帰るだけなので、特筆する点はないのだが、あえて余談を語るならば、中伊豆界隈はわさびの特産として知られている。ちなみに、アイモバにおける中伊豆エリアのアイテムは「わさび漬け」だったw

再び使いまわしのルート図(修善寺の南側~箱根峠まで)はこちら。

国道136・414号を北上後、三島市街で国道1号線に乗り換え、今度は静岡県側から、箱根の峠を攻めに行く。

国道1号の箱根峠~三島市街間は、何度も通っているだけに、物珍しさとかそういうものはないw

箱根峠に近いところで、わいの直近の界隈の一人である不健全(ここ重要)な白銀Pの代行案件を回収した。

自ら健全といっちゃっている人が、健全なわけがないw

箱根峠から横浜新道戸塚ICまでの使いまわしのルート図がこちら。

ほぼ、同じルートを通っているが、夕食の都合で、藤沢市内に限り、一部ルートを変更している。(面倒なので記載はしてないがw)

特に語ることは・・・ない!

下田から走ること3時間あまり・・・私の親戚の家にほど近い藤沢市善行界隈で遅めの夕食タイム。

NisP御用達の某ファミレスで、カキフライ定食を食べる。NisP手持ちの食事券でリーズナブルに食べられましたとさw

美希の大好物であるキャラメルマキアートをバックに壱枚撮るw

夕食後、親戚の家にほど近いガソリンスタンドで、給油作業を行う。

家に帰るのだるいから、ここで下車しようとも思ったのだが、アポなしでいくのは、さすがにきついので、おとなしく家に帰ることにしたw

横浜新道戸塚ICから解散地新木場駅までのルート図はこちら。

特に語ることはないw

22時前に新木場駅に到着し、NisPとわかれ、帰宅の途につくのであった。

自宅に帰る途中で、今回同行したNisPの案件を無事回収。ごちそうさまでした!


というわけで、過去のアイモバ遠征記録第拾弐弾はおわりでございます。

いよいよ黄色混じりながらも、アイモバ全エリア制覇が近づいてまいりました。

計画では、まだまだ半分程度くらいだと思ったのですが、どうしてこうなったんでしょうね?

わいが聞きたいぐらいです(ぉ

さて、次回のアイモバ遠征記録第十三弾の予告ですが・・・。

いよいよ、アイモバエリア制覇編の最終回を迎えます。

舞台は、再び伊豆諸島。目指すは三宅島!

現地に行くまでに紆余曲折はあったものの、なんとか三宅島に行くことができました。

今回の遠征は、あくまで船上からの島めぐりでしたが、次回の遠征では、ついに伊豆諸島の地を踏むことになります。

三宅島/八丈島エリア制覇の瞬間、そして三宅島に到着して、わいが見たものとは・・・

次回は、今年中に前編がかけるかどうか・・・。もしかしたら来年になるかもしれませんw

てか、なんだかんだでアイモバ終了から1年経つまでには終わらなそう・・・。長い目でみてやっていただければと思います。

でも、いうてこれから大長編はないはずですので、サクサク記事が出てくるものと信じたいです。たぶんw

ではでは、今回もご覧頂きましてありがとうございました。

気が付いたら今回の記事の文字数1万文字を越えてたとか(ボソッ)


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