【アイモバリアルグルメツアー】室町時代から存在する泉北エリアのけし餅を求めてふらっと堺へ向かう

こんにちは。北陸の食パンです。

最近は、パラダイムシフトの成果もあってか、Twitterに浮上すること自体が稀になりましたけれども、浮上が少ない日常に慣れちゃうとまあこれくらいがちょうどいいのかなと思ったりしますね。

先月下旬にブログ更新しようと思いましたら、身内の不幸がありまして、それどころではございませんでした。よって当初より遅れましての投稿となりましたことご了承いただければと思います。

それはさておき、今回は「アイモバリアルグルメツアー」第伍拾弾の記事をお送りします。この地味な企画もいよいよ50回達してしまったわけですけど、終わりはまだ見えねえからなあ・・・。去年、今年と取材回数増やしたといえど、まだ行ってないところありますからねえ。消化回数増やさねばって感じっすけど・・・。

内容ですけれども、泉北エリアの「けし餅」を食べるために現地に行ってきました。

相変わらず公私共に忙しく、ブログ更新がローペースですみません・・・。

それでは、早速本題に入りましょう。

アイモバにおける泉北エリアのけし餅の説明文は「たっぷりとけしの実がまぶしてあります。香ばしさが際立ちます☆体力が少し回復します。」と書いてありました。

けし餅は、漢字で書くと芥子餅と書きます。けし餅の歴史は、かなり古いもので、室町時代に遡ります。

室町時代における堺という町は、日明貿易(勘合貿易ともいう。室町時代後期は南蛮貿易と呼ばれていた)で栄えていました。室町幕府公認の貿易の他、有力な商人が貿易に参入しており、室町時代が終わるまで堺は非常に重要な町でした。

室町時代後期の南蛮貿易において、インドからもたらされたものがけしの実で、大阪・堺・和歌山周辺で栽培が始まりました。のちに、千利休によって広められたお茶の習慣が、数多くの和菓子を生み出し、その中でけしの香味を活かして考案されたのが、「けし餅」というわけです。

けし餅は、堺の名産品になり、今では、堺市のけし餅といえば、「本家小嶋」と「小島屋」が有名であります。なお、店の位置関係は、阪堺電車の宿院駅を挟む形でほぼ対角線上にあります。

ちなみに、「本家小嶋」は漢字表記の芥子餅、「小島屋」は、本稿の表記で用いているけし餅という形で販売されていますが、見た目などはそれほど変わりません。

そういえば、このけし餅についてはツイートしてませんでしたね。ということで、もし、ツイートしてたら、おそらくこういうツイートをしていただろうという文章を即興で書いてみました。

「第●●回目は泉北エリアのけし餅。 室町時代貿易で栄えた堺の町に、けしの実がもたらされ、室町時代末期に始まったお茶の習慣により様々な和菓子が生み出され、お茶の友としてけしの実をふんだんにまぶした和菓子として、堺の名産品となりました。」

たぶん、これでimas505iタグ・アイモバリアルグルメツアータグ、画像を添えれば140文字以内になるんじゃないですかね。きっと。(旧Twitter基準だと文章だけで117文字が限界ですので・・・。それにハッシュタグと画像のURLの文字数を加算して140文字って感じです)

いつも通りのお約束ですけれども、このブログにおけるリアルグルメツアーの紹介順は相変わらずランダムなので、そこのところはよろしくです。


(取材したのは2020年10月です)

アイモバリアルグルメツアー取材旅も最終日を迎え、残りは堺まで足を伸ばし、案件をこなせばあとは帰るだけという行程となりました。

宿泊先のホテルを出て、地下鉄で天下茶屋に出て、それから南海電車に乗り換えて、堺まで移動して、堺から目的地まで歩くことにしました。

しかし、大荷物を抱えての移動ということで、思ったよりも歩くのに時間がかかり、ちょっと疲れてしまいました。

今回は、堺のけし餅の中でも一番歴史が古い「本家小嶋」にやってきました。

室町時代末期に始まったお茶の習慣により様々な和菓子が生み出されはしましたが、まだ千利休がお茶の習慣を広める前にけし餅は誕生していたそうです。

この「本家小嶋」は、もともと「菓子屋吉右衛門」として創業され、のちに屋号を「小島屋」に改めて営業をしていました。しかし、その後、詳細は不明ですが、お店が続けられなくなり現在の「小島屋(小島屋 泰芳)」に屋号を売り、延宝年間(江戸時代)に現在の「小島屋(小島屋 泰芳)」が誕生したという経緯があります。

戦後、現在の「本家小嶋」が、再びお店を復活させる際にもともとの「小島屋」という店名を使用したため、裁判沙汰になったそうです。ちなみに、8年間に及んだとか・・・。

結局、「小島屋」の屋号は、江戸時代から創業した「小島屋(小島屋 泰芳)」が引き続き名乗る形となり、元々の「小島屋」は、「本家小嶋」という屋号となり、現在に至ります。

そんなわけで、「本家小嶋」と「小島屋」が、堺のけし餅の代表格という形になりました。この話を書いてると、裁判沙汰まではいかなかったけど、天むすの話を思い出しますね。ええ・・・。

なお、下調べでは「本家小嶋」も「小島屋」も把握してたのに、なぜか後者の「小島屋」によらずに帰ってしまったという痛恨のミスをやらかしたのはここだけの話で・・・。今度後者でも再履修しますか・・・。

店の入り口の横に「本家」とか「元祖」とか書かれていますが、これは本物です。たまに、「本家」とか「元祖」とか書いてあって実際は宣伝目的のためにわざとそうつけたなんていう事例もありますけれども、ここはそういうのではなくて、正真正銘のけし餅(芥子餅)の「本家」であり「元祖」なのです。

ちなみに、今回うっかり立ち寄り忘れた「小島屋(小島屋 泰芳)」に関しては、新大阪駅の土産屋やネット通販などでもけし餅が売られていますが、今回取り上げる「本家小嶋」のけし餅(芥子餅)は、堺の店頭まで行かないと手に入りません。

まさに希少価値が高いというわけですね。もちろんネットでも売ってません。(理由は後述)

また、売り切れ次第店を閉めてしまうということもあるため、2つの店のけし餅を食べ比べたいと思う方は、まずこの「本家小嶋」から行きましょう。なるべく朝早い段階で行くのがおすすめです。午後とか夕方だと、運が悪いと店が閉まってることもあり得ますので・・・。

さて、店の中に入るとすごくこじんまりとしておりますが、いろいろなものが飾られてます。まさに「和」っていうイメージが似合いますね。

のれんの上の「慶運興」という大きな文字で書かれた装飾品がありますが、「荘炳章」(愛新覚羅善耆(粛親王)の秘書官長)に賞味され、めでたい気運が生ずることを意味する文字が送られたのだそうです。

そして、のれんの向こう側から職人さんらしい風貌の若そうな男の人(店主かどうかは確認できませんでしたが・・・)がやってきまして、けし餅(芥子餅)を注文しました。注文を聞いた後、またのれんの向こう側へと消えて行きました。

「本家小嶋」のけし餅(芥子餅)の特徴として・・・

  • 手作り
  • 当日の製造販売
  • 堺の銘菓
  • 添加物一切不使用

の4つの特徴があります。

前述の通り、売り切れ次第店を閉めてしまうわけですが、手作りかつ当日の製造販売にこだわっているからこそというわけなんですね。

だからこそ、注文を聞いてから作り始めるという点においては、昔ながらの製法を守っている証拠とも言えるのではないでしょうか?

「本家小嶋」では、主力商品であるけし餅(芥子餅)のほかにも、ニッキ・泰平餅・安平(アンピン)・翁という商品も出しています。

求肥を使っているのはどれも共通ですが、それに加えて何をまぶしたりしているのかで商品名が違うそうです。

ニッキは、その名の通り、古くから漢方にも用いられるニッキを練りこんんでおります。また、安平(アンピン)は、きめ細やかな求肥を丹念に練り上げたこし餡で包んでおり、翁は、丹念に練り上げたこし餡をきめ細やかな求肥で包みきな粉をまぶし、竹串でさしたものとなっています。

店頭で予約なしで買えるのは、けし餅(芥子餅)とニッキのみで、その他は原則として事前に電話で予約(前日までに予約が必要)してから店に向かう必要があります。

「本家小嶋」で売っている各種和菓子は、1個からでも買えるので極めて良心的です。

また、箱入りの状態でも売られていますが、一部は前日までに電話予約する必要があります。(けし餅とニッキだけなら当日店頭に向かってからでも問題ないようです)

一角には1970年の大阪万博(正式には、日本万国博覧会)で受賞したと思われる総裁賞と感謝状の額が飾られていました。

ちなみに、大阪万博当時に、日本万国博覧会記念の全国和生菓子大品評会が催されました。対象については大阪府内の和菓子を作っているところのみで行われていたそうです。

大阪万博から50年の時を経ても、色褪せない感じがいいですね。

そんなこんなで、職人さんがまたやってきて、無事にけし餅(芥子餅)を購入しました。店内に他のお客さんもいたので、早々に店を後にしました。

そして、堺から南海電車のフラッグシップともいえるラピート号に乗って、難波まで移動しました。なんばで野暮用を済ませた後、新大阪まで地下鉄で移動し、いよいよ関東に戻るといったところで、さっき買ったけし餅(芥子餅)を食べることにしました。

これは、試しに食べようと思って、1個買ったもので、それとは別に家族用にいくらか買っています。

けし餅の特徴ですが、小豆のこしあんを餅皮で包み、けしの実をふんだんにまぶしたものとなっています。(【この部分は「本家小嶋」の公式よりHP引用】丹念に練り上げたほんのり甘いこし餡をきめ細やかな求肥で包み、芥子の実をまぶしたお菓子)

室町時代からずっと作られてきているこのけし餅(芥子餅)は、一切添加物を使用しておらず、生菓子としては日持ちがいいのが特徴となっています。

また、硬くなった時には遠火であぶれば軟らかくなり、香ばしくなるのも特徴です。硬くなったからといって食べるのを諦める必要もないわけですね。

それにしても、かなり昔になんか見たことあるというか食べたことあるような気がしてなりませんね。まあ、ガキの頃の話なので見覚えはあるけど、確かな記憶はないっていう感じですが・・・。

食べかけの写真で恐縮ですが、丹念に練り上げたほんのり甘いこし餡をきめ細やかな求肥で包み、芥子の実をまぶしたお菓子だよっていうのを示すために、あえて載せました。

わいが想像していたよりもとても美味しくて、これならお茶の友として何個でも食える。そんな感想です。和菓子っていうとどうしても年輩の方が食べるようなイメージが強いですが、こし餡があまり好きじゃない方には安易にお勧めできませんけれども、そうでない方には是非とも一度は食べて欲しいと思いましたね。

これは、また買いに行きたいと思いました。今度は、取材当時に立ち寄り忘れて閉まった「小島屋(小島屋 泰芳)」の方にも立ち寄って、けし餅(芥子餅)マニアなら外せない「本家小嶋」の芥子餅と「小島屋(小島屋 泰芳)」のけし餅の食べ比べとかしてみたいと思います。


ということで、アイモバリアルグルメツアー第伍拾回目、泉北エリアの「けし餅」のレポートをお伝えしました。

今回は、今まで通過することしかしなかった堺の町に降り立って、けし餅(芥子餅)を買うためだけにやってきましたけれども、堺は室町時代の港町として栄えた他にも、古墳時代にたくさんの古墳がつくられまして、最大級の古墳である大仙古墳(仁徳天皇陵)もあります。

まだ、大仙古墳とかは行ったことがないので、今度は行ってみたいと思いますね。ついでに、また、けし餅(芥子餅)を買いに行きたいなと思っております。

さて、次回のアイモバリアルグルメツアーは、秋といえばやっぱり●●ごはん、京都府中部エリアのアイテムを取り上げたいと思います。(身内の不幸の都合等により、当初の予定より遅くなるので季節外れになっちゃいそうですけど・・・)

あまり過度な期待はなさらずにお待ちくださいね。


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