こんにちは。北陸の食パンです。
アイマス関係では、デレマス5thツアーがついに始まりましたが、いろいろな面で試されているようで・・・。
わいも、いくつかの会場で会場推しくらいはやろうと思います。7月の幕張は確実に行きます。
さて、今回は、久々にGW期間中に、知り合いのアイマスP(ZAKIX虎Pさん)とお会いして、3日間旅行した記録の続きということで、今回は最終日の模様を記事にしたいと思います。
過去記事を読んでいらっしゃらない方は、ぜひこちら(1日目)とこちら(2日目)を読んでから、今回の記事をお読みいただければ幸いです。
それでは、本題にうつることにいたしましょう。
目次
3日目 本州最南端を目指し いざ南紀へ!
5/1(2日目)は、鉄道成分たっぷりのマニアックなツアーを展開したが、今度は三重を飛び出して、南紀もとい和歌山県の本州最南端を目指し旅することとなった。
4/30・5/1ともに濃く楽しい旅をしたが、そんな旅もこの5/2で最終日を迎えてしまう・・・。
ちなみに、この日に関しては・・・
晴れていたら本州最南端の潮岬を目指そう
ということは、遠征1週間前に決定していた。
そして、当日、見事な晴れということで、潮岬まで行くことにした。
また、この日のミッションとして・・・
- 昼飯にめはり寿司を食べる
- 夕飯になれ寿司を食べる
の二大ミッションを敢行することとした。まあ、だいたいアイモバリアルグルメツアーの取材をするせいなんだが。
ということで、我々は無事に潮岬までたどり着けたのか・・・。前説はここまでにして本文に入りましょう。
澄み切った青空の下、快適南紀ドライビング
一応、8:00~8:30の間にキャンプ地を出る予定でしたが、結果的に9:00前になりましたw
まあ、中日のようにきっちりというわけではないので、無問題なわけですが・・・
そして、マップを2枚並べる。
キャンプ地から、伊勢自動車道・紀勢自動車道を経由し、一路南紀へと向かう。
順路的には・・・
- 七里御浜
- 橋杭岩
- 潮岬
- 新宮駅
の順で、帰着地は、わいの帰りのバスの乗車地である伊勢市駅となる。
勢和多気JCTから進路を変えて、紀勢自動車道へ。紀勢自動車道は、基本的に対面通行区間となっているため、このような道がずっと続いている。また、山を貫くこともあり、トンネルの数もかなり多いのが特徴となっている。
紀勢自動車道の途中でいったん小休止。
ここは、紀勢自動車道紀北PAである。ZAKIさん、わいともに初訪問である。山奥のPAだと、だいたいトイレと自販機しかないイメージが強いが、ここは売店なども併設されており、そこそこにぎわっていた。
なお、無料区間のため、上下線供用となっている上に、折り返しすることも可能な構造になっている。
紀北PAにて停車中のZAKIさんの車を撮影。山中でもかなり目立つ感じがした。
勢和多気JCTから続く紀勢自動車道は、尾鷲北ICまでの開通となっている。
そして、尾鷲北ICを降りて、左側をむくと、このようにまともそう(まともとは言っていない)な道が見える。
それでもって、この写真を見てノーヒントで回答を導き出せた方、あなたは立派なマニアです。
わからない方にあえてヒントを申しますと、この写真では、片側1車線が確実に確保されているまともそう(ここ重要)な道路に見えます。
それから、今から、事実を申しますので、お聞きください。
このまともそうな道は、わずか数百メートルで終了です。
つまり、何が言いたいかっていうと・・・。
次第にこのような貧弱な道に変わります。なお、これでも国道の模様。
というわけで、もう答えを言っちゃってますが、先ほどの道、酷道マニアにはたまらないあの有名な・・・
国道425号(通称:シニゴ【由来は死にGOから】)
だったんですよねーw
4年弱ぶりに見た風景に思わずウズウズしましたな。
ちなみに、この425号は、尾鷲から奈良の山奥を経由して、御坊までつながってますが・・・。
お察しの通り、一般ドライバーが楽に走れる道ではありません。
町や村の中心地は、片側1車線が確保されている場合がありますが、山奥のほうは、1車線幅しかないのがこの国道425号の常識です。
知識なしに突っ込むと確実に痛い目にあうので、気を付けようねw
余談ですが、2017年5月現在、奈良県のわずか数百メートル区間で通行止規制がかかっているため、車両での全線走破はできない模様・・・。
ちなみに、過去に、国道425号の一部区間を通行したときの様子は、こちらからご覧ください。(記事中ほどにあります)
なお、今回は国道425号を走ることが目的ではないので、スルーしました。はい。
国道42号の熊野市街の海岸沿いを走行していると、写真のように多数の鯉のぼりが泳いでいた。
この近辺においては、毎年GWのときに鯉のぼりを泳がせているとのことである。(ちなみに、イベント名として「 泳げ!鯉のぼりくん」という名がついているそう)
慌てて、窓越しで撮ったので、わいの姿が写ってて申し訳ない・・・。
ちなみに、8月中旬には、このあたりを中心として、「熊野大花火大会」が行われており、熊野周辺でかなりのにぎわいを見せる一大イベントとなっている。
そして、御浜町内の七里御浜で、ZAKIさんが、景色がいいから一回休憩しようとの提案があったので、わいもそれに乗る。
幸い国道沿いに無料駐車場があったので、そこに車を停めて少々散策した。
そして、別方向を見てみると、なんとヤシの木が生えてるんですよねえ。
まさか、三重県でヤシの木が見られるなんて思ってませんでしたよ。約4年前に、アイモバ遠征で通った時は、近くの道の駅で仮眠した後、朝方このあたりを走っているはずなんですけど、急いで新宮に向かったから、あまり気にしてなかったのかもしれない。
ヤシの木の下では、フラダンスの集団がおり、PVかなんかの撮影が行われていた。詳細はよくわからないが・・・。
ZAKIさんが、真のねんぷちを使って撮影している間に、下へと降りて撮った写真。(万が一、ねんぷちが下に転がってしまった場合、早急に対応できるようにするために降りてた)
ここだけ異空間だけど、ここは気にいった。今回は、ここが目的地というわけではないので、あまりゆっくりはできなかったのだが、次回機会があれば、ヤシの木に近づいてゆっくり休みたいと思ったりw
さらに、今思えば、もう少し近づいて写真を撮ればよかったかなあと・・・。
そういえば、さっきの鯉のぼりの写真にあった海岸も実は「七里御浜」だったんだよなあw
七里御浜で休憩した後は、特急(ワイドビュー)南紀を撮影しに向かう。
時刻表とにらめっこして選んだのは、三重・和歌山県境にある熊野川橋梁である。
余談だが、JR東海とJR西日本の会社境界は、この熊野川橋梁を和歌山県側に渡った後の、丹鶴トンネル入り口付近にあるらしい。
ちなみに、手前に写っている道路が、国道42号の旧道で、また、奥に見える城は、新宮城跡である。
そして、青空の下、特急(ワイドビュー)南紀1号が通過していった。
なお、後追いはダンプ通過のため、まともな写真が撮れず轟沈してしまった旨をここに申し上げる。
ちなみに、この写真に写っているキハ85は、すでに置き換えられることが決定しており、数年後にはこの熊野川橋梁を通る姿が見られなくなってしまう可能性もある。
和歌山県随一の景勝地に寄りつつ、いよいよ本州最南端へ!
特急(ワイドビュー)南紀1号撮影後、いよいよ和歌山県へと向かう。時刻は11時40分ごろ。意外に時間が過ぎるのが早い印象があった。
熊野川にかかる道路橋。熊野大橋である。
手前の緑色の橋梁が旧橋梁、奥の赤い橋梁が新橋梁(新熊野大橋)である。
ちなみに、熊野大橋および新熊野大橋は、熊野川の一番河口寄りに位置する橋梁で、かつ近隣に橋梁が存在しないことから、慢性的な渋滞が頻発する傾向にある。(そもそも、新宮市街地が、渋滞しているのでそのあおりを受ける形にはなっているが・・・)
なお、熊野大橋に関する簡単な解説は、こちらをご覧ください。(記事中ほどにあります)
そして、旧橋梁のほうの熊野大橋を渡る。旧橋梁のほうは一方通行で、自動車に関していえば三重県→和歌山県方向にしか進むことができない。
新橋梁のほうは、先ほども申した通り、慢性的な渋滞になりやすいので、素早くわたりたいなら旧橋梁を経由した方がいい場合もある。(しかし、橋梁を渡った先で渋滞に巻き込まれるのはお約束)
そして、県境の標識を撮る。
この熊野大橋の旧橋梁に関しては、いまだに国道の指定を外れていないため、堂々と国道42号の標識が掲げられている。
なお、三重県側の旧道に関しては、紀宝バイパス全通時に国道指定から外れている。
その後、新宮市内の渋滞にはまりつつも、渋滞を抜けてから那智勝浦新宮道路を経由して、いよいよ潮岬のある串本町へと入っていった。そして、和歌山県南紀地方における景勝地である橋杭岩に到着する。
記事の都合上、話が前後してしまうが、橋杭岩を軽く眺めた後、近くの飯屋で昼食を取ることに。
ここで、この日のミッションの一つである「めはり寿司」(左)と「さんま寿司」(右)を食した。
この両者とも南紀地方においての郷土料理の一つとなっている。
「めはり寿司」に関しては、後日アイモバリアルグルメツアーの記事で特集する予定である。(詳細記事はこちらからどうぞ)
昼食後、ちょうどいい時間に「くろしお22号」(オーシャンアロー車両充当)が通るので、住宅地の小道(ただし、私道ではない)に入り、オーシャンアロー車両(283系)を撮影する。
後追いもそこそこいい感じで撮れた。
実は、この「くろしお22号」は、とっても面白い要素が含まれているのです。それは、いったいどういうことだろうか?
それでは、聞いてください。
なんとこのくろしお22号の列車番号が「72M」。これは何かのぐうz... って、千早、うわ、やめ、何をする、ちょっとほんまごmくぁwせdrftgyふじこlp(無事粛清されましたw)
それはさておき、今回一緒に旅をしているZAKIさんは、この「くろしお」に非常に思い入れがあるらしい。詳しくは、後で話すことにしよう。
昼食を食べたところの近くには、橋杭岩という奇岩群がある。
橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っており、直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。
また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができるそう。
橋杭岩は、1500万年前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入したもので、貫入後に差別侵食により、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残されたものらしい。
そんなわけで、橋杭岩を間近に見たのは初めてであるが・・・。
どうやら、やってきたときは干潮のようで、岩の周辺を歩くことができそうだ。ちょっと歩いてみますか。
ちなみに、このときZAKIさんがスナイパーのように真のねんぷちを撮影して、ツイートしてたのはまた別の話w
橋杭岩の立て札も撮る。吉野熊野国立公園に属しており、国の名勝や国の天然記念物の指定も受け観光名所となっている。
時間の都合上、奥の島まで渡ることはできなかったが、この干潮の具合であれば、余裕で歩けたのかもしれない。
余談だが、橋杭岩にまつわる伝説は以下の通り。
昔弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、ニワトリの鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた。弘法大師は諦めて作りかけでその場を去った。そのため橋の杭のみが残ったという。
干潮ということもあり、潮だまり(タイドプールともいう)ができており、岩礁海岸のような風景である。
潮だまりには、ヤドカリや稚魚などがおり、ZAKIさんとともにしばし眺めた。また、ZAKIさんが、わいにいろいろと解説してくれた。
ただ、潮だまりがあるときは、足元をよくみて歩かなければならない。先ほど申した通り、潮だまりには生き物がいるのはもちろんのこと、水はねにも注意せねばならない。
橋杭岩の中でも、ひときわ目立ってると思ったので、思わず撮影してしまった。
岩の近くまで行くと、そこには太平洋があった。砂浜と違って、潮の流れが早かったりするので、安易に入らないようにしよう・・・。
そして、本州最南端へ
橋杭岩に立ち寄った後は、いよいよ真の目的地である潮岬へと向かう。
「望楼の芝」から潮岬タワーを見る。
わいにとって、この「望楼の芝」は好きな場所の一つである。
余談だが、この「望楼の芝」を見てわいが、「ここで、ハイファイデイズのジャケットのあれできんじゃね?」っていったのはまた別の話w
そして、本州最南端の碑(2つあるうちの最も最南端側)も撮影する。
前回は、アイモバのカメラで千早と絡めて撮影してたっけw
実際の本州最南端は、この写真にあるクレ崎なのだが、当然危ないので立入は基本禁止されている。(中には、立ち入る人もいるらしいが、危険なので勧めはしない)
そして、本州最南端の場所から少し歩いて、潮岬灯台に到着。
前回訪問時は、失念してしまったために、今回訪れることができてよかった。
この灯台は明治初期の江戸条約によって建設された8基の洋式灯台(条約灯台)の一つで、歴史的・文化的価値が高いAランクの保存灯台に指定されているほか、「日本の灯台50選」にも選ばれている歴史ある灯台だ。
灯台に登って、展望を楽しめるのはもちろんのこと、潮岬灯台の歴史や貴重な資料などを展示している展示室もあるので、必見だ。
潮岬灯台から東側を望む。
雄大な景色にはただただ感動するばかりだ。
写真をよく見ると、海岸沿いにおりられる道が存在するようである。次訪問した時は、ちょっと歩いてみちゃう?
潮岬灯台の南側、太平洋を望む。
太平洋上には、潮岬の沖合を行き交う船舶が多数見られた。
実は、わいも船舶に乗って潮岬の沖合を通過したことならありますけどね。ええ。
潮岬灯台から西側を望んだ図。
この写真を見ると、本当に本州最南端なのかと思ってしまうが、実は北西方向をむいて撮っている(ぉ
先に見える陸地は、おそらく和歌山県すさみ町近辺であると思われる。
潮岬タワーから「望楼の芝」東側を望む。
ちなみに、この写真を見るとまさに・・・
ここをキャンプ地とする
であるw
実は、「望楼の芝」東側にはキャンプ場があり、有料期間中については、写真のように範囲を拡大して営業している。
一回ここでキャンプしてみたいですけどねー。わいの住居からキャンプするには遠すぎっすねー(棒
潮岬タワーから「望楼の芝」、本州最南端の碑方面を望む。
そして、帰ってから気づいたのだが・・・
本州最南端の碑の近辺が前回訪問時と変わっていることがわかった。碑の後ろ側に建物があったはずだし、展望部分に至っては、あんなきれいに整備されてなかった気がしてたのである。
あのときは、言わなかったが、ちょっと違和感を感じていたのだ。
一応、4年前の画像(アイモバ遠征してた当時)のものを引っ張り出す。
この碑の前で撮ったZAKIさんの写真と比べると、やっぱり変わっているという確信が得られた。
建物より先の展望台部分も、昔に比べて貧弱なつくりであったのもお分かりいただけるだろうか。
ちなみに、碑の後ろの休憩所は、老朽化に伴い、2014年に撤去されたらしい。
潮岬タワーのところにある本州最南端のポストと本州最南端の灰皿を撮影。
ポストはわかるけど、灰皿まで表示されてるあたり草生えたとさw
新宮で最後の撮り鉄と最後の晩餐、そして旅は終わりを迎える・・・
最後の目標(?)である潮岬に到達後は、いよいよ伊勢に向けての帰り旅、もとい今回の遠征の終わりを迎えるために、北上することとなる。
最初は、新宮に行く前に那智の滝に寄る予定だったが、新宮駅でいい時間に(ワイドビュー)南紀とオーシャンアロー車両が撮影できることが分かり、那智の滝に寄ることを放棄して、新宮駅へと向かうことになった。
これだから、鉄クラスタは・・・
まあ、わいの場合は、那智の滝は2回(2013年・2015年)いってるから、まあいいかという感じであった。ただし、いった2回とも悪天候だったけどさw
一応、復路のルート図がわりにマップをば。
基本的に行きの道をたどるだけなので、変わり映えがないが、帰りは新宮駅に立ち寄っている。
最初に撮影したのは、17:55発多気行のキハ25である。
ちなみに、この多気行・・・
多気行の最終列車です(ここ重要)
なお、後の列車はすべて紀伊長島どまり。JR東海ほんまにやるきねえなあおい
余談だが、この多気行に乗った後、普通列車乗りつぎ旅をすれば、名古屋まではなんとかたどり着けますw
キハ25を撮影した後に、283系オーシャンアロー車両が入線してきたので撮影。
JR西日本の特急型車両の中では、一番好きな車両である。
ちなみに、新大阪からくろしお13号としてやってきたもの。
283系オーシャンアロー車両の新宮方先頭車両である。
一度グリーン車に乗ってみたいところだが、いつのことやら・・・。
そして、特急(ワイドビュー)南紀8号名古屋行を撮る。
この新宮駅が、駅上におけるJRの会社境界(なお、本物の会社境界は、前述の通り、熊野川橋梁近くにある)のため、乗務員の交代が行われる。
そういえば、JR西日本の制服が今春変わったのは、知っていたが、JR東海の制服に関しても今夏に変わるという噂が・・・
でも、ぶっちゃけ両社とも旧制服のほうがかっこいいし、新制服がださく見えるなんていえないw
余談だが、この南紀8号が名古屋行特急の最終(17:30発)となっている。
そして、折り返しくろしお34号(新宮17:55発)となる、オーシャンアロー車両。
この列車が、新宮発新大阪方面行特急の最終列車となるのだ。
てか、夕方なのに最終列車おおすぎじゃありませんかねえ
ここで余談だが、先ほど述べたZAKIさんが、くろしおに思い入れがある理由をここで明らかにしよう。それは・・・
ZAKIさんの父方の祖父(3年前くらいに他界されたそうである)が、かつてくろしおに車掌として乗務していたとのことである。
おそらく、ZAKIさんにとっては今回の伊勢遠征の中で、最終日が一番よかったのではないかと、わいは勝手に思っている。
最後に105系ローカル電車を撮影する。JR西日本にしか走ってない車両で、関西圏では、和歌山・奈良周辺で活躍しているほか、広島・山口方面でも活躍している。(ただし、広島地区に関しては、後継の227系への置き換えが進行している)
新宮近辺のローカル列車は、すべてロングシートのため、旅情という面を考えれば、物足りNASAMAXである(ぉ
新宮駅で撮り鉄活動後は、いよいよ最後の晩餐へ・・・
最後の晩餐はご当地グルメの「なれ寿司」。
さんま・さば・あゆの三種類あるが、今回は一番オーソドックスなさんまをチョイスした。
感想など詳しくは、後日アイモバリアルグルメツアーで特集するので、しばしお待ちを。(なれ寿司の詳細記事はこちら)
さすがになれ寿司だけでは足りないので、ほかにも注文した。
まずは、あじの刺身。地魚はやっぱりうまい。酒があると最高なのだが、車だし、ZAKIさんに対して非常に失礼に値するので、酒は頼まなかったですぞw
そして、最後は刺身定食で。おいしかった。おいしかったけど、味わって食うどころの問題ではなくて、マジで時間がなくてかきこみながら食う羽目に・・・。
ぶっちゃけ、刺身定食が出てきたころ、かなりヒヤヒヤしていた。
なぜ、ヒヤヒヤしていたのか。それでは、聞いてください。
わいの帰りの高速バス乗車まで2時間半切りました。
会計も刺身定食を食っている途中に支払って、2人とも超必死で食ってた。
食った後も急いで駐車場まで戻り、そして伊勢市駅に向けて急行する。
そして、あまり意味をなさないかもしれないが、最後のマップがこちら。
新宮駅から行きに通った道をたどり、伊勢自動車道伊勢西IC(マップでは伊勢ICと便宜上表記している)でおりて、伊勢市駅へと向かう。
なお、新宮からの帰りは、ZAKIさんがここで本気の走りを見せた。まあ、時間がないからというのもあるのだが・・・
ちなみに、伊勢に間に合わなかったら、松阪まで行く予定であったが、ZAKIさんの本気の走りのおかげで、バス乗車30分前の21:30に伊勢市駅についた。
最初の待ち合わせ場所に戻って、ここで3日間お世話になったZAKIさんの車ともお別れである。
そして、バスが出発する伊勢市駅まで歩く。
そして、バス待ちの間に夜の伊勢市駅の駅舎を撮影。前回の式年遷宮の際に改築したそう。
そして22:05頃に、定刻より5分遅れでバスに乗る。そして、バス発車時にZAKIさんに見送られ、今回の伊勢遠征は幕を閉じた。
ということで、2017年GW伊勢遠征の最終日の記録は以上になります。
2日目に比べれば、成分濃い旅というよりは、そこそこ気ままに旅したような感じになりました。それもそれで全然オッケーなんですがね。また、当初たててた目標は達成できたので大丈夫でしょうw
そして、3日連続鉄道成分摂取は欠かしませんでしたとさw それは、アイマス以外にも共通の趣味がないとなしえないわけでしてー
以上、今回の記事を持って2017年GW伊勢見聞録は終了です。
旅日記書くときは、いつも後回しにする傾向があるのですが、今回はそうもいかないので、できるだけ暇を見つけては書いていくという感じで、そこそこ早めに書き終えることができました。
次回、ZAKIさんとエンカウントするのは、デレマス5th静岡会場の予定ですね。楽しみにしております。
では、最後に今回の遠征記事を、お読みいただきましてありがとうございました。