こんにちは。北陸の食パンです。
今年に入って色々と忙し過ぎて相変わらずブログの方は最低限の更新(この前行われていたライブのアレ)くらいしかできてません・・・。
相変わらず特定都道府県に出ている緊急事態宣言はまたまた延長ですし、まん延防止等重点措置(いわゆるまん防)も継続中ですね。ちなみに、先月はまん防を記念して実際にマンボウを初めて食べてみましたw
需要があれば記事にしますが、まあないでしょうw
さて、今回は久々にまともな旅行記(?)ということで、春先の緊急事態宣言明けに久々に東京の島嶼部の一つである伊豆大島に突発日帰り旅してきたときの記録を書こうかと思います。
実際来た時は、ゆっくり走って見ながらスルーしてしまったが、間近で見た方がいいなと思い、一旦引き返して、近くの空いている道路脇のスペースに車を止める。
一応道路上に停車できるスポットがあるが、ゆっくり見たり撮影するには不向きなので、波浮港方面側にある道路脇のスペースに停めて見に行った方がいい。
地層大切断面は、外国の火山研究者にも広く知られた自然遺産的断面で、高さ約30メートル・長さ約600メートルにわたって続く素晴らしい風景は一度は見て欲しいと思う。特に晴れの日なら本当に映える景色だ。 およそ150から200年程度に1回という大噴火によって降り積もったスコリア・火山灰主体の降下堆積物等が幾重にも積み重なり見事な縞模様が見られるのが東京都で見られるのがある意味驚きである。東京都の本土では見られない感動がそこにあるのだ。
最も「バームクーヘン」っぽい地層を撮ってみた。もちろん食べられません。(当たり前)
なお、島の名物の一つにこの「バームクーヘン」をイメージしたモノホンの「バームクーヘン」もあるので、木になる方は是非とも買ってみてはいかがだろうか?
こちらは大島の南側にある集落である「差木地」の港上にある展望広場(差木地みなとまち広場)より、伊豆大島の南側を撮影したものである。写真の右側に写っている島が利島で、左側に写っている島が新島である。
ちなみに、差木地みなとまち広場では予約制ではあるがBBQをすることも可能である。
そして、差木地を過ぎて伊豆大島随一の漁港を擁する波浮港へとやって来た。
波浮港はもともと、元々は「波浮の池」と呼ばれる火口湖であったが、江戸時代に開港され、火口湖の地形を活かした静かな湾の良港となり伊豆諸島の廻船や東西の廻船にとって航海の安全と多くの利便性を与える場所となり、多くの船で大変賑わったそう。
また、港の東側にはノスタルジック溢れる街並みがあり、数々の文人や画家などの文化人も多く訪れた場所としても知られている。今では主な港の機能は岡田港と元町港に譲っているため、静かな港町になってはいるものの、かえって静かに過ごせる随一の場所になったとも言える。
波浮港を上から見るとこんな感じになっている。(見晴台より撮影)
写真奥側に写っているのが波浮の街並みである。今回は残念ながら時間の都合上ゆっくり歩くことは叶わなかったが、次回訪れた際きちんと再履修したいと思った次第である。
そして、波浮港から少し北上すると海の上に見事な岩がぽつんと立っている。
これは筆島と呼ばれており、その姿が筆の穂先に似ていることからその名がついたとされている。海中から高さ約30メートル程あり、後ろの断崖絶壁とあわせてダイナミックな景観が楽しめる場所となっている。また、ここで100万年前から数十万年前に活動していた火山が、のちに筆島火山と名づけられ、この火山の火道で固まった岩であると推測されているそう。
筆島を広角で撮影するとこんな感じになる。大島の断崖絶壁の風景を合わせるとなかなか絵になるので5分程度でもいいから訪れておきたい場所だと思う。よっぽど物好きじゃない限り30分〜1時間滞在するほどではないと思うけども。
筆島を後にし、島の東側を北上する。大島の東側は波浮〜泉津まで集落が全くと行っていいほどなく、場所によっては携帯電話の電波すら入らない場所もあり、おまけに道も結構険しいので事故だけは起こさないように気をつけてほしい。
そして、途中で大島一周道路からそれて、大島で一番行きたかった場所へ行くことにした。ちょっと時間との戦いになるのであまり長居はできなかったけれど・・・。
ということで、突発伊豆大島の旅のレポでした。 本当はGWあたりにあげたかったんですが、色々と忙しかったので今頃に。まあ、今も忙しいんですけど・・・。 ブログ書く時間がなかなかとれないですが、少しずつ時間取れた時に色々と書いておきたいなと思います。とりあえず5月の更新はこれっきりになりましたが・・・。 最後までお読みいただきありがとうございました。
前説:突如の思いつきで島へ向かう
2021年3月某日、突如ヤフオクで東海汽船の株主優待券を仕入れて、伊豆大島に行こうと思いたった。だいたいわいが旅するときはいつも綿密に計画を立てていくことが多い。(たまに突発で出かけることもあるけど、基本は数ヶ月前から計画している) 理由はなんとなく久々に離島に行きたいっていうだけの理由であった。というのはまあ建前で、実際はアイモバリアルグルメツアーの取材のために行ったのである。取材内容は後日にまた掲載するが、大島に早めに行っておかないとズブズブと後回しになりそうなので、思い切っていく方向にした。 前述の通り、ヤフオクで東海汽船の株主優待券を手に入れたが、折しも有効期限が迫っていたというのもあって、格安で手に入れた。一応保険のために余分に仕入れている。 そして、電話で東海汽船に予約を入れて、旅の当日を迎える。 今回はジェットフォイル往復を選択した。というのも、復路に大型客船を選ぶと大島を早く出なきゃいけないこと、そして東京港竹芝桟橋に到着する時間が後のジェットフォイルよりも遅いということで、滞在時間を優先し、東京港〜大島まで一番早いジェットフォイルを選ぶことにしたのである。 写真は行きに乗った「セブンアイランド愛」である。ピンク色の船体である。「セブンアイランド愛」は、1980年にアメリカBoeingで建造され、オーストラリアで活動したあと、1987年からは関西汽船と加藤汽船が共同運行するジェットラインで高松〜阪神航路に「ジェット7」として就航、その後、2002年から東海汽船に売船され「セブンアイランド愛」として就航している。 東海汽船のジェットフォイルは「セブンアイランド」の冠名があり、先ほど紹介した「愛」のほか、「友」・「大漁」・「結」がある。かつて「夢」と「虹」がいたが、「夢」は「大漁」導入により引退し、「虹」は「結」導入時に引退している。 参考までに、帰りは「結」に乗船している。「セブンアイランド結」は2020年に新たに新造されたジェットフォイルで東海汽船のジェットフォイルでは初めての新造船となっている。(「結」より前のジェットフォイルは、他社での使用を経て譲渡された形となっている) ジェットフォイルに乗った感想としては、とにかく早かった。今まで大型客船ないしはフェリーしか乗ったことしかなかったので、とにかく驚いた。往復とも東京〜(久里浜経由)〜大島であったが、東京〜久里浜間と久里浜〜大島間をそれぞれ1時間ほどで結んでいた。久里浜港に停泊する時間を含めると2時間ちょっとの船旅である。参考までに大型客船(さるびあ丸)で行くと、往路8時間(実際はもっと早く着けるが大島沖で時間調整する。夏の繁忙期は6時間)、復路は4時間半(横浜寄港時は5時間15分)かかるので、いかにジェットフォイルが早いかを今回思い知らされた。 さて、道中見た景色をいくらか写真にご覧に入れよう。 千葉県富津市沖合の東京湾内にある第二海堡。浦賀水道航路および中ノ瀬航路に接している。東京湾の船舶交通において最もネックとなる場所にあり、各船舶が減速して航行するのが強いられている原因ともなっている場所だ。 海堡とは、海上に人工的に造成した島に砲台を配置した、洋上にある要塞の一つで、明治から大正にかけて、大日本帝国陸軍大将の山縣有朋が、大日本帝国の要塞化を主張した。その結果、東京湾には千葉県の富津岬沖から、神奈川県の観音崎沖側にかけて首都防衛のために3か所の人工島が造成された。完成後は、東京湾口に円弧状に存在する首都防衛ラインの一環として運用された。 しかし、1923年に発生した関東大震災の影響により、第二海堡と第三海堡が被災し、その年のうちに廃止・除籍された。一方、被災を免れた第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで運用された。 なお、関東大震災で被災した後の第二海堡は、その後大日本帝国海軍が使用し、第二次世界大戦中は対空砲が設置されるほか、敵潜水艦の東京湾への侵入を防ぐ防潜網が設置されたが、日本の降伏により、施設はアメリカ軍により爆破処理された。戦後は海上保安庁によって灯台が設置され、さらに1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。 以前は、神奈川県からの渡し舟で釣り人が渡航していた。侵食が進んでいることによる安全上の理由から、2005年6月末に立入りが禁止され、以後は原則として管轄する国土交通省の許可がないと上陸できないようになっている。(ちなみに、近くにある第一海堡は財務省の管轄である) 2018年、管轄する国土交通省は、観光資源の開発を目的に試験的に第二海堡への観光ツアーを認め、2019年より民間観光業者によって上陸ツアーが開催されている。今後も灯台と消防演習場として存続される予定となっている。(建設当初に堅牢に設計されたため撤去が難しいというのもある) 久里浜港に入港するときにすれ違った東京湾フェリーの「かなや丸」である。 東京湾フェリーは神奈川県の久里浜と千葉県の金谷を結ぶ東京湾横断の最短航路であり、2021年現在で唯一東京湾を横断する航路となっている。1997年に東京湾アクアラインが開通してから、利用客の減少ならびに運航本数が削減されることとなり、ことあるごとに廃止されるのではないかと話題になったりする航路である。一応、国道16号と太平洋湾岸自転車道の実質海上航路の役割を果たしている。 船舶は写真の「かなや丸」のほか「しらはま丸」が就航しており、2隻体制で東京湾の横断航路を担っている。全盛期は3隻体制で運航されていたが、東京湾アクアライン開通および東京湾アクアライン通行料金の値下げのあおりを受けて、2010年に現在の2隻体制に改められた。 ちなみに、京急との連絡乗車券や企画券が発売されているので、電車を使って東京湾フェリーに乗るなら京急利用が便利である。 個人的にはいつか乗ってみたい船ではあるが、いつになることやら・・・。壱:伊豆大島に到着した後(前編)
10時半過ぎには、伊豆大島岡田(おかた)港に到着。一時期日常的に島の風景を見ていたので特に離島についたぞーっていうワクワク感は残念ながら全くないwww(なお、島に上陸して観光するのは初めてである) なんというか、「よぉ〜久しぶりぃ〜www」くらいの感覚である。大島についてレンタカーを借りる。今回は岡田港にほど近い「JSレンタカー」で軽自動車を借りた。大島当地のレンタカー屋はひと世代前の車が多く、そういう意味ではワクワクしていたw 三宅島のときもそこそこ古いレンタカーだったしなw ところで、予約したのはなんと当日の朝とかいう体たらくっぷりであるw 平時だったら伊豆大島の椿まつりの時期と重なるため、まず当日の朝にレンタカーを手配するのは到底不可能であるが、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、運良く抑えられた次第である。 ちなみに、「JSレンタカー」の返却時は、ガソリンを満タンにしてレンタカー屋に港に戻る旨を連絡すれば、わざわざレンタカー屋によらずに、港の駐車場で乗り捨てればOKという独自のシステムを取っている。(岡田港周辺にJSレンタカーの他にもう一つレンタカー屋があるが、そこも同じようなシステムの可能性はある) なお、比較的新しい車に乗りたければ、大手レンタカー会社(トヨタレンタカーなど)もあるので、そちらを利用すれば良い。ただし、港からは遠いので、港からレンタカー屋まで送迎ワゴンかバスを利用する形となる。その点若干のプレミ感は否めないので、大島到着後から出発までの滞在時間を少しでも伸ばしたければ、港近くのレンタカー屋で借りるのが得策とも言える。ちなみに、伊豆大島の朝の到着港は余程のことがない限り岡田港になり、午後の出帆港については、天候と波次第によるが、ほぼ8割方岡田港で、残り2割が大島の市街地にほど近い元町港から船が出る。 今回は帰りの船(ジェットフォイル)が出るまでのタイムリミットは5時間弱。しかし、レンタカー屋で手続きするのに時間がかかってしまった(やっぱり先客結構多かった)ので、実質の時間は4時間ちょっとという形になってしまった。ゆっくり観光する暇は全くないが、できる限り主要な観光地を回ろうと思う。なお、一般的な伊豆大島日帰り旅は、前日の夜に大型客船に乗船し、朝伊豆大島について、午後の大型客船かジェットフォイルで帰るというパターンである。その場合は、8〜9時間くらいあるが、今回はその半分なので本当にタイムアタックするくらいの勢いで旅しなければならなかったw とりあえず、大島一周道路を反時計回りで走ることにした。岡田港から西側にある市街地元町を経由して、南東にある伊豆大島随一の漁港を擁する波浮(はぶ)港を経由して、岡田港に戻るルートとなる。まあ、4時間ちょいあればどうにかなるだろ(フラグ?)。 元町の市街地を撮影するのをうっかり忘れたが、元町を過ぎて最初にやってきたのは・・・。大島一周道路に沿って、綺麗な地層が見れる箇所が伊豆大島の南西側にある。これは、地層大切断面と呼ばれる観光名所であり、活火山を有する伊豆大島の歴史が垣間見える貴重な場所である。15,000年もの歴史がつまった貴重な地層として伊豆大島の過酷な自然環境を今に伝えている。
この地層の断面が「バウムクーヘン(バームクーヘン)」に非常に似ており、近くのバス停にも副停留所名で「バームクーヘン」と表記されている。(ちなみに本当のバス停名は地層断面前である)
なお、この付近を走るバスの本数が非常に少ないので、じっくり見たいならチャリ・バイク(スクーター)・レンタカーを借りるしかない。チャリの場合は、ロードバイクやシクロクロスバイクを自前で持っているなら、往復大型客船利用にはなってしまうが、伊豆大島に持ち込むことが可能である。実際、本土から渡ってきたチャリダーも道中で幾度か見かけている。
弐:伊豆大島に到着した後(後編)
ということで、日本唯一の砂漠認定がされている「裏砂漠」へとやってきた。国土地理院が発行する地図に唯一「砂漠」の表記がある。見た目だと砂漠に見えないし、なんなら鳥取砂丘が砂漠っぽいイメージがあるが、あくまで砂丘であり砂漠ではないのだ。 この裏砂漠が、砂漠である理由として、伊豆大島の象徴ともいえる三原山の度重なる噴火によって降り注いだマグマのしぶきが大地を焼き、植物を燃やし、一面黒い世界を作り上げ、地表を黒い火山岩(スコリア)で覆われていることが一つ。さらに、噴火後も風が強く吹きぬける場所であるため、植物が定着しにくいことから、砂漠的な風景が広がっているということで、日本唯一の砂漠となっているのだ。 歩くたびに聴こえてくる「ジャッジャッ」というスコリアを踏みしめる自らの足音と風の音、そして鳥の声しか聴こえず、さらに訪れたときはわい一人しかいなかったため、こんな雄大な景色を独り占めできることに感動を覚えてしまった。おそらく、わいが死ぬまでに一生思い出に残る経験をしたと思う。 そんな純度の高い自然の音色に耳を傾けながら、眺めるのは一面に広がる黒い大地と彼方に広がる青い海、見上げれば大きな空があるそんな素敵な場所があるのを実際に目の当たりにすると「なんも言えねえ(要出典)」ってなったっす。はい。 なお、自然保護のため車両等の乗り入れは一切禁止されている。(ただし、山腹側であれば裏砂漠専用車で特定区域のみ車両乗り入れすることは一応できる。しかし、裏砂漠内で事故案件をやらかした場合、免責保証が一切効かないので注意。裏砂漠専用車以外で入るのは以ての外である。) 裏砂漠の第一展望台付近はこんな感じ。ガチで何もないので身体中に自然を感じられる最高のスポットである。 なお、この辺りに来ると遮るものがないので、強風にさらされる。最初は・・・ 「あぁ、風強い〜」 なんていってはしゃいでたんだけど、ずっと強風に吹きさらされていたせいか次第に耳の痛みが酷くなり・・・ 「耳痛ったぁ〜。はよ帰りたい」 っていう感じでテンション急降下する羽目になってしまった。雄大な景色なゆえの欠点の洗礼も同時に浴びることになってしまったわけだ。おまけに帰りは風速20m/sを超える強風でまっすぐ歩くことすらままならない状況に。余計なもの持ってこんでよかったと思ってる。 なので、裏砂漠に行く心得として・・・- さえぎるものが何もないので、風が強く吹く日は容赦なく吹きつけることを忘れない(島の下界と気象条件が異なることを忘れずに)
- 陽射しも強いので、季節や天候に応じて防寒対策や日焼け対策も怠らずに(今回は春先だったので防寒対策をある程度してましたが)
- 地面はスコリアという細かい軽石のような火山岩で覆われているため、斜面を歩くときは滑らないように気をつける。(歩きやすい靴で。絶対にヒールとか厚底靴など履いてこないこと)
- 霧が出ている時は遭難する可能性もあるので、注意して歩くか無理なら引き返せ。
- まあ、いないと思うけど暗い時間帯を歩く時はヘッドライトや懐中電灯を絶対携帯のこと。
ということで、突発伊豆大島の旅のレポでした。 本当はGWあたりにあげたかったんですが、色々と忙しかったので今頃に。まあ、今も忙しいんですけど・・・。 ブログ書く時間がなかなかとれないですが、少しずつ時間取れた時に色々と書いておきたいなと思います。とりあえず5月の更新はこれっきりになりましたが・・・。 最後までお読みいただきありがとうございました。