こんにちは。北陸の食パンです。
なかなかブログ記事の投稿をする暇がなくてすみません。
さて、今回は、去る12月3日に、秩父夜祭に行ってきましたので、その記録を掲載したいと思います。
秩父夜祭自体は、前々から行きたいと思っておりましたが、近いからいつでも行けると思っているうちになかなか足を運ぶことがなくてですね・・・。でも、今年は思い切って行ってみました。
それでは、これより、前説を経てから本編に入りたいと思います。
目次
前説:秩父夜祭について
秩父夜祭は、毎年12月1日から6日に行われる埼玉県秩父市の秩父神社の例祭である。うち、12月2日が宵宮、12月3日が大祭となっており、一般的には、「大祭の日=秩父夜祭」として認知されている。
提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、冬の花火大会で全国的に知られている冬の秩父の風物詩であり、祭りごとの多い秩父の中で最も盛り上がる祭りであり、秩父における一年の集大成ともいえる祭りといっても過言ではなかろう。
祭りは寛文年間から続くとされ、300年以上の歴史がある。日本屈指の極めて豪華な祭りであり、一連の行事が国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、今年の秩父夜祭の初日に、ユネスコ無形文化遺産に登録された。
また、秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられている。
秩父夜祭は、先に申した通り、12月1日から6日の間に下記の行事が執り行われる。秩父夜祭は、御本殿清浄の儀から始まり、例大祭完遂奉告祭で終わるのが通例である。
日程 | 行事 | 備考 |
12月1日 | 御本殿清浄の儀・例大祭奉行祈願祭 | |
12月2日 | 御神馬奉納の儀・新穀奉献祭・諏訪渡り | 宮地・上町・中町・本町屋台曳き廻し、屋台曳き踊り、屋台芝居公開、花火打ち上げ |
12月3日 | 献幣使参向例大祭々典 御神幸祭・神幸行列進発・御神輿発御・御斎場祭・御神輿還幸 | 国の重要有形民俗文化財「笠鉾・屋台」曳き廻し、屋台曳き踊り、屋台芝居公開、競技花火と観光スターマイン大会 |
12月4日 | 蚕糸祭 | |
12月5日 | 産業発展・交通安全祈願祭 | |
12月6日 | 新穀奉献感謝祭 例大祭完遂奉告祭 |
※先に申した通り、12月2日が宵宮、12月3日が大祭となっている。
さて、12月2日の宵宮ならびに12月3日の大祭の流れを簡単に記す。
【12月2日(宵宮)】
2日は宵宮(宵祭り・宵まち)で、御神馬奉納の儀、神楽奉奏、屋台曳き回しなどがある。
この日は笠鉾・屋台のうち屋台4台が運行され、秩父神社への宮参りや、夜にかけて本町・中町・上町通りの曳き回しが行われる。また、夜には「番場町諏訪渡り」神事のほか、3日に比べると規模が小さいものの花火の打ち上げも行われる。
【12月3日(大祭)】
(日中)
3日は大祭であり、日中に御神馬宮詣、神楽奉奏、例大祭祭典、笠鉾・屋台曳き回しなどがある。
笠鉾・屋台は本町・中町・上町通りを曳き回される(夕方には一部の屋台が秩父駅前通りおよび秩父まつり会館前を経由して秩父神社に向かう)。
また、笠鉾2台の秩父神社への宮参りも行われる。屋台4台のうち1台では「屋台芝居」が上演される。それぞれの屋台は、左右に張り出し舞台をつけられるように設計されており、年ごとの当番制で屋台芝居の舞台となる。
(夜)
3日夜は神幸祭となり、午後6時半頃に御神幸行列が秩父神社を出発する。
先頭は、先導大麻、大榊、猿田彦、日月万燈、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱の列である。次に氏子町会の供物・高張提灯の長い列が続く。その後ろに、御神饌、大幣、そして御霊が遷された神輿、宮司、大総代、2頭の神馬が続く。
笠鉾・屋台行列は御神幸行列の後であり、秩父神社を午後7時頃から順次出発する。
御旅所への到着は、御神幸行列が午後8時頃、笠鉾・屋台行列はその後、午後10時頃にかけてである。
御旅所の手前に団子坂があり、笠鉾・屋台がそれぞれ一気に曳き上げられる。同時に、煙火町会による奉納花火や観光協会主催の花火の打ち上げも行われ、団子坂の曳き上げや御旅所に整列する頃が祭りの最高潮となる。
笠鉾・屋台の整列が終わると御旅所斎場祭が厳かに行われる。斎場祭終了後、4日午前0時頃から団子坂の曳き下ろしが行われ、笠鉾・屋台は収蔵庫へ向けて帰還する。また御神幸行列が御旅所を出発し、秩父神社に還幸する。
これが、12月2日の宵宮ならびに12月3日の大祭の流れである。
さて、前説はこれくらいにして、今年の秩父夜祭などのレポートを記していくことにしよう。
本編:祝!ユネスコ無形文化遺産登録記念 秩父夜祭2016レポート
ここから、いよいよ2016年の秩父夜祭のレポートをわいなりにお伝えしようと思う。
秩父夜祭のために往復は特急を使うことにした。
さすがに、混んでる中普通列車で往復はしたくないので(特に帰りが)。
秩父夜祭の日(ここでは大祭が行われる12月3日をさす)は西武池袋線および秩父線の特急列車が大増発される。往路は夜祭の日が近づくにつれ、満席になる特急が増えていくが、復路のほうは、発売当日(11月3日)に満席になる列車が多い。
特急レッドアローを使って秩父夜祭に行く際は、まず帰りの列車を抑えることを重視しなければならない。行きの列車は少し遅くても問題はないが、桟敷席を予約してみるなどといった事情がない限りは、なるべく早めに現地に行くことをお勧めする。
また、
余談だが、秩父夜祭の前売特急券発売当日(11月3日)は、チケットレスサービス「Smooz」・「インターネット特急券予約サービス」は、アクセス集中によりサーバーダウンする事態となった(アイマスライブの一般発売でよくサーバーがダウンするどこぞのイープラスと同じだね)。
その影響で、JTBにおいても特急券発券できない事態に陥ったそうだ。
わいも、少なからずその影響を受けており、チケットレスサービス「Smooz」が鯖落ちしたとたんに、知人をたたき起こして、特急券を買いに行かせたのであったw
その結果、手に入った特急券が写真の通りである。
往路はちちぶ91号(臨時)、復路はちちぶ96号(臨時)を利用した。余談であるが、往路の特急は、高麗で上り列車の交換待ちを行い、復路は正丸・武蔵横手で下り列車の交換待ちをしている。
往路は所沢駅から、ちちぶ91号に乗車。ちちぶ91号に乗ったはいいが、ここで悲報が・・・。昼飯に買った弁当に箸がついてないことが発覚。強制的に西武秩父駅到着まで飯が食えない事態になった。
ちちぶ91号の中でダイヤグラムとにらめっこ。
これは、とあるサイトから仕入れた秩父夜祭の屋台・笠鉾の巡行予定ダイヤである。
ダイヤグラム読むのは好きだけど、鉄道現業のもこのようにカラフルになるとうれしいかなあって(諦めろ)。
西武秩父駅に到着すると、「ユネスコ無形文化遺産登録決定」の横断幕が設置されていた。
奥に見えるのが臨時改札である。だいたい秩父夜祭の大祭のときにしか開かない改札である。(羊山公園の芝桜シーズンのときも多客の場合は開くこともあるが・・・。)
現在、西武秩父駅は改良工事が行われており、仲見世通りもすべて閉鎖して改装するという大規模なものとなっている。
改札を出ると、たくさんの屋台(お店のほうね)が並んでいた。
ここは普段、西武秩父駅発着のバスターミナルおよびタクシープールとなっている場所である。
なお、お店のほうの屋台は西武秩父駅前に限らず、各所でいろいろな屋台が並んでいた。
破裂音のような音がしたので、空を見ると、写真のようなものを見ることができた。たぶん狼煙っぽい何かかな?
その後、ようやく遅い昼飯にありつけることができた。
昼飯後は、秩父駅方向に向かって歩くことにした。
ここが秩父公園に設置された秩父観光協会設置の桟敷席である。(2016年度実績、1名につき6,000円。抽選制)
団子坂から曳き上げられた6台の笠鉾・屋台を間近で見ることができ、花火も見ることができるので、機会があれば申し込んでみてはいかがだろうか?
なお、今回は申し込もうかと検討していたものの、すでに応募が締め切られてしまい、ボツ案となった。
ちなみに、公園の前に秩父市役所などの建物もある。
ここが「御旅所」とよばれる場所である。御旅所とは、神様が年に一度、氏子(うじこ)町内にお出かけになり休憩する場所のことをさす。
3日の夜になると6台の笠鉾・屋台がここに集結し、整列したうえで、斎場祭の儀式が行われる。日を跨いで4日の0:20頃になると、6台の笠鉾・屋台は、各町内にある収蔵庫へと帰っていくのだ。
ここが、秩父夜祭のハイライト地点である団子坂である。ここで、笠鉾・屋台がそれぞれ一気に曳き上げられるのだ。
ここで、秩父夜祭を見に行ったことがない方にあらかじめ伝えておくが、この団子坂周辺での無料での観覧は認められていない。
なお、有料にはなるが、団子坂周辺で桟敷席を設けているところがあるため、お金を払ってもよければ、団子坂周辺で笠鉾・屋台の曳き上げを見ることが可能だ。相場は5,000~10,000円ほど。
ただし、交通規制の影響で、途中の出入りが極めて困難になるため、公共交通機関利用者にとっては、泊りがけか23時以降に秩父を出ても帰れる人でないと厳しいといえる。
ちょっと話がそれたため、ここで話をもとに戻して、この団子坂周辺での無料での観覧は認められていない理由を以下に記す。
実は、過去に団子坂において死亡事故が数件発生しており、秩父夜祭において、一番危険なエリアであるからだ。
とりわけ、昭和22(1947)年、御旅所での見物を終えた人々の流れが群衆となって秩父鉄道御花畑駅方向に殺到し、踏切の遮断かんが下りて行き場を失った人々が幾重にも重なり6人が圧死、数十名が重軽傷を負う大惨事が発生して以降、警察による厳重警備が敷かれることとなったのだ。
華やかに見える秩父夜祭も常に危険と隣り合わせである。執行する側にすれば、常に身の危険を覚悟しながら祭りに携わる。その一方で、祭りを見る側も、見物客が事故に巻き込まれないよう対策が講じられている現実を理解する必要があるのだ。
また、過去には降雨・降雪の影響で、団子坂における笠鉾・屋台の曳き上げが中止されたこともある。
笠鉾・屋台の通過経路(神幸路)には、経路最大の見所である団子坂に通じている道路上に秩父鉄道秩父本線の踏切がある。
これは、御花畑駅構内の三峰口方の踏切で、車窓から団子坂を臨むことができる。この踏切は、御神幸の神事を行うため笠鉾・屋台の通過の支障となる架線を一時的に取り外すことが可能な構造になっている(マニアじゃないとわかりにくいかもしれないが、写真の左右で架線の構造が少し違うことがおわかりいただけるだろうか?)。
このため、3日大祭の19時(20時のときもあり)~22時前後にかけて同線の秩父〜影森間は運休となるのである。
余談だが、3日大祭のときは、秩父鉄道で特別ダイヤが組まれるため、西武鉄道からの直通列車の運転は中止される(平日開催の場合は翌日朝も運休になる場合がある)。
御花畑駅の横を通り過ぎた後は、線路沿いの小道を歩いて、秩父まつり会館の近くで「パレオエクスプレス」の動画を撮った。
その後、秩父神社の近くを歩いてみることにした。
ここは、国道299号である。秩父夜祭の日だからこそ、大手を振って堂々と歩くことができるのだ。
普段のこのあたりは、車だらけでよく渋滞が発生するポイントでもある(国道140号との交差点である上野町交差点と近くに秩父鉄道の踏切があるため)。
秩父神社前交差点前の一角に下郷笠鉾(したごうかさぼこ)がいたので、撮影。
下郷笠鉾は、下郷地区の6町会が所有する山車で、鉾をつけると高さ約16メートルになり関東地区では最大の山車である。
白木作りの屋形が特徴であるが、本来は朱塗りの屋形になるはずであったそうである。
天道・波形石台・万灯に3層の花笠をもち総重量は20トンともいわれており、他の山車とくらべて漆塗りや彩色をしていないが、二段屋根等で組木が多いのが特徴的である。
この写真を見て、何かお気づきになられただろうか?
普段は道路上に出ている道路標識や信号機についても、笠鉾・屋台が曳き回される道中にあるところにおいては、すべて折りたためる構造となっているのである。
そうこうしているうちに、前方から中近笠鉾(なかちかかさぼこ)が見えてきた。笠鉾がいるところが本町交差点である。
秩父神社の近くにある路地裏において、「秩父夜祭絹市(ちちぶめいぜんマルシェ)」も同時に開催されている。
これは、かつての秩父の主産業が、養蚕・絹織だったということを示す名残でもある。
秩父地方は、桑の生育に適した土地であったため、田畑の他に現金収入となる養蚕・絹織が盛んであった。江戸時代には絹の生産量が増大し、「秩父絹」として江戸をはじめ広く知られるようになったのである。
中近笠鉾が近づいてきたタイミングで撮影する。
中近笠鉾は、中村町・近戸町の2町会が管理する笠鉾で、御神幸祭の際に最初に曳行する笠鉾である。
秩父夜祭の中では一番古い歴史をもつ山車である。
中近笠鉾が通り過ぎたタイミングで後ろから撮影する。
中近笠鉾通過後、人波にのまれるわいw こんな人のいる空間にいるのって久々だよ。いや、この夏のコミケがあったっけw
「秩父夜祭絹市(ちちぶめいぜんマルシェ)」の通り沿いも人だらけであった。
「秩父夜祭絹市(ちちぶめいぜんマルシェ)」の一角でアユの塩焼きが売られていたので、久々に食す。うん、川魚の塩焼きは美味なり。
そして、いったん秩父神社の敷地内に入る。
人だらけで身動きするだけでも大変であった。
画像の奥側に見えるのが、先ほど撮影した中近笠鉾である。
違う方向に目をやると、宮地屋台(みやじやたい)がいたので、撮影。
人が多すぎるので、近づいての撮影ができなかったことご容赦いただきたい。
宮地屋台は、その名の通り、宮地地区の屋台で、秩父夜祭の屋台の中では最古の歴史をもち、かつ登り高欄がないなど最も古い原型をしている。
御神幸祭の際には3番目に曳行される山車であるため、他町会の屋台と違い曳踊りでは必ず三番叟が上演される。
ちなみに、宮地地区の由来であるが、秩父神社に習合される前の妙見宮があったところとされ(現在は妙見塚)でそのために宮地(みやじ)と呼ばれているそうだ。
人だらけの秩父神社を抜けた後は、秩父駅を経由して、秩父まつり会館に久々に足を運ぶ。
秩父まつり会館も、今日に限っては人だらけ。入場券を買うだけでも10分くらい待った。
リニューアルされたプロジェクションマッピングを鑑賞。その後、映写室に行こうと思ったが、ルートを誤って列から離脱してしまう。
映写室についても、待ち列が長いというのもあったのと、秩父にはいつでも行けるということもあり、映写室に入るのは、次回の楽しみにとっておくこととした。
ここで、秩父まつり会館のプロジェクションマッピングで展示されている笠鉾と屋台を紹介しよう。
明治時代もしくは大正時代の笠鉾を再現したものと思われる。おそらく下郷笠鉾だろうか。
実は、これが本来の笠鉾の姿なのだが、明治時代末期に電話線が架設された影響により、本来の笠鉾の姿で曳くことができなくなってしまった。
しかし、現在では、街路整備が進んだことにより、電線による障害をほぼ受けなくなったとされる。
いつか、本来の姿で曳行される姿をみたいものだ。
こちらは屋台を再現したもの。どの屋台を再現したのかはよくわからなかった・・・。
その後、2階の展示室を見学し、秩父まつり会館を後にする。
秩父まつり会館を後にして、途中で屋台飯を食いながら、いよいよ秩父夜祭の本番に備えて飯を食うこととした。
今回、夕飯を食ったのは「そば処 入船」。秩父の蕎麦屋では、有名どころだそうである。
ここの店の売りは「山くるみそば」。クルミをすりつぶして返しと合わせて汁にしているようだ。
(ちなみに混雑などのため1時間ほど待った)
というわけで、売りの「山くるみそば」を食す。
荒挽きの田舎蕎麦で、なかなか食べ応えのあるそばであった。麺は固め。固めの麺が好きなわいにとっては、実に美味なそばであった。完食。
ちなみに店内には、笑点に出演している林家たい平のサインが飾られている。ちなみに、彼は秩父市出身である。
夕食を食した後は、秩父夜祭を鑑賞するための場所取りに出かける。
今回は、西武秩父駅に戻るのに近いところを考えて十三番角交差点付近を陣取ることにした。
しかし、現地についたところ、すでに人だらけで、歩道の観覧スペースも満員。
さんざん迷ったあげく、桟敷席を設けている施設の片隅のグレーゾーン区域から見ることにした。(仕切り線ぎりぎりのところ)
お巡りさんから退去するように言われても、ただでは動じないところを選んだつもりである。(実際、屋台と笠鉾が通過し始めるまでに2度ほどいわれたが、動かず。だって、動いたからといって、こんな人が多い中、悠々と見られる場所なんてないのだから・・・。)
やっぱ、悠々と見るのならば桟敷席課金が必要ですな。
でも、グレーゾーンな片隅を陣取れたことで、基本的に誰にも邪魔されずに祭りを観覧できるので、結果的にはまあまあよかったといえる。
花火は6~7割見られればいいほうであったが・・・。
さて、ここから秩父夜祭の本番である。
「ユネスコ無形文化遺産登録決定」+週末と重なったため、とにかく人だらけ。
警察官たちは観衆の整理で精いっぱいだった。
まあ、30万人規模じゃ、観るのも一苦労、整理するのも一苦労ですな。
まずは、笠鉾と屋台の通過に先立ち、神幸祭の行列が通過する。
列の中ほどあたりになると神輿を担いだ集団が通過する。
神輿の後に続いて、神馬も通過する。
なお、神馬のうち、1頭が興奮状態に陥ったため、通過にかなりの時間がかかった。
馬に対して、フラッシュを焚いて撮影すると、興奮状態に陥る可能性が高いらしく、お巡りさんがしきりに「フラッシュを焚かないでください」と連呼していた。
神馬の通過に手間取ったものの、無事神幸祭の行列は通過し終えた。
その後、しばらく待つと思われたが、意外にも早く最初の笠鉾がやってきた。
先手は、日中に本町交差点付近で遭遇した「中近笠鉾」。
昼間に見たときよりもきらびやかな印象を受けた。
ギリ廻しのために、傾けられた「中近笠鉾」。
ちなみに、ギリ廻しとは、笠鉾や屋台を方向転換させる作業のことを言う。
ギリ廻しの手順は以下の通り。
- まず、笠鉾・屋台の後ろに、てこの支点となる台をセットして2本のてこ棒をかう。
- 次に、2本のてこ棒に各10人ほどが取り付いて笠鉾・屋台の後ろの車輪を上げる。
- この間に笠鉾・屋台の土台下中心部のくぼみの位置に、台のついた棒(「ギリ棒」)を地面と垂直にセットした後、てこ棒にかけた力を静かに緩めると、4つの車輪が地面からわずかに浮く。
- ここでてこ棒を外し、笠鉾・屋台の腰まわりに20人前後の曳き手が取り付いて、ギリ棒を軸にして一気に方向を転換する。
ギリ廻しは、ほかではなかなか見られない作業であり、秩父夜祭の見どころの一つでもあるので、ギリ廻しを行う交差点角で見る機会があれば、是非とも注目してほしい。
ギリ廻しを終えた「中近笠鉾」。少し先でもう一度ギリ廻しをした後に、いよいよ団子坂の曳き上げに挑むのである。
なお、「中近笠鉾」は、秩父鉄道のダイヤ乱れの影響により、少し先でしばらく待つ羽目になったようである。
続いて、秩父神社前交差点近くで見かけた「下郷笠鉾」がやってきた。
先ほどの「中近笠鉾」に比べて一回り大きいことがおわかりいただけるだろうか?
ギリ廻しが完了した「下郷笠鉾」。その後、団子坂へ向けて動いていった。
「下郷笠鉾」通過後の観覧場所の様子。やっぱり人だらけ。
もう何もかもがカオスな状態であった。
遠方の人やツアー客の一部は、この「下郷笠鉾」の通過を持って帰宅の途につくことがあるらしい。
そのため、これ以降は、時間が遅くなるにつれ、だんだんと人が少なくなっていった。
でも、人が少なくなっていったといっても、あくまで人波にもまれるぐらいカオスな状態から脱したという意味であり、観覧する人がいないという意味ではない。
3台目からは屋台の登場である。初めにやってきた屋台は、秩父神社でも見た「宮地屋台」。
「宮地屋台」のギリ廻し後がこちら。
「宮地屋台」が通り過ぎた後、2台目の屋台が到着。ここからは、昼間に見ていない屋台を見る形となった。
これは、「上町屋台(かみまちやたい)」で、4台の屋台の中で、一番大きな屋根を持ち、 後ろ幕は、鯉の滝登りが描かれているのがこの屋台の特徴だ。
「上町屋台」ギリ廻し中の様子。
「上町屋台」のあとにやってきたのは、「中町屋台(なかまちやたい)」である。
この屋台は、4台の屋台の中で最も大きな屋台であり、屋根の鬼板(彫り物)は大きく美しいのが特徴的である。
後ろの幕は2種類あり、恵比寿の幕、鯛の幕の2枚の後幕を持っている。(宵宮と大祭で異なる後幕を使っている)
最後にやってきたのは、「本町屋台(もとまちやたい)」。後幕が子供の玩具でその中にあるだるまが特徴的である。
本町屋台のギリ廻しを見る前に、観覧場所から去ることにし、西武秩父駅へと向かった。
けっこう迷いましたが、駅に早めに行く選択をさせていただきました。
ここから、秩父夜祭の花火をいくつかご覧頂こう。
ただ、撮影機材がiPadとiPhoneしか持ち合わせていないことから、普通のカメラで撮影するのと比べ、臨場感に欠けてしまうが、そこはご容赦いただければと思う。
屋台や笠鉾が通過する前から、花火の打ち上げは始まる。観覧場所周辺はどこもかしこも人だらけであった。
スターマイン(多分ね。花火はあまり詳しくないから間違ってるかも)の打ち上げのときに撮ったもの。
観覧場所から撮った花火の中でもこの2枚がわりかしわかりやすくて、きれいに撮れたと思う。電柱さえなければなおおかったのだが・・・。
笠鉾や屋台が観覧場所に差し掛かると同時に花火の打ち上げも続くので、意外に忙しない状況が続いた。
花火と私設の有料観覧席を交えて撮影したもの。
秩父鉄道と西武鉄道が並ぶ「西武秩父逆1号踏切」(正式には横瀬1号踏切)付近で撮影したもの。秩父鉄道基準だと御花畑2号踏切である。
観覧場所から西武秩父駅にたどり着いたときも、花火の打ち上げはまだまだ続いており、たくさんの花火が美しく打ちあがった。
帰りの電車に乗るまでに時間があったので、屋台で買ったすいとんやポテトなどを食しながら、冬の花火を鑑賞していた。
とはいっても、後述に示す事案があったので、悠々とは見られなかったけれども・・・。
秩父夜祭は、行きはよくても、帰りがかなりの苦行コースである。
帰りの特急券が取れていれば、何のことはないが、特急券がとれなかった人にとっては、飯能につくまで1時間弱もの間、通勤ラッシュ並みの混雑の苦行に耐えなければならない。
とりわけ、西武鉄道で秩父夜祭に行こうというのであれば、事前の計画は必要である。
けれども、先にも言ったように、インターネットで特急券が買えるサービスがサーバーダウンしてしまったりしたがために、特急券を買えずじまいに終わってしまった方もそれなりにいると推測される。
万が一のために、西武線沿線に住む知人に買いに行ってもらうなど、保険の用意はしておくべきだ。
ちなみに、ぶっちゃけ言うと、あのころのほうが全然やさしいぐらいに思える。
西武秩父駅改札口ももちろん改札規制が行われていた。
実は、西武秩父駅につく少し前にわかったことであるが、当日20:45頃に所沢駅で人身事故が発生したために、西武池袋線・西武秩父線ともにダイヤ乱れが発生していた。
このときすでに、10~20分ほどの遅れが発生しており、駅周辺は混乱の様相を見せた。
帰りの特急まで1時間以上の待ち時間があったものの、ダイヤ乱れにより、いつ列車が入ってくるかでやきもきしていた。
乗る特急の1本前の特急改札時に、特急ホームへと入場。
この写真は、乗る特急の1本前の特急が発車したとたん、急停車。これは、踏切内に車が立ち往生していたことによるもので、3分後に再度発車していった。
23:20前に、帰りの特急列車が入線。そして、23:28に、所定33分遅れで西武秩父駅を出発した。
その後、わいは、途中の入間市駅で特急から普通列車に乗り換えて、予定より30分以上の遅れをもって最寄り駅に到着した。
最寄り駅に到着。秩父夜祭臨時列車の最後のほうは所沢どまりの列車となる。しばらく前に、上り所沢行の定期列車が廃止されているため、上り所沢行が見られるのは、今では秩父夜祭のときだけとなっている。
そして、家についたのは1時前。なんだかんだで大変だったけど、初めての秩父夜祭は楽しかった。また行きたいですね。
というわけで、これにて2016年秩父夜祭レポートは終了となります。
長々と書いてしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。
追伸:今年の秩父夜祭動員数は?
ちなみに、今回の秩父夜祭の動員人数(大祭がある12/3のみ)はどれぐらいだと思います?
今年の動員人数は、なんと・・・
328,000人
(埼玉新聞調べ)
だそうです。
実はこれ、秩父夜祭における動員数で過去最高を記録しているのです。
週末だからというのももちろんあるのですが、大祭直前に「ユネスコ無形文化遺産」に登録されることが決定したこともあって、この数字になったそうです。
コミケでいうと、だいたい2日分の動員数でしょうかね。はい。
ちなみに、2015年以前に秩父夜祭における動員数が最高だったのは・・・
2005年の315,000人で、次は2006年の291,000人だそうです。
近年の統計ですと、秩父夜祭の動員数は、週末に大祭があるときは30万人前後、平日に大祭があるときは20万人前後だそうです。
なお、天候などの都合により多少前後はありますけどね。
来年は日曜開催ですので、動員数が30万人を割る可能性がありますけれども、それでも、多くの人が秩父夜祭を観覧することでしょう。
秩父夜祭を初めて見ましたが、また行きたいと思いましたね。とはいっても、次見に行くのはいつのことやら・・・。
また、機会があれば、(秩父夜祭以外での)日本三大曳山祭の祇園祭や高山祭も見に行きたいものです。
今回の秩父夜祭は、日本の祭りの魅力を再発見したような気分で楽しむことができました。今度は平日に行きたいですね(ぉ