こんにちは。北陸の食パンです。
GWも終わりまして、皆様いかがお過ごしでしょうか。今年は、社会人になってようやく大連休をいただきましたが・・・。
来年以降も、旅行は前半のうちにすませて、後半はひきこもるか小旅行にとどめたいかなあとか思っております。だって、GW後半は阿鼻叫喚級の地獄やし。
さて、今回は、久々にGW期間中に、知り合いのアイマスP(ZAKIX虎Pさん)とお会いして、3日間旅行した記録の続きということで、今回は2日目の模様を記事にしたいと思います。
前回記事を読んでいらっしゃらない方は、ぜひこちらを読んでから、今回の記事をお読みいただければ幸いです。
それでは、本題にうつることにいたしましょう。
2日目 北勢鉄道三昧ツアー
1日目(4/30)は、ZAKIX虎Pさん(以下、ZAKIさんと表記する)によるお伊勢参りツアーであったが、2日目からはうってかわって、わいが行きたい場所に連れてってもらうツアーになっている。
今思えば、えらいわがままを言った気がする(もちろん自覚はありますよ)が、そのわがままに忠実に答えてくださったZAKIさんには、本当に感謝しかないです。はい。
この2日目(5/1)は、趣向ががらりと変わり(?)、四日市方面(北勢方面)に出向いて、鉄道成分の濃いツアーを展開することとなった。以前のキャスで、ZAKIさんにも鉄道成分が含まれていることに味をしめたわいが、怒涛のわがままを投入した結果、できあがったのがこの中日のツアーになるのだ。
この日の目標は・・・
- 四日市港近くにある鉄道可動橋(末広橋梁)を見に行きたい
- 13年ぶりに三岐鉄道三岐線に乗りたい
- (アイモバリアルグルメツアーの取材を兼ねて)四日市とんてき・松阪牛を食したい
- (アイモバリアルグルメツアーの取材を兼ねて)桑名の時雨蛤を買いたい
この4つの目標をすべて達成することが目標である。
というわけで、2日目の前説はここらへんにして、本文に入りましょうか。
四日市に唯一現存する鉄道可動橋を拝みに行く
わいは、一度見に行きたいところがあった。
それは・・・
「末広橋梁」
日本で唯一、いまなお現役で稼働している鉄道可動橋である。
存在は、前々から知っていた。しかし、なかなか機会に恵まれなかった。
だが、ZAKIさんが三重県民、そして鉄道成分あり。これはいける!
と思ったわいは、ZAKIさんに遠征約1週間前に提案する。
そして、あっさり提案が通ってしまう。
やったぜ
あとは、願わくば当日に可動橋が動いている姿が見られればこれに勝るものはなし・・・
さて、久々に鉄道成分を大摂取した中日の様子をご覧頂こう・・・
まずは、四日市までのマップ三部作の1つ目がこちら。
予定では8:00出発でしたが・・・
諸般の事情で、約1時間遅れで出発のため、当初予定していた国道23号北上コースから、伊勢自動車道・東名阪自動車道使用に切り替えました。
まあ、結論から言えば、1時間遅れの出発でオールオッケーなわけでw
四日市までのマップ三部作の2つ目がこちら。
特筆することは何もないが、途中の亀山PAで一服した。
四日市までのマップ三部作の3つ目がこちら。四日市ICで降りて目的地に向かう。
ようやく本題に入ってきたので、順路をば・・・
- 末広橋梁・臨港橋
- 近鉄四日市駅(周辺でグッズ漁り・昼食)
- 末広橋梁・臨港橋(もう一度)
- 三岐鉄道北勢線星川駅
の順で回った。
1時間遅れの出発ということもあり、伊勢自動車道・東名阪自動車道を使って、四日市まで行きます。
東名阪自動車道の四日市JCT~亀山JCT間は、渋滞名所。このときは、下り線で渋滞してました。
自宅から、九州のベースキャンプに行く際は必ず通ります。(新名神開通前は、中央道・名神経由)
記事の都合上、前後させていただきますが、昼飯は、アイモバリアルグルメツアーの取材を兼ねて、「四日市とんてき」を食しました。
詳細は、後日、レポートする予定です。はい。
そして、ようやくあの姿を拝むことができた・・・!
これが、日本で唯一の鉄道可動橋である末広橋梁である。
これは橋梁近くの踏切から撮影したものである。跳ね上がっている橋の写真は、数多く見かけたが、ここからのアングルから撮った写真はあまり見なかった気がするので、これはこれでいい記録ができたと思う。
そして、臨港橋から写した末広橋梁。このアングルはおなじみではなかろうか。
この跳ね上がっている橋、これは美しい。橋が跳ね上がっているので、貨物列車通るんじゃねと期待していたのだが・・・
しかし、一向にきそうにないため、iPadで調べたのだが・・・
それでは、調べた結果を聞いてください。
GWで貨物列車運休
あっ、撤収。
今度は、貨物列車の動いている平日に見に行きたいけど、年休使わないと無理ですわこれw
まあ、もしやとは思ってたけど、さすがにGWはセメント工場お休みですよねー
早く調べておけば時間のロスが防げたものを・・・
そんなわけで、拾いものでお茶を濁す奴~。
セメント列車が、末広橋梁を通る様子を写した動画がありましたので、誠に勝手ではありますが、ご紹介します。
橋が下りる様子もご覧頂けます。
さて、視点を変えまして、臨港橋をご覧頂きましょう。
こちらは、道路橋となっており、船舶航行の際、道路交通を遮断し、橋を跳ね上げ(跳ね上げの際は、撮影した方向とは逆方向から橋が跳ね上がる)た後、船舶を通す仕組みになっています。
道路橋の跳ね上げ橋はここのほかにもいくつかあります。機会があれば、ほかの道路橋の跳ね上げ橋めぐりもしたいところ・・・
橋が跳ね上がる際は、鉄道の踏切と同じく、警報機が作動し、遮断機が下りる仕組みになっています。
船舶がこないことには、橋が跳ね上がることはありませんので、ある意味運試しということになるわけで・・・。
奥に写っている建物は、臨港橋の管理事務所です。そこで、橋の跳ね上げ制御をしています。
拾いもので恐縮ですが・・・
臨港橋が開いて船舶が通過する様子が見られます。
ついでにもう一つ、臨港橋跳ね上げ→船舶通過→臨港橋が降りる様子をまとめた動画も拾ってみましたので、ご紹介します。
というわけで、四日市のディープでホットなスポットである末広橋梁・臨港橋をゆる~く紹介しました。
今度は、四日市の工場の夜景も見に行きたいものでw
末広橋梁・臨港橋を見た後は、三岐鉄道北勢線の星川駅そばのスーパーで、時雨蛤を購入。その後、スーパーの中にあった鉄道写真コーナーで、ZAKIさんとともに写真を眺めていたとさ。
三岐鉄道を思う存分楽しめ!
末広橋梁・臨港橋は見に行きたかったスポットの一つであるのだが・・・
メインディッシュはこっちなんだよ!
というわけで、メインディッシュの三岐鉄道乗り鉄旅しましょうかねー。
というわけで、三岐鉄道がらみのマップをば・・・
時間の都合で、北勢線・三岐線とも全線乗り通しはできなかったのだが、今度機会があれば、全線乗り通しを達成したいところである。
順路的には・・・
- 北勢線乗り鉄旅(星川~東員間)
- ZAKIさんの車で保々駅まで移動
- 三岐線乗り鉄旅【真のメインディッシュ】(保々~西藤原間)
といった形になっている。
まずは、ちょこっと北勢線に寄りましょうか。
まずは、駅に入って北勢線の線路を撮影。
なんか幅が狭くないっすか!?
ということで、これから少しマニアックな話に入るのでお付き合いいただきたい。
日本の鉄道線路には4つの規格がある
- 762mm(30インチ=2フィート6インチ)「ニブロク」<ナローゲージともいう>
- 1067mm(3フィート6インチ)「三六軌間」<日本の大半の鉄道>
- 1372mm(4フィート6インチ)「馬車軌間」<京王電鉄(井の頭線を除く)・都営新宿線など>
- 1435mm(4フィート8.5インチ)「標準軌」<新幹線・京急・近鉄・阪急など>
さて、写真の軌間は上記のうちどれでしょう?
もうおわかりですよね?
そう・・・
ナローゲージこと762mm
でもね。このクイズを出すために、鉄道線路の規格を軽く説明したわけではないんだよなあ・・・
それって、どういうこと? 今からお教えしましょう。
それでは、聞いてください。
なんと、普通鉄道におけるナローゲージは・・・
三重県にしか存在しない?
という貴重な存在なんやで・・・(なぜか疑問符がついているが、すぐ下に答えがあります)
そう、この三岐鉄道北勢線は、その貴重な存在の一つ。
あと、ほかはどこにあるかというと・・・
- 四日市あすなろう鉄道内部線
- 四日市あすなろう鉄道八王子線
- 黒部峡谷鉄道本線(富山県)
あれっ? 「さっき三重県にしか存在しないとかいわなかった?」 「富山県にもあるだろ。嘘つくな」と思われた読者の皆様、これからいうことをよく聞いてください。
通年運行している普通鉄道のナローゲージは、三重県にしか存在しない
これが、真の答えなのだよ。
そう。黒部峡谷鉄道本線は、もともと電源開発専用線であって、一般旅客輸送を想定していなかったのである。なお、実際のところは、冬季を除いて観光向けのトロッコ列車が運行されている(なお、関西電力関係者専用列車や資材運搬列車も運行されている)。
よって、黒部峡谷鉄道本線は、さきほど述べた四日市あすなろう鉄道や、三岐鉄道北勢線とは性格が異なっているのだ。
なお、四日市あすなろう鉄道および三岐鉄道北勢線は、元近畿日本鉄道の路線であったが、近鉄の累積赤字の影響により、近鉄から切り離された経緯がある。
以上、ナローゲージについての小話でした。
というわけで、三岐鉄道北勢線の列車を撮影しましたよと。
なんということでしょう。
いつも見る列車に比べて小さくてかわいい(小並感)
まあ、軌間狭いから、車体も小さくなるのは当然なんだけども・・・
ところで、お気づきであろうか?
三岐鉄道なのに黄色くないだと・・・?
なぜ、黄色くないのか。それでは、お聞きください。
三重交通復刻カラーなんだよなあ
えっ? 三岐鉄道北勢線の前は近鉄北勢線じゃないのと思ったあなた。確かに正解なんですけど・・・
実は・・・
近鉄の前は三重交通の路線だった
ということで、リバイバル塗装を施したそう。
さて、北勢線下り列車に乗りましょう。
なお、ZAKIさんの後ろ姿がばっちり写っている模様w
その後、星川~東員間往復乗車してきましたよ。
余談だが、最初大泉駅(なぜ、そこまで乗ろうと思ったかは察してくれw)まで乗ろうという計画だったが、東員駅で列車交換があって、下り列車の待ちが長くなったので、上り列車に乗って帰ることとなり、計画が頓挫しますたw
北勢線乗り鉄旅が終わった後は、いよいよ本当のメインディッシュである三岐線に向かって移動。
ちなみに写真は、国道365号の旧道。ここが現役国道だったときは、さぞ「ほんまにこれ国道?」といったドライバーが数多くいたことだろう。
まあ、いうてこのあたりはまだそこまで軒先国道として牙をむいているわけじゃないけどな
そして、保々駅に到着。なんとか、駐車場にとめれましたと・・・
改札で1日乗車券を見せて、駅構内へ・・・
あっ...
優勝! 優勝!
これだからヲタクはすぐ優勝したがる
いや...ね? これ、わいは、とにかく優勝っていうしかないっしょ?
だってさ? 幼少のころ見たり乗ったりしてる電車が、いまだにこの三重の地、もとい三岐鉄道で走ってるんだぜ?
そりゃ、もしかしなくても言うしかないっしょ?
優勝! 優勝! ズザーッ(盛大にこける)
(盛大にこけてもなお立ちあがって)優勝! 優勝!
(出典:プロデューサーミーティング1日目にL.O.B.Mが流れたときの某氏【ここ重要w】)
なお、この日優勝したのは事実ですが、盛大にこけてはいませんw
さて、さっきの語彙力のNASAロケット打ち上げてからの爆発フラグはこれぐらいでへし折っておきましょうかw
ここからは、まじめにやりまして・・・
さっきの写真とこの写真の電車は、三岐鉄道101系電車の101編成である。
この三岐鉄道101系電車は、元西武鉄道401系電車で、西武時代は701系列の増結編成として使用されたり、支線で2両編成で運行されたりしていた。
でも、この編成、もう西武にいたころより、三岐鉄道にいたころのほうが長いのでは疑惑が浮上している・・・
てか、かえって調べたら、三岐鉄道時代のほうが長かった(ぉ
ちなみに、西武時代の編成は、401系トップナンバーの401編成であり、クモハ401-クモハ402(パンタ付)であった。
そして、こちらは三岐鉄道三岐線の最新鋭電車(といっても、もちろん西武のおさがり)である三岐鉄道751系751編成である。751系はこの編成しか存在しない。
西藤原方先頭車に、三岐鉄道初の車いすスペースを設置している。
ちなみに、西武時代の編成は、クモハ283(パンタ付)-モハ236-クハ1236であった。
この751系に関しては、譲渡改造の際、異なる2編成(元西武鉄道101系235編成の池袋・本川越方と283編成の飯能・西武新宿方)を組み合わせて組成している。というのも、現在の西武鉄道では、車体の切りつぎを伴う大規模な改造を行っていないからである(つまり、設備面の問題で大規模な改造ができない)。
余談だが、余った片割れ(クハ1235-モハ235-クモハ284)は伊豆箱根鉄道に譲渡され、駿豆線で活躍している。
ちなみに、西武鉄道101系自体は、いまだ現役なので、別に珍しくもなんともない。ただし、残った編成は、ワンマン改造車のため魔改造を受けているが・・・
751系電車を撮った後、保々駅に隣接する保々車両区を敷地外から覗きにいくことにした。
工場内には、元西武鉄道401系の101系電車103編成が検査入場中であった。
この電車は西武時代から通算して半世紀以上、まだまだ引退の兆しすら見えないくらいにきれいになりつつあった。今後も末永く活躍してほしい次第である。
ちなみに、西武時代の編成は、クモハ405-クモハ406(パンタ付)であった。
保々車両区のそばを歩くと元西武鉄道701系の801系電車801編成と元西武鉄道401系の101系電車105編成が休んでいた。
この写真だけ見ると、一昔前の西武電車の風景と錯覚してしまう。両列車とも1997年に西武から引退しているが、引退から20年後の今でも、この三岐鉄道と、群馬県の上信電鉄で今なお健在である姿が見られる。
ちなみに、奥にいる801系電車801編成の西武時代の編成は、モハ779(譲渡に伴う改造時にクハ1779の運転台を移設)-モハ780(パンタ付)-クハ1780であった。
と、ここで三岐鉄道ED45形電気機関車が、重連で通過していった。
この機関車は、三岐鉄道の主収入源であるセメント列車の牽引に使われている機関車で、セメント列車は、東藤原周辺にある太平洋セメントの藤原工場から、三岐鉄道三岐線を通り、富田駅でJR関西線へとバトンタッチし、四日市駅を通った後、先ほど紹介した末広橋梁を通り、旧四日市港駅へと向かうのだ。
そう、我々は下流から上流へとやってきたのだよ。
なお、GW中ということもあって、当然貨物列車は運休してましたとさw
元西武鉄道401系の101系電車105編成に焦点を当てて撮影したもの。
側扉が、Hゴム押さえのタイプから金属押さえのタイプに変わっていた。おそらくある時期(たぶん、西武101系譲渡後)から取り換えられたものと推測される。(余談だが、西武401系の金属押さえタイプの側扉は後期改造車のほうに該当するので、前期改造車には1両も存在しなかった)
パッと見ると、西武時代の423編成(改造順の都合で唯一非張り上げ屋根車で、金属押さえタイプの側扉であった)を彷彿させる姿であった。
ちなみに、西武時代の編成は、クモハ409-クモハ410(パンタ付)であった。
この風景見ると、三岐鉄道三岐線じゃなくて、実は西武鉄道三岐線なんじゃないかという(ぉ
なお、多摩川線より冷遇されている模様(ぉ
ちなみに、西武時代の編成は、モハ771(譲渡に伴う改造時にクハ1771の運転台を移設)-モハ772(パンタ付)-クハ1772であった。
おや? 改造種車「72」だって? これは何かのぐうz... って、千早、うわ、やめ、何をする、ちょっとほんまごmくぁwせdrftgyふじこlp(無事粛清されましたw)
なお、三岐線電車に使われているクーラーや台車にも「72」がつくもy... (その後、わいの姿を見たものは誰もいなかった)
保々駅に戻ったあと、まずは三岐鉄道851系851編成を撮影する。
三岐鉄道801系と似ている(というか、種車は同じ)が、違いとしては、台車が違うというだけである。なお、諸般の事情により行先幕がLED化されており、異彩を放っている。
参考までに、三岐鉄道801系はコイルバネ台車のFS342(国鉄DT21台車と同様)、851系は空気バネ台車のFS072・FS372をはいている。
アイマスの世界踏んでから、72という数字に反応するのは仕様...
ちなみに、西武時代の編成は、モハ701-89(譲渡に伴う改造時にクハ1789の運転台を移設)-モハ701-90(パンタ付)-クハ1790であった・・・
なぜ、ここで句点を使わなかったのか。なんとなく察しがついたのではなかろうか?
実は、2012年11月に、三里駅構内で脱線事故が発生した。その事故の当該編成がこの編成であり、事故の影響で、クハ1851(元西武クハ1790)が廃車となってしまった。
そのため、片割れを失ってしまったこの851編成は、とある手段を持って、再びこの三岐線に返り咲くことになるのだが・・・
種明かしは後述までのお楽しみということにしてほしいw
余談ではあるが、この電車の西武時代は、西武701系電車の最終編成であった。また、西武から引退した当時は6両編成であったため、地方私鉄に譲渡された701系の中で、異色中の異色の経歴を持っているのである。
保々で暇をつぶした後は、いよいよ本番の三岐線乗り鉄旅へ。13年前に訪問した際に未乗であった保々~西藤原間をメインに乗りつぶすことにする。
というわけで、やってきたのは元西武鉄道701系の801系電車805編成。これに乗って、終点の西藤原を目指す。
ちなみに、西武時代の編成は、モハ781(譲渡に伴う改造時にクハ1781の運転台を移設)-モハ782(パンタ付)-クハ1782であった。
余談であるが、実は、西武701系で一番最後に残った編成であり、1997年2月のさよなら運転でも使用された編成でもある。
ありえん良さみが深い。
よく、Twitterにいるヲタクが発する言葉ですね。ありがとうございます。
てか、もう一度いうたるわ。
優勝! 優勝!
まーたすぐ優勝したがるよこいつは
また、語彙力のNASAロケット打ち上げてからの爆発フラグがさく裂した理由をこれから説明しよう。
なんと、この801系電車805編成の車内の内装が・・・
西武時代とまったく一緒
そりゃね。優勝したくなるよね(ぉ
てか、もうさすがに座席が新しいモケットに変えられているのではと危惧していただけに、これはかなりうれしかった。
もう、本場の西武では絶滅してしまった茶色モケットを久々に拝めた(なお、今年2月にくめがわ電車図書館で拝んでいる模様)からうれしくてうれしくて・・・
途中で、わいたちが乗っている車両が誰もいなくなったので、撮影してみた。
何もかもが懐かしすぎてね。ええ・・・
奥にある両開きの貫通扉も久々に開けられたので、よかったっす。(アップで撮影すればよかった・・・)
なお、わい将、ZAKIさんに対し、両開きの貫通扉をノーヒントで開けてみてくれという無茶ぶりを展開した模様。(あとで、例は示してあげました)
そして、終点西藤原に到着して、もう一度車内を撮影する。
もうね・・・本当
ありえん良さみが深い。
終点西藤原で撮影した801系電車805編成。いい感じに陽が前面にあたってていい写真が撮れたかなと。
なお、わいが電車に夢中になるあまり、千早が拗ね始めた模様(という設定)
ちょこっとアングルを変えて、青空と山と電車を絡めて撮りました。絵ハガキに使えそうな写真かなと思いましてw
そして、いったん西藤原で駅の外に出る。
西藤原駅に隣接する駅前公園に足を運ぶ。
この駅前公園には、かつてウィステリア鉄道という団体が、毎週日曜日のミニSL・ミニ新幹線の無料運行などの運営を行っていたが、2015年3月を持ってミニSL・ミニ新幹線の運行が終了し、静かな公園へと戻ってしまった。
公園内には、写真のように、警報機や信号、レールなどが展示されている。
駅前公園の全容はこんな感じ。ミニSL・ミニ新幹線が運行されていたレールも見える。
なお、公園内は獣の●●がそこら中に転がってるから足元に注意しようなw
西藤原駅のホームの片側には、機関車が静態保存されていた。どれも三岐鉄道にゆかりのある機関車であった。
参考までに、左の写真が、蒸気機関車E102号機、右の写真の手前にいるのが電気機関車ED22 2号機、奥にいるのがディーゼル機関車DB25号機である。
余談だが、かつては別の電気機関車(ED502号機)が保存されていたようだが、ED22 2号機が展示される代わりに解体されてしまったそうである。
公園の散策が終わったところで、上り列車に乗りこむ。
やってきたのは、さっき保々で見かけた101系電車の101編成だ。
101系電車の101編成の車内。
座席のモケットとFRPの部分が、青色になっていること以外は、西武時代とさほど変わらない。
西藤原駅の駅の端っこで青空と電車を絡めて撮影してみた。よきよき。
この電車に乗って、丹生川駅まで向かう。
東藤原駅に貨物列車が留置されていた。中には、東武からきた機関車もいた。
丹生川駅で、降車後、近くにある貨物鉄道博物館へと向かう。
さて、ここから貨物鉄道博物館に展示されている車両をご覧いただこう。
15トン積過酸化水素専用タンク車であるタム8000形8000号である。
2軸タンク車としては最多の621輌が製造された15トン積ガソリン専用タンク車であるタム500形2920号。
静岡県の東海道本線用宗駅から分岐していた巴川製紙所の工場引き込み線で、原材料や製品を載せた貨車の入換えに活躍したディーゼル機関車であるDB101号。
日本鉄道が発注した英国製の蒸気機関車で、国鉄や東武などで貨物列車をけん引していたB4形39号。
元は愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)が第一次大戦後に常滑線沿線の貨物需要が急増したため製作した有蓋車であるト200形246号。
製造時は北越鉄道(現在のJR信越本線の一部)の8トン積有蓋車で、後の国有化により各地で使用されたワ1形5490号。
有蓋緩急車としては初の鋼製車で、2人乗務用の広い車掌室が特徴であるワフ21000形21120号。
ワフ21000形21120号の横に、修繕中の無蓋車がいた。
130トン積吊掛式大物車として、1955年日本車両東京支店で富士電機製造株式会社向に製作されたシキ160形。
同車は車体を二分割し、中間に変圧器を組み付けて輸送する吊掛式輸送に専用する貨車で、鉄道貨物輸送の一分野である特大貨物輸送を象徴する貨車となっている。
丹生川の貨物列車博物館を見学した後に、三岐鉄道751系751編成を撮影するが、これは西藤原行なので、のらず・・・。
それでは、最後に丹生川から保々まで乗った電車はというと・・・
この電車です。
というても、車内だけじゃわからないとは思いますが、よく見てください。
手前の扉が片開き、隣の車両の奥の扉が両開きになってますね。これはいったいどういうことでしょうか?
では、隣の車両にいくと・・・?
もともとは広い貫通路だったのですが、隣の車両に合わせて狭くしてますね。明らかに魔改造であることがうかがえる一面です。
また、よく見ると化粧板(車内の壁に貼ってある板)も手前の車両と奥の車両で色が異なっていますねえ。
窓が汚れすぎててアレですけれども、転落防止幌が取り付けられたため、妻面の雨樋がすっごい魔改造をを受けているのがおわかりいただけるだろうか・・・?
というわけで、最後に乗った電車のヒントをお伝えした。
では、これから回答と解説を示すことにしよう。
答えは、さっき保々で見たこいつ。三岐鉄道851系851編成である。
前述の通り、西武時代の編成は、モハ701-89(譲渡に伴う改造時にクハ1789の運転台を移設)-モハ701-90(パンタ付)-クハ1790だった。
さらに先に述べた通り、2012年11月に、三里駅構内で脱線事故が発生した。その事故の当該編成がこの編成であり、事故の影響で、クハ1851(元西武クハ1790)が廃車となってしまった。
そのため、片割れを失ってしまったこの851編成。のちに、再びこの三岐線に返り咲いた。
それでは、どのような手段を持って返り咲くことになったのか、次の写真をご覧頂きたい。
こういうことである。
もしかしなくても・・・
あれ??? 前後で顔が違うぞ???
と思うのは当然である。
さっき見た写真の前面とこの写真の前面は明らかに違っている。これはどういうことだろうか・・・
では、これから片割れを失ってしまったこの851編成の復活の軌跡を紹介しよう。
三里駅構内脱線事故により、西藤原方先頭車を失った三岐鉄道851系851編成は、一時期運用離脱を強いられた。
普通であれば、片方の先頭車を失ったから、全車廃車は避けられないはずである。しかし、全車廃車を免れた。なぜか?
それは・・・
部品取り用に購入した先頭車を流用したから
である。
実は、三岐鉄道751系751編成導入時に、西武から部品取り用として、元西武101系237編成のモハ238とクハ1238も一緒に譲渡されていた。
この2両は部品取り用なので、普通ならば、用がなくなったら解体されるのがオチである。
ところが、先に述べた通り、脱線事故により1両廃車が発生したために、部品取り用車両のクハ1238に白羽の矢が立ち、三岐鉄道851系851編成の残った2両と組むことになったのである。
しかし、クハ1238と残りの2両は貫通路の幅が違っているので、改造なしでの運用は不可能である。
そこで、モハ881の西藤原方の貫通路をクハ1238と同じ幅に狭める工事を行い、連結できるようにした。さらに、行先幕のLED化、転落防止幌取り付けなどを行い、(設備上)751系751編成と遜色ないような改造を受けた。
このように予期せぬ事態が発生したがために、予期せぬ改造を受けた三岐鉄道851系851編成は、再び三岐線を走れるようになったのである。
参考までに、脱線事故前の編成と、脱線事故から復帰後の編成を示すとこうなる。
脱線事故前の編成 | クモハ851(元モハ701-89。運転台部分はクハ1789) | モハ881(元モハ701-90) | クハ1851(元西武クハ1790) | 1995.12~2012.11 |
脱線事故から復帰後の編成 | クモハ851(元モハ701-89。運転台部分はクハ1789) | モハ881(元モハ701-90) | クハ1881(元西武クハ1238) | 2013.9~現在 |
※クモハ851が近鉄富田方。
かくして、三岐鉄道851系851編成は、凸凹編成となって、三岐線で一番異彩を放つ列車として生まれ変わったのであった。
今回、三岐線で乗った3つの列車は、わい的に・・・
優勝! 優勝!
結局そこに行きつくんかい
三岐鉄道の乗り鉄旅を終えた後、保々駅から伊勢方面に向けて、進路を変える。
四日市市街地の南側まで行き、そこからひたすら国道23号を南下した。
鉄道橋から道路橋に転用された橋を探せ!
伊勢に向かって帰る途中、ZAKIさんから・・・
「昔、昔の近鉄の鉄道橋だったところが、道路橋に転用されている場所がある」と聞いたので、せっかくだからということで、実際に寄ってもらうことにした。
鉄道橋から道路橋に転用されているとか心がうずうずするではないか!
というわけで、復路の中間部分のマップがこちら。
マップの下部に見える「津興橋」の表記。ここが、ZAKIさんが言ってたところらしい・・・
それでは、鉄道橋だったところが、道路橋に転用されている「津興橋」というものをこれからご覧頂こう。
近くのコンビニで小休止がてら、実際に現地へ足を運ぶ。
これが、例の「津興橋」である。確かに橋であることは間違いないのだが・・・
ちなみに、一度車でここを通った瞬間、ZAKIさんが言っていたことがすぐにわかった次第である。
橋をよく見てみると、鉄道橋にある「プレートガーダ」があるのがわかる。普通の道路橋であれば、まずこういった構造にはなっていないので、かつて鉄道が通っていたあかしであるのはゆるぎない証拠であった。
その後、ちょこっと調べたのだが・・・
この「津興橋」は、「昭和5年 伊勢電気鉄道の鉄道橋として築造」されたらしい。
歴史をたどってみると、伊勢電気鉄道、通称「伊勢電」の前身となる「伊勢鉄道」は明治44年に創立された。
最初は軽便鉄道だった伊勢鉄道は、大正末期に電車となり、のちの昭和5年に津新地~新松阪間開業時に岩田川に架けられたのが、この橋というわけであった。架橋当時は、「岩田川鉄橋」と呼ばれていたようである。
その後、伊勢電気鉄道は経営不振に陥り、「参宮急行電鉄」に吸収され、太平洋戦争終戦1年前の1944年に近畿日本鉄道の路線の一つとなったそうである。
確かに、ZAKIさんの言う通り、かつて近鉄電車が通っていたというのは間違いのない証拠であったということだ。(また、その証拠として、「津興橋」を含む通りが、「近鉄道路」と呼ばれているそうである。)
近畿日本鉄道誕生後、伊勢線として鉄道営業が続けられていたが、採算がとれなくなり、1961年に廃止となった。
伊勢線廃止と引き換えに、同区間は、バス運行に転換されることとなり、そのバスを運行するために、道路橋に転用されることとなったらしいのである。
さらに、後年、バス運行も廃止され、今のように一般道路に転用されることとなったそうだ。
この日の前半にいった末広橋梁・臨港橋といい、この津興橋といい、結構面白い橋があるので、橋めぐりも楽しいなと感じた次第である。
しかし、この「津興橋」。調べてみたら、将来的に運命を変えられる橋であることを知ったのだ。
それでは、聞いてください。
この「津興橋」。架け替えが決定してます。
つまり、どういうことかというと、将来的に現在の状態の橋がなくなる。要するに、鉄道橋としての痕跡がなくなってしまうということだ。
津市によれば、幅員4メートル未満の狭い道路を広げることで、日照、通風など市街地環境の整備、地震や火災など災害時における避難路の確保、緊急車両が通行しやすくなるなど良好なまちづくりを現在推し進めているそうだ。
そのまちづくりの一環の大プロジェクトとして、「津興橋」の架け替えがあるということである。
建設後85年が経過し、日当たり交通量1万6,000台を誇る津興橋。しかし、大地震が発生した際の耐震性に問題があること、また地震発生時に通行を確保するべき橋梁の一つに位置付けられているため、橋の架け替えが決定したそうだ。
津興橋は、2023年までに新しい橋への架け替えを行うそうで、現在の橋に関しては再来年度(2019年度)限りで撤去される計画となっている。言い換えれば、賞味期限は2年あるかないかということである。
もし、この記事を読んで興味がわいてきたのなら、早目の訪問をお勧めしたい。
ソースがあるので、参考までにはっておく。
津市 - もっと住みやすい津市へ! 道路や踏切を広げます。橋を架け替えます。
津興橋を経由した後、夕飯を食べに松阪へ。一風変わった焼き肉店があると聞いたので、そこに寄ることにした。(後日、アイモバリアルグルメツアー記事としてとりあげました。詳細はこちら)
その後、松阪市内にあるZAKIさん・たんでむさん御用達の店で、グッズ漁りをした後、夜の宇治山田駅を経由して、キャンプ地に帰還している。
というわけで、一風変わった店である「一升びん 宮町店」へとやってきた。
なんか、回転寿司で見るレーンがありますね。これはいったい・・・?
なんと、レーンには、肉が回っている!
回転寿司屋ならぬ、回転焼肉屋。こりゃ、珍しいし、人気のお店というのも頷けた次第である。
なお、わいたちは、一般席のほうに行きました。回転席は、結構待ちがあったし、オーダーストップも早くて間に合わないと思ったので・・・。
2人は、普通の肉と、写真にある松阪牛の肉を焼いて、中日の焼き肉パーティーが開催されましたとさw
久々に食べる松阪牛はいいですねー。なお、ほとんどZAKIさんに焼いてもらった模様(ぉ
最後は夜の宇治山田駅を見に行った。1日目の昼間にも見に行ったが、味のある高架駅で、この駅をしのぐ高架駅は見たことがないと思っている。
駅舎を撮るなら、昼間がいいのかもしれないが、この夜の宇治山田駅舎も味があっていいと思った。
闇夜に浮かぶ「近鉄」の文字もまたかっこいいと思った次第である。
ということで、2017年GW伊勢遠征の2日目の記録は以上になります。
うん、1日目もそこそこ濃かったけど、2日目もえらい濃かったですねwww
さて、最終回の2017年GW伊勢遠征の3日目は、進路を変えまして、南紀方面。潮岬を目指して旅していきます。
我々は、無事に潮岬へ到達できるのか? そして、帰りのバスに間に合わない疑惑が発生??? いったいどうなってしまうんですかねー。
もしかしたら、2017年GW伊勢遠征の3日目の記録の前に別記事を挟んでから掲載するかもしれませんが、次回記事を過度な期待はなさらない程度にお待ちくださいませ。
では、長々と記事を書きましたが、お読みいただきましてありがとうございました。