こんにちは。北陸の食パンです。
12月は師走といいますように、どうしてもブログ更新が滞りがちでして、今年も例に及ばず1ヶ月以上空けてしまいました。もう、これはジンクスといってもいいのではないでしょうか。
そして、改めてのC99も間も無くということで、公私ともに余裕がない状況が続いております。ブログ記事もあと2つは書かないといけないなというところでして、フラストレーションが溜まる一方ですが、時間を無駄にしないように行動していければと思います。
さて、今回は、3年前のわいが主催した団臨イベントの事実上の襷リレーとも言える「三岐線開業90周年団臨 805F団臨」のレポートを書いていきたいと思います。
今回は、わい主催というわけではありませんが、3年前に幹事の一人であったふーたろ君主催で開催されました。ということで、早速前説をかねてレポしていきたいと思います。
目次
【前説】ついに実現したふーたろ君の主催団臨
前回の団臨イベントではわい主催で、幹事の一員として動いていたふーたろ君。
彼は、昔から主催の団臨をしたがっており、わいが参加したものしてないもの問わず、数々の団臨に参戦してきたうえで、いろいろと研究し、ようやく今年の最後に主催団臨を開催することにこぎつけたのだ。
彼はわいに以前から、いろいろな構想を話しており、実際に形になる日をわいは楽しみにしていた。
彼が実際に動き出したのは、今年の夏からで、三岐鉄道にいろいろな交渉をしつつ、仕掛品の準備にも取り組んでいった。彼自身は行先幕を忠実にトレースしたものなどを用意し、主催幹事の一人であるえふえす君はヘッドマークの作成を担当した。
わいは今回の団臨の主催幹事と明確に位置付けられてはいないものの、種別板の貸し出しなど裏方的なところでサポートすることとなった。
なお、当初は種別板の貸し出しぐらいであとは参加者として傍観するつもりでいたのだが、彼からいろいろ話を聞いているうちに裏方でもいいんで、ちょっとだけでもいいから仕掛ける側に回りたい気持ちが出て来てしまって、パンフレットの制作を申し出たりとか、そのほかのサポートをする役回りで動くことにした。(彼みたいに前日入りとかできていれば、完全な主催幹事の1名として動けたと思われるが、あいにく秋の異動によりそれが困難になってしまったので、中途半端な立ち位置になってしまった次第である)
また、団臨1週間ちょい前に、ふーたろ君と実際に会って、パンフレットの制作に関する打ち合わせやその他の打ち合わせもしている。その時に彼からいろいろと話を聞いていたが、わいがやった当時の反省等も踏まえて、色々な構想をしており、また今回の団臨の開催に際して、並々ならぬ労力を費やしてきた。
わいも、3年前に主軸で動いてきた立場として、それに応えねばならぬと思い、今月に入ってからいろいろとサポートすることにした。(当初は介入しすぎても良くないかなと思ってたけれども、ふーたろ君と話して気が変わった次第である)
わいが成し遂げられなかったことも含めて、今回の三岐団臨でそれを実現するというのもあり、当日まで気分は結構浮ついた次第である。
【第壱章】とりま現地へ。久々の東名18きっぷ旅
団臨前日は夜勤明けということもあり、動ける手段は限られていた。
機動性を重視するなら、自身で車を運転するのが手っ取り早いが、高速代と燃料代のコスパを考えると、一人だけで往復するのはプレミである。また、往復新幹線は、とてもじゃないが出費がでかすぎるので却下となった。
そんな中、団臨の1週間前に1年ぶりにマティスさんと酒クズ会をしていた。そこで、余った18きっぷの残りを活用し、関東〜名古屋間を久々に18きっぷオンリーで移動することとした。
意外と波乱じみた名古屋行き
家を昼過ぎに出て、途中渋谷郊外の用事を済ませ、中央林間・藤沢を経由して、それから西へ向かうわけであるが・・・。
小田急線で藤沢に向かっている途中で、嫌な情報が入ることとなった・・・。
「ただいま東海道線は、先ほど戸塚駅で発生した人身事故の影響で、現在運転を見合わせているとの情報が入っております」
うわああああああ
ここで、すでに波乱フラグを引いてしまっているが、とりあえず藤沢で様子を伺うことにした。下手に迂回するよりはマシだと思ったからだ。もしかすると、下手したら数時間ロスしてしまう可能性があるが、それはそのときで新幹線使えばどうにかなるという思考でいた。
藤沢駅で十数分様子を伺ったあたりで、下り列車が来るとの放送があり、急いで改札の中に入る。とりあえず、小田原行がくるとのことなので、とりあえず逝っとけ精神で小田原までいくこととした。そうすれば、仮に後続の列車までかなり差が開いた場合、熱海か三島まで新幹線で逃げればいいという選択肢を選ぶこともできるからである。
とりあえず、小田原まで来て、後続の熱海行きがくることを確認し、小田原から先も在来線経由で行くことにした。どうにか新幹線利用は回避できる形となった。
後続の熱海行きに乗った後、熱海で乗り換えて、一旦沼津で下車することにした。
沼津に降りて訪れたのが、沼津で有名な喫茶店である「どんぐり」である。2年前にマティスさんとの酒クズ会会場が沼津だったので、その時に中休みとして寄ったことはあった。
この「どんぐり」に関しては、後日単独記事でまとめようかなと思っている次第である。いつになることやら
入り口で食券を買って、テーブルにあるホルダーに挟み込みます。
空いている樽舟を見かけたら、そこの中にそぉいと入れます。とりあえず待ちましょう。
注文した料理が近づくと、座っている席の先にランプが点灯します。
これを見逃さないように。見逃してしまうと注文した料理がジャーじゃなかったそのまま流されてしまいます。
ちなみに、トイレにいってて、帰ってきたらランプ点灯してたので焦ったのはここだけの話にしておこう。
「蒲原 ランプ点灯ヨシ!」(現場猫的発想w)
そして、注文した料理が樽舟に乗って流れてきました。
片手で止めようとすると止まらない(というより料理の中身が溢れる)可能性があるので、できる限り両手で止めましょう。
止めたらテーブルに料理やホルダーなどを置いて、樽舟を空にしたらそのまま流せばOK。
てか、水が2名分きたのは想定外でした。(まあ、厨房から人数を把握しているわけではなさそうで)
今回は明太茶漬けとブルーパンチを注文。茶漬けよりデザートの方が高かったっていうw
茶漬けもそこそこのボリュームがあるので、少食な人はもうお腹いっぱいになるのではないでしょうか。
どんぐりを後にしてから、沼津駅前のスーパーで買い出しをして、急いで駅へと入ることに。
駅改札にいた時点で既に列車は入っており、急いでホームへと向かう。意外と入線早くて驚いたw
ということで、沼津から浜松まではこの最強ホームライナー浜松号で快適に移動することになる。なお、浜松に着くとそのまま普通列車豊橋行に化けるため、実質豊橋まで人権が得られることになるのだ。
これから乗る電車は、特急「ふじかわ」や「伊那路」などで使われていて、過去には快速「ムーンライトながら」でも使われたものである。
この電車に乗るのどれぐらいぶりだろうかw
ホームライナーは自由席だということで、たまたま空いてた1名用座席に座って、沼津で買い出しした酒とつまみで一杯やりながら豊橋まで時間を潰したw
はたから見たらタチ悪かったかもしれないが、気にしないことにする(ぉ
豊橋についた後は、名古屋まで在来線最速の特別快速に乗り、途中眠りこけながらも無事名古屋に到着。その後、知人とちょっとだけ会ってから、宿泊先に移動し、寝ることにした。
翌朝、8時前に宿を出て、近鉄名古屋から近鉄富田まで急行列車に乗って向かった。
近鉄富田から、今回の団臨の集合場所である保々まで、三岐線に乗車した。
【第弐章】団臨当日 フォトラン編
というわけで、保々駅についたものの、まだ誰もいない状況だったので、ふーたろ君と連絡を取り、10:10くらいまで駅周辺を散策することにした。
10:30前にふーたろ君たちと落ち合い、仕掛品に関して若干の打ち合わせをした後、他の参加者と少々雑談などしていた。
そして、ちょっと後に1年ちょっとぶりにZAKIさんと合流し、久々に会えたというのもあり、様々な雑談に花を咲かせた。
それと並行して、今回の団臨で同行する三岐鉄道の社員さんがご挨拶にきたので、わいも挨拶しがてら、今回の団臨用のパンフレットを配ったりしていた。
フォトラン往路
列車入線の時間が近づいたので、わいは撮影する大多数の人間と別れ、 ZAKIさんとともにホームへと足を運び列車を待った。
保々車両区から出庫してきた805Fを撮影。近鉄富田方には、ふーたろ君作成の回送種別板が取り付けられていた。わいが感知していないふーたろ君参加の団臨があれば話は別だが、おそらく実戦投入はアレ以来だと思われる。
下りホームに列車は入線し、ドアが開いた後、わいは列車に乗り込む。
前半は、フォトランであるものの、実際には撮影と乗車どちらか選ぶことができたため、個人的な都合で沿線撮影をパスして、乗り鉄に徹することとした。
乗車後に座席にあったサイクルパスの板。これ自体を間近で見たのは過去にもあったが、西武時代で使われていた種別板の上に貼られているのが特徴となっている。ちなみに裏側を撮るのを失念したが、裏側は黒い板が貼られている。
805Fの車内。座席モケットは三岐標準の青色である。
ちなみに、2018年春に西武イエローとして検査出場する前までは、西武時代の茶色のモケットであったが、変更されてしまっている。個人的には茶色のままであったら激アツ間違いなかったんだけど。
逆を言えば、三岐鉄道の保守がきちんとしている証拠だと言っても過言ではなかろう。
ちなみに、一般客の誤乗防止のため、団臨参加者の乗車勢と三岐鉄道の関係者が乗り込んだ後、すぐにドアを閉めている。
往路は近鉄富田方に準急の種別板をつけて走ることとなった。
なお、この準急の種別板の持ち主はわいである。これは、主催のふーたろ君から依頼があったので、とりあえず手持ちの全種類持参した次第である。
ふーたろ君が作った回送種別板とわいの快速急行種別板の並び。三岐鉄道の社員さんがきれいに並べてくれたらしい。
ネタバレにはなるが、帰りは右側の快速急行の種別板をつけて走ることになる。
一昔前の西武電車といえば、やっぱり両開きの貫通扉(車両間を行き来するところにある扉のこと)。
今では、現役車両として走っているのもこの三岐鉄道の801系各編成と851系のみという貴重な存在となってしまった。この重みのある扉を開けるたびに昔の西武時代を思い起こすのである・・・。
そうこうしているうちに、列車は保々を出発。下り方面に向けて走っていくのであった。
途中の三里で、時間調整を兼ねて10分少々停車することとなった。団臨前日(と前々日)の降雪により、あたりは雪景色となっていた。12月にしては結構降ったそうで、ZAKIさん曰く、北部に大雪警報が出ていたとか。
ここで、ZAKIさんとともにすかさず駅のトイレに駆け込んだのち、ちょっくら撮影することとした。
三岐鉄道の社員さんのサービスで本来最後尾になるはずの車両を停車中に限り前照灯点灯させていただいた。非常にありがたい限りである。
往路の最後尾は、準急西武球場前の仕様で運行された。準急の種別板は前述の通り、わいの手持ちのもの、西武球場前の幕は、主催のふーたろ君が、実際の幕をトレースして作成したものとなっている。3年前の団臨のときは結構目見当でやってたけれども、モノホンのトレースのほうがやっぱりしっくりくるのは言うまでもない。
一旦駅の外に出て、近鉄富田方にある踏切より撮影したものである。今にも西武球場前に向けて走り出しそうであるw(線路は繋がってるが、JRで単独運行は不可能なのでw)
やっぱり西武といえばこの顔だよなあと思った次第である。
そして、三岐鉄道の社員さん(後で知ったのだがしかも運行管理のお偉い方)より、オススメの構図を教えてもらったので、それ通りに撮影してみたもの。
805Fと先のミラーに映っている裏写りの805F、そして先に見える三岐沿線の一大シンボルである雪をまとった藤原岳という「三岐よくばりセット」のできあがり。
これに関しては、おおなるほどって思いました。さすが、三岐鉄道の社員さんはダテじゃないっすよ。
ちなみに、西藤原方は、西所沢⇔西武球場前という表示になっており、この表示については、今回使用している805Fに標準搭載しているものとなっている。(もちろん黄色一色になってから入れている)
西武時代の幕より若干フォントが丸みを帯びているものの、これはこれで悪くないなと思った次第である。
そして、ホームにも少々雪が残っており、足元が悪いので気をつけながら歩いた。
10分少々の停車もあっという間に過ぎ、さらに列車は下っていく。(標高で考えると登ってますけどw)
そして、列車は伊勢治田に到着。ここで折り返しとなるが、本来のホームに入らず、貨物本線で折り返すという形となった。写真に写っている上り列車をやり過ごした後、旅客ホーム側では、上下貨物列車が行き違いを行うという普段では見られないであろう光景を見ることができた。
フォトラン復路
折り返し中に種別板が交換され、上りは快速急行の種別板をつけて運転されることとなった。もちろんこの快速急行の種別板もわいの手持ちのものである。
そして、外された準急の種別板とまた後で使う回送種別板の並びである。回送種別板自体はふーたろ君が作ったが、元のトレースはわいが行っていたりする。
若干目線が高いけど、ガキの頃の前面展望のイメージで撮影してみた。陰っちゃったけれども、快速急行という特急に次ぐ速達種別を掲げて走る姿はなかなか乙なものである。
折り返しは20分ほどの停車であったが、なんだかんだやっているとあっという間に過ぎ、また保々に向けて出発するのであった。
伊勢治田を出た後、丹生川で、少々停車となる。ここでは一部の撮影組が保々まで便乗するとのことでドア扱いが行われた。
上りの西藤原方の表示は、武蔵境⇔是政という表示になっており、この表示についても、今回使用している805Fに標準搭載しているものとなっている。(こちらも御多分に洩れず黄色一色になってから入れている)
ちなみに、今回使用された805Fは、西武時代701系781Fとして活躍していた。781Fとして活躍していた時代において、西武鉄道唯一の離れ小島路線である多摩川線対応編成の一つであった。そのため、本線系統で走っていたほか、時折、多摩川線で走る姿も見られたのである。
そのことから考えると、この幕のチョイスはなかなか乙だなあと思った次第だ。
逆側を丹生川の構内踏切から正面で撮影。表示は快速急行西武球場前となっている。
このとき少々晴れ間が出てきたので、ぬるゆる勢にしてはいい感じに撮れたかなと。
藤原岳をバックに1枚撮る。側面が陰ってしまってるが、まあこれはこれでいいんじゃないかなと。(ぬるゆる勢基準)
アップで撮影したもの。順光の快速急行の種別板が本当に映える。
また、正面を撮影。この顔しか勝たん。(老害感丸出し)
丹生川でも、三里と同じようなイメージで撮影してみる。ただ、足りないのは藤原岳だけども。(逆側なので当然ない)
雨樋の縦筋が通る姿もまた凛々しいものだ。(ちなみに西武時代は存在せず)
ちなみに、丹生川では、復刻塗装の101系との交換を行うこととなった。交換の後列車は出発した。
余談だが、一般客が誤乗しそうになったのはここだけの話にしておく。(三岐鉄道の社員さんが対応してくれたので、わいは何もしていない)
そして、列車は保々に戻ってきた。保々に到着後、種別板を回送につけかえて、一旦下り方に引き上げた後、保々車両区へと入っていく。
入庫する前に一度止まったので、クモハ805の先頭部のサイドビューを撮ってみる。
武蔵境⇔是政幕でこの構図は、まるで白糸台(西武781F現役当時時代は北多磨)を思い起こさせるかのようである。(白糸台の場合はここまで直線にはなってないけども)
もう一枚若干アングルを変えて撮影。西武時代より1両短いとはいえ、それでも西武イエローになると西武時代の頃を彷彿させるには十分な姿であると思う。
保々車両区への引き上げの最中である。右にいる電車は元西武401系の三岐101系電車である。ヘッドライトは三岐仕様になっている。
そして、保々車両区の奥側へと入っていく805F。左隣には西武時代かつ登場当時の時代を再現した赤電カラーを纏った803Fが待機していた。
フォトラン編および乗車編はこれにて終了。この後しばしの休憩となる。
【第参章】団臨当日 撮影会編
そして、14時前になり、今度は三岐鉄道三岐線の要所中の要所と言える保々車両区において、撮影会が実施されることとなった。
全員集まった時点で、三岐鉄道の社員さんの誘導を受け、保々車両区に入場する。
ちなみに、わいが保々車両区に入るのは、初めての話ではなく、2004年の春に一度見学させてもらったことがあった。当時は、電話で三岐鉄道本社にかけて予約すれば、車両区内の見学は容易にさせてもらえたものであったが、今では団体客のみの受け入れとなっており、個人で申し込んでも門前払いされてしまう。(2017年に電話問い合わせした結果)
17年ぶりに中に入れるというのもあり、そりゃもうわくわくであった。
というわけで、三岐鉄道801系3本並びである。
左奥から赤電カラーの803F、西武イエローの805F、三岐カラーの801Fという順である。
西武イエロー以外の2編成は、午前中は三岐線の普段の運用に入っていたが、この撮影会のために他の3両編成と運用交換してこのような並びが実現した。このような計らいをしてくれた三岐鉄道様には頭が下がる思いである。
先ほどのフォトランで走った805Fが真ん中にいる。
そして、両隣の電車に乗り込もうとする三岐鉄道の社員さんたち。ヘッドライトをつけるために準備しているところだ。
そして、三岐鉄道の社員さんより簡単な注意事項を受けた後、撮影会が開始される。
改めて、今回の主役であった西武カラーの805Fである。西武701系時代は、781Fを名乗っており、西武701系で最後まで生き残った編成であった。1997年に入線しており、後述の801Fが三岐にやってきてから8年経って入線している。
2018年春先に、突如西武時代の復刻塗装に変わり、西武701系の後半時代にあたる西武イエローの色を纏うことになった。
この編成の西藤原方先頭車のみ、他の801系と台車が違う(コイルバネではなく空気バネ)ため、クハの車号のみ他編成と異なった付番がされている。
三岐カラーの801Fである。西武イエローよりも濃いイエローに腰部にオレンジ色を纏った姿になっており、真ん中がVラインとなっているのが特徴となっている。
元西武779Fで、平成初期に三岐に入線しているため、西武にいる時より三岐にいるときのほうが長くなっている。
西武赤電カラーの803Fである。元西武771Fで、801F入線から3年後に入線した。こちらも801Fと同様に、西武にいる時より三岐にいるときのほうが長くなっている。
2019年春先に西武時代の復刻塗装シリーズ第二弾ということで、赤電カラーを纏うようになった。
そして、ヘッドマークはわいの団臨でも幹事メンツの一人だったえふえす君お手製のヘッドマークが取り付けられた。
三岐カラーの801Fにも、お手製のヘッドマークが取り付けられた。周りについているものが、なんとなく小学校によくあったアレを思い起こさせるw
赤電カラーと黄色の並びである。当日の天候を反映させるためにあえて暗めで撮影させていただいた。
805Fにもヘッドマークが取り付けられ、西武の「急行 奥武蔵」ヘッドマークのデザインを元にしたヘッドマークが取り付けられた。
しばらくして、ヘッドマークが変えられ、昔懐かしい「西武電車フェスタ 検修場まつり」のヘッドマークになっていた。
今日ある武蔵丘検修場一般公開のときの初回で使われたもの(そのあとは記憶に残ってないので不明)であり、似たような顔つきの西武101系電車で実際に取り付けられて走ったことがある。
西武イエローの805Fのヘッドマークも交換された。先ほどの「西武電車フェスタ 検修場まつり」をモチーフとした「復刻・西武カラー 三岐鉄道90周年」ヘッドマークとなっている。
それにしてもヘッドマークの電車の絵柄を見るとヨドバシカメラの広告にありそうな感じのデザインだなあと思ったり(ぉ
赤電の803Fも同様に「復刻・西武カラー 三岐鉄道90周年」ヘッドマークに交換されたが、さっきのものと違う点としては電車の配置と表情が異なっている点である。結構芸が細かいと思った次第だ。
というわけで、復刻西武カラー同士の並びである。左の赤電については、伊豆箱根鉄道にいた元西武701系にも塗装が施されたことがあるため、ある意味二番煎じ的な感じにはなってしまっているけれども、伊豆箱根鉄道の復刻塗装は側扉も塗られたのに対し、三岐鉄道の復刻塗装は側扉は塗られていないという違いがある。
伊豆箱根は登場当時のイメージで、三岐は初期の冷房改造直後のイメージといった感じである。まあ、いずれにせよ赤電をリアルタイムで見られなかった世代(まあ、赤電の活躍末期にいたにはいたけど見る機会には恵まれず)であったので、いずれにしても新鮮である。
対して、西武イエローについては、三岐鉄道が初めて復刻している。3年前のGW前に復刻塗装になったと聞いたときは度肝を抜かれたものだ。
別角度から復刻西武カラー同士の並びを。個人的には好きな構図だ。
そして、赤電カラーの幕が、狭山湖に変えられた姿である。「狭山湖」は、今の西武球場前駅の先代駅名であるが、現在の西武球場前の駅とは位置が若干異なっていたりした。
赤電カラーに装着されたヘッドマークのアップ。
赤電カラーを少々下から撮ってみた。天候が曇天だったので、その色に合わせて撮影してみた。
続いて、西武イエローを少々下から撮ってみた。ガキの頃の思い出が蘇る・・・。
そしてど正面から西武イエローを一枚。表示が急行西武新宿となっており、西武時代を彷彿させる姿となった。
赤電カラーに乗り込む乗務員を撮影。といっても、実際の三岐鉄道の乗務員ではなく、正体は主催のふーたろ君であるw(一応、目線加工はさせていただいたw)
実は、わいの悪ノリで彼にわいが持っている西武の制服を着せてあげたのだw
体格もわいとほぼ似たようなもんであり、普通に着ることができた上に、すごく似合っており、参加者の皆にも好評だったと思われる。(一部の人には撮影会前に種明かししたけれどもw)
ただし、制帽に関してはわいが持っている一番大きいものを被せた形である。(唯一違う点は、わいよりも頭のサイズが大きいので)
改めての三岐801系3並びを撮影する。
ちょっとかがんで西武イエローを撮影してみた図。もうちょっと屈み気味でもよかったかもしれない。
撮影会の表舞台の向かい側には元西武401系の三岐101系が待機していた。西武時代は701系列の増結車として活躍していた他、支線系統でも活躍していた裏方的存在であった。
三岐には3編成おり、1編成は三岐復刻塗装バージョンで走っている。
復刻西武カラー同士の並びをまたも撮影。今度はどちらも急行西武新宿の表示をしており、西武時代を彷彿させる図となっていた。
赤電カラーを正面から撮影したもの。赤電カラーの左側は下り本線であり、赤電カラーの位置から外れると一触即発でアウトになるため、そこそこビビりながら撮影したものである。(三岐線のダイヤグラムが実際に発売されてるから、それ買って持参すればよかったなどと)
西武イエローの急行西武新宿の表示をしている姿を撮影する。
西武イエローの隣の三岐カラー801Fは、急行近鉄富田表示になっていた。(こちらには西武新宿の幕は搭載していないため)
三岐線に今も急行があったら、いったいどこの駅に停車するのか予測するのもまた一興ではないだろうか。(実は、過去に朝のみ急行が走っていたそう)
そして、赤電カラーの幕が変わり試運転表示に。試運転表示は、三岐においても西武時代と同じく赤文字表示となっている。(回送は黒文字表示だけども)
西武イエローの幕も試運転に変更された。西武顔の試運転表示はなかなかいいものである。
復刻西武カラー同士の並びを三度撮影。試運転幕の姿での撮影である。
そして、赤電は拝島・多摩湖表示に、多摩湖は今の西武遊園地の・・・って言おうとしたけど、そういえば今年の春にまた多摩湖に駅名戻っちゃったのよねw
多摩湖駅に戻ってからまともにいってねえや。(近いんだけど、いつでもいけるからってやつw)
若干青空が見え始めたタイミングで、西武イエローの快速急行西武新宿表示を撮影する。やっぱり快速急行種別板をつけた姿がかっこいいね。
西武イエローのヘッドマークを101系電車(旧型の方)引退時に取り付けられたヘッドマークに交換された姿。
うっかり忘れてたけど、ワンマン種別板付けてって言っても良かったかw(701系時代はなかったけど)
三岐カラーの方は、大安行の表示と大安駅開業30周年のヘッドマークが取り付けられていた。こちらのヘッドマークは三岐鉄道が保有している本物のヘッドマークである。
駅名の読み方は「だいあん」だが、縁起的な意味では「たいあん」ということもあり、三岐線の駅の中ではなかなかに人気があるそうらしい。
なお、幕一覧に「大安」は昔からあるものの、大安行は、定期列車としては存在していない。(臨時列車で走った実績ならある)
なお、撮影会の途中で乗務員室の見学ができるという話を聞いたので、十数分離脱して乗務員室の見学をさせていただいた。大昔に、保々車両区に見学に行った以来である。
14:00から始まった撮影会もいよいよ後半戦へ差し掛かり、一旦入換の時間となったため、線路外へ避難することに。
ちなみに、西武イエローと赤電についていた黄色の電連(電気連結器)は、実際に電連としてしようされているわけではなく、それを模したダミーである。このダミーの電連も西武イエロー復刻塗装登場時に合わせて作られたということで、なかなか粋な演出だなと思う。
電連だけ放置される風景なんて普通撮れないので、一枚収めておいた。
というわけで、実際に入換が開始され、まずは西武イエローの入換からスタートする。
(その前に三岐カラーが移動しているが、後半の撮影会には出てこないので省略)
そして、西武イエローがピット線へと収まっていった。ピット線に収まった西武イエローがありえんかっこいい。
つづいて、赤電がピット線へと入っていく。本当だったら、西武イエローみたく入っていく前の正面写真を掲載したいところだが、そのときにつけていたヘッドマークが、ネット上掲載NG案件であったため、やむなくこの形で代用させていただく。
ギリギリのところでなんとかシャッターを切ることができた。
そして、復刻西武カラー両者がピットインしたところで終わりというわけではなく、これから放置された電連を赤電に取り付ける作業が待っているのだ。
そして、取り付けを開始する。一人で取扱えるものではないので、2人がかりで取り付ける。1人は位置決めして固定し、もう1人はボルト締めする役割で作業に臨む。
作業中の風景を撮影したもの。普段では絶対見られない光景だ。
時間に制約があるのもあって、若干焦っていたのかもしれないが、一回取り付けたもののうまくいかず、再トライ。その際、車両区の人に加えて、団臨に乗務していた乗務員さんも応援に入り、無事に取り付け作業が完了した。
そして、赤電は池袋表示とえふえす君特製のヘッドマークを装着した姿に。
西武イエローの方には、3年前の上信団臨のときもお手製のヘッドマークを作成していたいるまっこさんによるヘッドマークもここで披露された。復元で作成したものではあるが、このヘッドマークをつけるのはおそらく西武以来ではなかろうかと思う。(他の団臨で実績がある可能性もなくはないけども)
そして、赤電の新所沢表示を撮影。
そして、ピット線内の復刻西武カラー両並びを撮影する。イエローの方は西武球場前の表示から西武新宿に変わった。(幕に挟んでた紙をここで剥がした)
なお、過去の三岐団臨でピット線を使用した撮影会は例にないそうで、今回のふーたろ君主催の案件が初めてとのことであった。今回はたまたま作業がなかったから実現したようなもので、作業があったらまず実現できない案件であった。
そして、イエローの幕が変わり、白い幕と思いきや、なんか赤線が入ってるぞ!?
ちょっとズレ気味で切ってしまったので恐縮ではあるが、アップで撮ったもの。この赤線は方向幕の終わりであることを示す線で、西武時代も編成中間に入ってたりする場合、この表示になることがあった。
JRの国鉄車でいう「これ以上巻くな」と同じ意味である。しかし、この表示とか本当に久しぶりに見た(老害感)
赤電側も同じような表示が披露された。
そして、16:00が近くなる。もうそろそろ終わりの時間で、ピット線から撤収となった。
そして、まずはピット線から赤電が出る。ケツ打ちど正面の姿で撮ることができた。
そして、西武イエローも普段の姿に戻り、ピット線からの出庫を待つ。
入換中の赤電先頭のサイドビューを撮影。やっぱり西武伝統の横顔は美しいものだ。
そして、もう一枚撮る。色合いをもう少し暗くして撮影してみた。
そして、ピット線から西武イエローが出て、今回の団臨のプログラムは終了となった。
今回の団臨+撮影会の主役3並びを収めて、仕掛品等の回収を手伝い、撤収となった。
というわけで、今回の団臨のレポートは以上になります。
まあ、感想を言えば、あのときのわいをかなり超えてきたかなと思います。まあ3年前に比べれば、色々と進化してるのは事実ではあるけれども・・・。
今回、久々に団臨に参加して、三岐鉄道で一度くらいは主催ないしは共催でもいいからやってみたいなとは思ったかなと。上信でし損なったことをそこで補えればなおいいかなと考えてはいます。
来年、西武イエローの方が検査入場するので、そのままで出てくるのか、三岐カラーに戻るのかはわかりませんが、去就に注目したいと思います。
今回の団臨の企画・催行の主役であるふーたろ君をはじめとして、その他携わった幹事のみなさん、また今回の団臨でお世話になりました三岐鉄道の関係者の方々に厚く御礼申し上げます。
また、今回参加された皆さまも本当にお疲れ様でした。会話を交わした人はほとんど知ってる人らばかりにしかしてなかったので、行き届かなかった点が多かったと思いますが、またどこかの団臨でお会いする機会があればどうぞよろしくお願いします。
ということで、今年の最後に色々と刺激を受けたイベントでした。ありがとうございました。