こんにちは。北陸の食パンです。
6月後半は、公私ともに忙しない状況が続きましたため、まったくブログに手をつけることなく終わってしまいました。申し訳ございません。
さて、今回は懐かしの車両探訪記シリーズ第弐弾をお送りしたいと思います。
今回の懐かしの車両はいったい何でしょうか? 早速本題に入っていきましょう。
千葉県松戸市の某所に展示されている流鉄「なの花号」を見に行く
今回紹介する「なの花号」は、以前流鉄でも乗ったことがあり、かつ引退後千葉県松戸市の某所(答えは後述というか、タイトルに書いちゃってますけどw)に展示されています。
展示されている情報自体は、数年前に入手しておりますが、いかんせんなかなか行く機会がなく、かつ種別板をある程度揃えてから行きたいというのもあったので、訪問自体が遅くなってしまいましたが、2017年6月4日に直近の界隈メンバーの乗り過ごしPを連れて現地訪問してきました。
こちらが、流鉄2000系「なの花号」ことクモハ2006である。流鉄に行く前は、もともと西武701系電車として走っていた。
奇しくも、今年の2017年は、西武701系電車が引退してから20年の節目である。そんな節目にこの「なの花号」に再び出会えたのは何かの運命なのかもしれない。
ちなみに、見た目的は前回紹介した「くめがわ電車図書館」のクハ1150に似ている。
「なの花号」にはヘッドマークと、快速急行の種別板を模した最終運行の板が掲げられていた。
「なの花号」の後ろにはホームらしきものが設けられており、奥に見える後ろの扉から車内に入ることができる。
そして、「なの花号」の黄色い車体に黄緑色のNが描かれている。
中扉には「なの花号」の表示と、簡単な歴史がかかれている表示がはってあった。
西武701系はまだ張り上げ屋根ではなかったため、雨樋が露出しているのが特徴である。
ただ、この場所に搬入されてから車体の保守が行われていないのもあって、ところどころ錆が浮き出ているのがお分かりいただけるだろうか。
そして先頭部分を写す。もともとこの電車は4両編成であったが、流鉄譲渡時に、中間車両に先頭車両の乗務員室付近を移設して接合する作業を行っているため、パンタ付きの先頭車となった次第である。
西武所沢車両工場が閉鎖されてからは、譲渡車両に関しても、前述のような大規模な改造は行われなくなってしまった。
そして、台車を見てみると、国鉄DT21台車と同タイプのFS342台車を採用しているのがわかる。
車体周りをひとまず観察したところで、「なの花号」の車内に入ることにしよう・・・。
こちらが、「なの花号」の車内である。ほぼ引退当時のままの車内となっている。
元西武701系らしく、グレーっぽい寒色系の化粧板が貼られており、一昔前の車両である雰囲気を漂わせている。さらには、懐かしの茶色いモケットが時代を感じさせているように思えた。
なお、西武701系登場当時は、非冷房車両であり、のちに冷房を搭載したのだが、その工事の際に後期改造工事車の車内が改造当時の最新鋭車両と似たような感じになっているのが特徴となっている。
この「なの花号」に関しても、その例にならっており、手すりと網棚が一体となっている後期改造タイプであることがわかる。
車内の中吊りには、当時の広告のほか、「なの花号」が流鉄から搬出される様子の写真が展示されていた。
写真を見るに、車体を2分割にしてから搬出されたようで、おそらく輸送費を圧縮するために、車体を2分割したものと思われる。
車体を分割しないで運ぶとトレーラーが必要になりますし、そもそも展示されている場所周辺の道路状況があまり良くないので、そもそもトレーラーで運べなかったということであろう。
というわけで、もう一度乗務員室側から「なの花号」の車内を写す。
奥は、通り抜けできないように遮光板のようなものでふさがれている。(この車両にもともと貫通扉がなかったためにこうなっている)
ここで、よく見てほしい。床になにかあるのがおわかりいただけるだろうか?
その部分にちょっと近づいてみることにしよう。
床にある不自然な金属板をアップで写す。
これが、流鉄から搬出されて、展示場所に搬入された際、接合作業をおこなったときに加えられたものである。
故に、車体を分割して搬出し、搬入された際に再度接合したことがわかる証拠となっているのだ。
客用扉を車内から撮影する。ステンレス製のHゴム支持の窓枠を採用したドアとなっている。
一昔前ならまだまだこういう車両が見られたが、現在では最新鋭車両が台頭しており、Hゴム支持の窓枠を採用したドアがついている電車はあまり見られなくなっている。
扉は引退当時のままで、くめがわ電車図書館のように手すりなどがついておらず、車外から開けるときは、大変苦労するので注意されたい。
なお、扉横には車内用の電灯スイッチが設置されている。ちなみに、出るときは電気を消しましょう。消さねえと怒られるんだよなあ
乗務員室後ろの座席の窓には「なの花号」の諸元表や図面などが4枚ほど貼られていた。
おそらく、流鉄から提供(といってもコピーだろうが)されたものと思われる。
諸元表によれば・・・
- 1966年3月、701系757編成のモハ758として、西武所沢車両工場にて製造
- 1980年4月冷房化およびブレーキのHSC化改造(諸元表にはないが、手持ちの資料より抜粋)
- 1996年12月、西武での運用を終え、譲渡に伴う改造のため、西武所沢車両工場に入場
- 1997年3月、改造を終え、西武所沢車両工場を出場し、流鉄に向けて甲種回送される
- 同じく1997年3月より、流鉄(当時は、総武流山電鉄であった)にて2代目なの花号として運用開始。
- 2003年2月、ATS取付工事実施。
- 2006年3月、ワンマン運転対応工事施工。
- 2013年4月、さよなら運転実施。翌月付けで廃車。
といった具合に西武時代から含めると47年間(西武30年間、流鉄17年間)活躍していたということになる。
西武701系自体、西武時代において車齢30年たたずに廃車解体された例が多く、この「なの花号」の種車のように30年きっかり活躍した編成はかなり希少ともいえる。
また、余談だが、「なの花号」の種車であった757編成は、上信電鉄に譲渡された755編成(150形第三編成)とまったく同じ日に製造されており、片や運用離脱して1両保存されているのに対し、上信電鉄のほうではいまだに現役といったように、譲渡先の違いで明暗が分かれてしまったといっても過言ではないだろう。
乗務員室後ろにある車号銘板と製造銘板を撮影する。
製造銘板は旧タイプのものとなっている。旧タイプは「工」の字が「互」のような形で表記されているのが特徴的だ。
この旧タイプの銘板は、701系列までとなっており、101系以降は新タイプの銘板に移行している。
そして、乗務員室後ろを撮影。
前は、小さい子供でもかぶりつきができるぐらい窓が大きくとられているのが特徴となっている。
高度経済成長期前後に作られた西武電車の乗務員室後ろ部分は、たいていこのようになっていた。
それでは、乗務員室に入ることにしますか・・・
こちらが運転台部分である。「くめがわ電車図書館」のクハ1150と似たような雰囲気の運転台となっている。(厳密にいえば細部含めてだいぶ相違点はあるのだが・・・)
手前の左側にあるボタン類が、ワンマン運転時の放送装置のボタン類となっており、譲渡時にはこのような装置はなく、後で付けられたものとなっている。
そして、運転台周りの写真がこちら。引退当時のままの仕様になっている。
西武701系電車のマスコンは、101系とは異なり、旧タイプのマスコンを装備している。奥のレバーを動かしてから、マスコンをひねる仕様になっている。
乗務員室の椅子は、客席のモケットと同じく茶色ベースのモケットを採用している。レバーを動かすことで、座面の高さを変えることができる。
そして、視点を上にやると乗務員室扉がある。バランサー付きのタイプで、窓は好きな位置に止められるタイプだが、さわれないようにテープ留めしている。(テープはがせば窓開けられるけどよいこは真似しないように)
また乗務員室扉も開けられないようになってる。(間に挟まってる木材を取れば開けられるけどよいこは真似しないように)
横にあるドアスイッチも操作不可能になっている。(もし、ドア鍵を持っていれば操作は可能であるが・・・)
運転台の上を撮影する。
西武701系列にはカノピスイッチなるものが設置されていたが、いったいどんなものなのか、わいもよくわかっていない模様である。
運転台横には灯具類などの押スイッチが設置されている。
さらにその横には冷暖房や床下機器類の操作を司るNFBスイッチが設置されている。
西武701系列でも、前期型と後期型に分かれており、NFBスイッチが設置されているのが、後期型になっている。逆に、前期型は、この写真にあるNFBスイッチ部分が押スイッチになっていた。
NFBスイッチの近くにある黒い箱のようなものは、ワンマン運転対応改造時に設置された行先LEDである。
反対側の扉には、なぜかフライ旗がおいてあった。現役時も備え付けられてはいたんですがね・・・。
さて、ここからは乗り過ごしPにご協力をいただいて、わいの種別板コレクションを使って、種別板掲出撮影会を敢行したので、その模様をご覧頂こう。
まずは、基本種別の「急行」と「準急」。おそらく、「なの花号」は、西武時代の種別板が掲げられるなんてないと思っていたのだろうが、わいによりその命を吹き込むことになったのだ。(もしかしたら、その前に誰かやってるかもしれませんけどねw)
次に、「快速」と「通勤急行」。両方とも、西武時代に掲出してはいたのだろうが、そうそう掲出する機会はなかったのではないかと推測される。
その次に、「通勤準急」と「快速急行」。この2種類もそうそう掲出する機会は少なかったのではないかと思われる。少なくとも通勤準急に関しては、ほぼなかったのではなかろうか。(快速急行は、西武園臨時列車や西武遊園地発着列車で使用実績はあるにはあった)
最後に、「区間準急」と「ワンマン」。これらは、西武の現役時代には絶対に掲出されなかったので、ある種のネタ写真になってしまった感はあるが、これはこれでよきよき。
その後、ほかの展示車両や、博物館内を見て回り、「なの花号」の訪問は終了した。
昭和の杜博物館の案内
ちなみに、この「なの花号」が展示されているのは、昭和の杜博物館というところになります。
簡単ではありますが、昭和の杜博物館の案内を以下に記載します。
<開館日>
金曜・土曜・日曜・祝日の10:00~16:00
※入館料別途300円必要(ただし、高校生以下は無料)。博物館内の受付で入館料を払ってから見学しましょう。
<アクセス>
JR武蔵野線・北総線「東松戸駅」西口より徒歩約15分
※歩くのがだるかったら、駅前からタクシーを使いましょう。(初乗り圏内でいけます。なお、近くを通るバスはないです)
詳しい場所はこちらをご覧ください。
ということで、久々の放浪記として「なの花号」探訪をお送りしました。
「なの花号」を知ってる人も知らない人もぜひ一度は足を運んでみてください。
昭和の杜博物館では、昭和の古い乗り物・農具・民具・雑貨等が多数展示されております。
そして、機会があれば、博物館内やその他屋外展示の様子などを記事にしたいと思っております。いつのことやら
また、いつか「なの花号」を訪問したいと思います。