こんにちは。北陸の食パンです。
まあ年末ということで、例年通り今年の思い出を締めくくる記事を今回はお送りしたいと思います。
タイトルは、「2023年わい的思い出ランキング」ベスト10を発表したいと思います。まあ、はっきり言って誰得記事ですがご笑覧頂ければこれ幸いです。
書いてたらあまりにも長くなってしまったので、前半と後半で分割しました。今回は後半ということでベスト3と番外編を掲載したいと思います。
簡単(?)ではありますが、各々のエピソードも語っていこうと思います。
さあ、早速残りのランキングの発表をしていきましょう!
と、その前に番外編はさむよw
目次
番外編(その壱):ランキングに載せたかったけど...
今年を振り返ると結構色々あったので、本当は載せたかったけど、苦渋の決断でベスト10から漏れてしまった案件をいくつかここにまとめておきたいと思います。
壱:5年ぶりにちちぶ72号に全区間乗る
西武鉄道には土休日のみ運転する特急列車の一部に対し、インフレナンバーの号数を割り当てています。(平日と運行時刻が大幅に異なる場合のみ適用)
その中に、あるのが・・・
ちちぶ72号www
まあ、何が言いたいかはお察しでしょうが、うん。
「ちちぶ72号」→「乳部72号」→「如月千早」
それに7号車2A席があるので完璧www
ちなみに、前回は2018年にやりました。このときはNRAでしたが、今回は初のLaviewで全区間乗車芸ということでやってきました。今年の2/25は土曜日なのでねw(なお、来年も運行がありますが、今年やったので来年はどなたかにお譲りします。こちらは別の72企画をやろうと考えてます)
ただ、今年の夏に西武の特急料金値上がったので、今年やっといて正解だったと思うw
飯能まで車で行って、それから西武秩父まで普通列車で行った後、駅前の温泉で一風呂浴びてから、特急改札口へ。グラビアスタジオの起動も忘れないw
ということで、西武秩父→池袋間全区間乗車しやした。
その後、どうしようかと思ったんですけど、前日に急遽思いついたことがあって、また西武秩父まで特急で帰ります(ぉ
はい。ということで、えくにー(eXpresserさん)と会ってきやしたw
前回はC100で会ってるので、エンカ自体はそれほど年月は経ってはいないものの、彼が西武沿線にくるのは、小平時代(社会人始めて数ヶ月)以来7年ぶりということで、これは会わねばということで秩父まで引き返しやした。
ということで、落ち合った後二人でお酒飲みながら色々話やした。(多分、二人きりで酒飲むのは初めてなはず)
また、彼が羽生市内のホテルに泊まってたので、基本クーポンで飲食代まかなってもらいやした。(一部当方で現金負担)
ゴチになりやす。
ちなみに、彼が羽生に宿とったことに後悔してたツイートを見つけて、こっそりちちぶ72号乗る旨をツイートしたところ、なんと念が通じたのか「Laview」に乗る方針を決めたため、じゃステルスで秩父まで行って迎撃したろって思って、秩父まで舞い戻ってきたわけですw
もんじゃ会で活かしたリカバリー精神を発動できてよかったわーw
酒飲みながらいただいた豚みそと鹿串と猪串。豚みそはたまに食べるけど、後者は初めて食べた。やっと念願だったジビエ料理食えてよかった。
その後は、一緒にLaviewに乗って池袋へ。随所でわいが沿線案内したりw
池袋で解散。彼はその後ライブを見に行く都合があるため、JRの改札で見送りやした。(帰りも飯能まで特急w 4回乗るとかわろた)
なお、今年の夏に特急料金値上げが行われたので、池袋〜西武秩父間全区間乗車芸は結構贅沢な域に入った感はある。
んで、ランキングから漏れてしまった理由。
2ヶ月後にバチ当たり事案が発生したため
まあ、彼と飲んでる時に彼に「バチ当たりだろ」的なことは言われましたが、まあ見事にバチあたり事案がでましたwww(4月下旬にねw)
えくにーに罪はありません。あくまでわいのせいです。はい。
前回も半年後にバチ当たり事案があったので、もうこれはねなんでしょうかね。うん、もう頭抱えていますw
弐:ミリシタ某イベント打ち上げ
ということで、先ほどの案件から2ヶ月後、見事にバチが当たりまして、久々にミリシタをくそまじめにやりましたwww
んで、ミリシタ史上最少人数6名によるトッププラチナラウンジ称号獲得を無事達成。(それに至るまで様々なメークドラマがあったっていうw)
個人ランキングについてはここでは言及を避けたいと思いやす。
イベント終わってすぐのある日に全員関東に集結しました。
ラウンジマスターに牛タン奢ってもらいやした。いやー、ほんまに美味しかったっす。ゴチになりやす。
資金はポケカの某カードから捻出したとかしてないとか
まあイベントのヒントあげときやすねw
わりかしすぐに届いてよかった日本酒2本。飲み比べましたな。左は飲んだことあるけど、右は初見。(某フォロワーから話は聞いてたが)
2次会はラウンジ面子の某氏の家で前述の日本酒を飲みながらつまみつまんでやした。
1人は事情があり先抜けして、5人残ってやしたがうち2人が早いうちに寝落ちしてやした。
雑魚寝だったけど思ったより寝れた。
翌朝は小杉湯という銭湯にいきやした。The 銭湯って感じですこw
しかも、文化庁に登録有形文化財としても指定されている貴重な銭湯であります。
んで、ランキングから漏れてしまった理由。
この快挙をランキングに載せるのはちゃうな
と。わいだけの力やないからね。ラウンジ面子が協力してくれたからこその力だからね。まあ、わいがリードしてたのは間違いないがw
だから伝説にしておきたいのよこれは。(まあ、わい個人のランキングもある意味伝説であった。個人的な下馬評は相当覚悟してたつもりが、まさかああなるなんて誰が思ったのだろうか)
参:埼玉うどん巡り
9月某日(わかる人にはわかる)に、3年越しにようやく重い腰をあげて実施しました。
埼玉は香川に次ぐうどん県と言われてるんすけど、リサーチしていくと様々なうどんがあるねえってことで、1日で埼玉の特色あるうどんを全部食いに行くことは不可能だが、その中で気になったところをピックアップして行ってきました。
まずは、秩父の方に出向いて「ずりあげうどん」なるものを食す。
だいたい、わいが秩父に出向く場合はそばか豚味噌丼に走りがちなので、実は初見だったりw
この「ずりあげうどん」は食べ方に特徴があり、茹で汁とともに供されるうどんをずり上げてお椀に取り、醤油やネギなどといった薬味を加えて食べるというもの。釜にうどんを入れ、茹で上がったらずりずりと引き上げながら麺をすすることからその名がついたと言われています。
農繁期でもすぐ作って食べられるということから秩父周辺での伝統のうどんの文化になったようです。
薬味は醤油・ネギのほかにも、卵・唐辛子・コショウ・ごま油・かつおぶし・揚げ玉などがあります。さらに、猛者レベルになるとマヨネーズをかけて食べるってのもあるようですw
いろんな薬味使って味変するのも食べ方の一つだと思われますな。
初心者でも食べ方をしっかり教えてくれるので、是非とも秩父に行った際は食べてみてはいかがだろうか。
その後は、2019年の台風で被災し、長らく通行止だった定峰峠の秩父側がようやく通行止解除したので、久々に秩父側から定峰峠を抜けて、東秩父側に少し降りたところの鬼うどんに立ち寄りました。
定峰峠は「頭文字D」の聖地に一つでもあり、たまにこの店周辺でオフ会も開かれるとか。
一応、公共交通で行くことも可能。(小川町駅からイーグルバス白石車庫行きで終点まで。そこから定峰峠方面に登る)
こちらが鬼うどんこと「きんぴらからみ鬼うどん」。看板メニューになります。豪快にきんぴらごぼうが入ってるのが特徴。季節により冷たいうどんor温かいうどんといった感じになります。
「頭文字D」が好きであれば、一度履修してみてはいかがだろうか。ただし、埼玉のうどんの値段としては高めなので・・・。
なお、車で行くと写真撮ってくれる場合もあるので、ご希望であれば店のご主人に声がけするといいかもね。(時によっては主人が合間に撮影することもあるらしい。なお、きちんと店のアルバムに保存されるので、ちょっと時間が経てば思い出入り)
あとは、コーヒーとか天然水サービスしてくれたりなどありましたね。人は間違いなくいいほうだと思います。はい。
ここで結構お腹いっぱいになったので、東秩父・埼玉古墳群を経由して埼玉県東部側へ移動。
少し間が空いて、東北自動車道羽生PAで食べられる「一本うどん」を食す。もちろん初見。
「鬼平犯科帳」に出てくる「一本うどん」がモチーフになっており、羽生PAの建物自体も「鬼平犯科帳」を再現したような感じになってるのが特徴だ。
見た目は量が少なそうに見えるが、意外と腹持ちは良い印象を受けた。温泉卵やネギと一緒に食べるとまた味わいが変わる。(ネギは抜くことも可能)
最後は、加須うどんで〆。加須はわいの住処とほぼ真逆の位置にあるので、かなり意識しないと行かない場所でもあるw
加須うどんの特徴として麺の光沢やみずみずしさが挙げられ、冷たいうどんで食うとおいしいとされている。加須では江戸時代からうどんが主食として根付いており、今でもその風習は絶えることなく続いているそうだ。
んで、ランキングから漏れてしまった理由。
個人的にインパクトちょっと弱いかな
と。
来年はお残しした案件を中心にもう一度回れればと思ったのですが、来年は土曜日か。立ち回りどうするか考えます。
本当はもう一つ載せたかったけど、記事が長くなりすぎるので省略。申し訳ない・・・。
第三位:久しぶりの九州へ
11月に突如九州へ行きました。今年でちょうど父方の祖母が亡くなってから6年、七回忌の時期になったということで、墓参りをメインにあとはちょっと九州を周遊することとしました。
行程は以下の通りです。
- (初日)自宅~成田空港(近くの温泉施設で前泊)
- (初日)成田空港~福岡空港~千早〜熊本〜延岡〜長湯温泉〜由布(車中泊)
- (2日目)由布~別府~国見~中津〜千早〜下関〜小倉(泊)
- (3日目)小倉〜尾道〜名古屋〜自宅(泊)
早朝の福岡行きの航空機に乗るために、自宅から出る時刻を調べたところ、初電では間に合わないことが発覚したので急遽前泊することに。
快活が軒並み埋まってしまっていたので、どうするべと思ったところ、芝山千代田の温泉施設のカプセルホテルが空いてたので、そこに行くことにしやした。
そして、翌朝成田空港から航空機で一路福岡空港へ。福岡空港で降り立つのも4年ぶりであった。
福岡空港に降り立った後は一路千早へ。千早に行ったのは(まあお察し)もあるが、福岡空港でレンタカーを借りることができず(3連休なので当たり前)、どこで借りようか迷ってたところ、一か八か千早駅近くのレンタカー屋を検索したら空きがあったので、必然的に千早駅に吸い込まれてしまったわけである。
とりあえず、ミリシタのグラビアスタジオでも記録した。アイモバiで記録したことが懐かしく思える。
その後、レンタカーを借りて、古賀にある旧祖母宅の様子を見に行った後に墓がある熊本県益城町へ急行する。益城町内にある花屋で花を買って墓参りをした。
祖母が亡くなってからは行く機会がなかったため初めてであったが、7年ぶりに行ったけれども、場所はきちんと記憶していたようで一発で見つけることができた。
墓参りの後は、熊本市街へと繰り出して太平燕の名店で太平燕を食す。昼飯時外したにも関わらず40分くらい待ったので、大人気コンテンツであることがうかがえた。
熊本の後は延岡へ向かうが、途中の通潤橋で小休憩。7年ぶりに来た。前回は、降雪の中来た記憶がある。
高千穂もよりたかったけど、時間の関係上+日没近いために今回はパス。また改めて行きたいところ。
延岡では夕食に日向鶏のタタキ(風)をいただく。夕食で食べたところも大人気コンテンツで20分くらいは並んだ。なお、わいの後ろで品切れによるオーダーストップがかかった。
少しでも延岡着が遅れてたらと思うとゾッとした・・・。
マジで食いっぱぐれたらシャレにならなかった
延岡の後は、三[tokyoloopline]君が大分在住時代に通っていた温泉の一つであるラムネ温泉(長湯温泉の一角にある温泉)を初履修。
長湯か七里田行くか迷ったけど、今回は前者で。
その後は、由布某所まで車を走らせて車中泊した。(車中泊不向きのアクアでよく寝れたわw)
ということで翌朝。男池近くの駐車場で車中泊してました。起床1時間遅れ。寝坊しちまったああああああwww
まずは、男池の湧水を堪能してました。湧水って神秘的で惹かれるっすね。こういった湧水行くのも久々で。朝にはトレッキング客と湧水を求める客が続々と到着してましたw
水を堪能した後は別府へ。鉄輪温泉に行ってきやした。地元民しか入らんようなピンチケ温泉に入ってきやした。
温泉入る前に鉄輪温泉のむし湯(足湯)に入ってました。鉄輪と書いて「かんなわ」って読むのは個人的にすこでw
仕事で世話になってる人が別府にいるんですが、今回は時間がないのでエンカすることは叶わず、またの機会に。
別府の後は国東半島の山を越えて、国見へ。何気に国東半島をまともに行くのはこれがはじめてのような希ガス(記憶にある限りは)
昼飯としてたこめしをいただいて、一路小倉へ。
途中で中津に寄って、唐揚げ食いましたw
宇佐神宮とか耶馬渓とかも久々に行きたかったんすけど、時間の都合上パスせざるを得ず・・・。
中津の後は、畑冷泉によって水を堪能してました。その後、小倉で野暮用を済ませて、一度千早へ帰還。
博多を経由して、小倉まで戻り、その後下関へ。
下関に着いたら、復刻塗装の瀬戸内色115系がいたので思わず撮影。
最後の晩餐は下関でふく(ふぐ)を食しました。ふく刺し、てっちり鍋、ふくのヒレ酒と現地のふくを思いっきり堪能した次第で。
小倉で行われたライブのこととかシラネ
ふくを食した後は、黒崎まで出て〆のうどんを食った後、小倉駅近くの快活で一夜を明かした。
そして、最終日の朝を迎える。
最終日は、フォロワーのい ろさんの車に横乗りさせてもらえることになっていたので、フェリーに乗る名古屋港までお世話になることに。(圧倒的感謝!)
写真は、九州と本州を結ぶ関門橋の前にあるめかりPAにて。個人的にい ろさんの車いつみてもあり得ん良さみ深いって思ってますw はい。
ぶっちゃけ横乗り承諾の案件来なかったら、九州には行ってなかったと思う。マジで。これもある意味棚からぼたもち案件w
昼食は、い ろさんが以前訪れた尾道の向島にある一茶というお好み焼き屋に行って来ました。わいは初履修です。
実はここ「Perfume」の聖地の一つで、「泣ける!広島県」というガイドブックの表紙やポスターに掲載されており、店内は「Perfume」のグッズ等であふれています。
2014年に前述のガイドブックが出て以降、聖地認定され今に至ります。それまでは街の小さなお好み焼き屋でしたが、やはり「Perfume」の力は偉大だなあと感じました。
というわけで、い ろさんと一緒に「Perfume」が頼んだと言われるお好み焼きを頼みました。結構美味しかったです。(い ろさんありがとうございます!)
見た目はコンパクトに見えてもボリュームは結構あってびっくりしました。
一茶のおかみさんもすごくいい方で話が盛り上がりました。今年は初の年末年始も営業すると言っておられましたので、「Perfume」ファンのみなさま、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
尾道から福山まで下道を走り、福山から再び山陽道へ。途中、9月の火災で被災した尼子山トンネル(下り)の横を通過。24時間体制による復旧作業の末、当初年末に通行止解除予定が、12/15 11:00に繰り上がりました。懸命に復旧作業に取り組んだ作業員各位には頭が下がる思いです。
関西に近づくにつれて、天候は悪化。新名神で三重に入ってからは濃霧、そして名港あたりの渋滞が重なって、フェリージャーするかしないかの瀬戸際の膠着状態が続いておりました。
そして、夕刻に名古屋港に到着。い ろさんの乗船手続きが済んだ後まで見送りました。本当にありがとうございました。
その後、バスに乗り、あおなみ線で名古屋へ。当初は7月にも会ったフォロワーに再度会う予定でしたが、体調不良のため見送りになったということで、名古屋からまっすぐ新幹線で帰りやした。なお、新横浜で降りて今春開業した東急新横浜線経由で帰りやした。(東武線が遅延やらかしてたので、その煽りは受けたけども)
今後、東海道新幹線使う際は東京・品川にわざわざ行かずとも新横浜で乗り降りが主流になりそうです。(東京・品川を全く使わないかといえばそういうことはないはずですが)
第二位:夏の東北旅行
とあることがきっかけ(後述)で、夏の東北旅行に行くこととなりました。奇しくもちょうど仙台で野球観戦する用事ができたのでその前後で予定を組んでみた次第です。
まあある意味初履修項目が多く充実した旅行となりました。
行程は以下の通りです。
- (初日)自宅~鬼怒川~米沢(車中泊)
- (2日目)米沢~最上川沿い周遊~酒田(泊)
- (3日目)酒田~銀山温泉~最上峡~赤倉温泉(泊)
- (4日目)赤倉温泉~最上町~仙台・名取(泊)
- (5日目)名取~仙台空港~最上橋~天童~最上町~仙台<野球観戦>(泊)
- (6日目)仙台周辺周遊~仙台(泊)
- (7日目)仙台周辺周遊~最上町(車中泊)
- (8日目)最上町周遊~自宅(日付変わって未明帰着)
といった感じです。東北に1週間もいるの初めてかも。
経年劣化日のブログにあげたダイジェストの他に、もう少し写真等を追加してまとめてみましょうか。
壱:最上川沿いをひたすら走る
行きは、2日目のスタート地点まで、オール下道の行程で、鬼怒川・会津経由で米沢へと向かう。
写真は道中で立ち寄った川治ダム。アーチ式コンクリートダムで堤高140mとなかなか高いダムであり、利根川水系である鬼怒川の上流部にある極めて重要なダムとして機能している。
昨年、Twitterでみましたが、悲しいことがあった現場でもあります。(その辺りは当記事においては詳しい記載は避けるので、気になったら自己責任でお調べください)
さらに20年ちょいぶりに塔のへつりを訪れる。以前に比べると入れる範囲が狭くなっていた。災害による通行止だから致し方ないとはいえ、正直物足りなさを感じた。
その後、大内宿に5年ぶりに寄ろうとしたが、時間的な観点+駐車場代とのコスパが合わないと判断し、泣く泣く通過することに。
そして、夕方に会津若松に到着。5年ぶりである。
会津若松到着後、久々に鶴ヶ城へ行くも、城の中にはタッチの差で入れず・・・。城内は20年以上入れてないので今度こそは久々に入りたい・・・。
米沢までだいぶ近づいて来たが、まだ仮眠するには早すぎるため、時間調整をかねて会津若松で軽めの仕事をこなす。
仕事しているうちにいい時間になってきたので、喜多方へラーメンを食いに急行したが・・・。
夜やってる店無さすぎて轟沈。あーあ・・・。
喜多方ラーメン食えなかった代わりに、5年ぶりの通行止現場へ。
ここは、かつて国道121号大峠区間として供用されていたが、道路環境があまりにも過酷すぎて、かつては東北一の酷道でもあったところだ。しかも、この道路建設を主導したのが、明治時代の鬼県令で有名な三島通庸だったそうで(お察し)。
今では、国道121号大峠道路が開通しているので、もはやこの酷道を復旧させる意義もなく、朽ち果てて行く一方である。
こんな真夜中に散策するのは遭難の危険しかないので、とりあえず大峠道路を経由して、米沢の山中で車中泊することに。一応携帯の電波は届いてましたw
仮眠から目が覚めた後、谷をくだってとある場所へと向かう。
2日目は、日本でも有名な川であり、山形の母なる川ともいわれる最上川の源流碑(実際はこの写真よりさらに上流が存在します)からできるだけ最上川に沿って河口まで向かう旅をしてみました。
ここまでたどり着くのに結構な険しい山道と、車道がなくなった後の険しい道を通ってようやっとこの最上川の源流碑にたどり着きます。
ということで、一般人から見たらきっと狂気の沙汰以外の何物でもない旅の始まり始まりw
最上川で唯一のダムである上郷ダム。水力発電も行われている。(堤から下流方面に向かって撮影)
土木遺産にも指定されている最上橋である。美しい3連アーチ構造が特徴である。かつては国道458号線に指定されていたが、少し上流に(新)最上橋が架けられた後は、そちらが国道458号線となった。
地元民の要望により、この旧橋も残され、今でも現役の橋として活躍を続けている。
JR左沢線の終点左沢駅近くにある公園から、最上川を写してみました。最上川は意外と蛇行を繰り返しながら酒田にある河口に至るため、こんな感じの風景をほかでも拝もうと思えば拝むことができます。(一番わかりやすいのはここかも)
最上川三難所と呼ばれるうちの一つ隼の瀬です。最上川三難所を下る川下りコースに乗りたかったのですが、川の水の量が例年よりもかなり少なく運休となっておりました。また、リベンジしたいです。
その後も、できる限り最上川沿いに車を走らせて中流・下流方向へと向かって行きました。
下流付近に来ると、2005年12月に羽越本線において強風による列車脱線転覆事故が発生した現場に至ります。せっかくですので、手を合わせに来ました。犠牲となられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
パっと見て御巣鷹の慰霊の園にある慰霊碑と形ほぼ似てるんだけど、なぜだろう。
17:30前に酒田市にある最上川の河口にたどり着くことができました。まだ夕日時よりちょっと早い時間ではありましたが、達成感を感じた次第でした。
最上川の源流碑から河口まで半日強かかりましたね。
2日目は酒田で宿泊。庄内地方で泊まるのは何気に初めてだ。
弐:銀山温泉を経由して最上町へ
3日目に入り、最上川を巡った後の翌日の午前中は銀山温泉を訪問しました。2008年以来15年ぶりに訪れました。やっぱいいですね。いつかは泊まってみたいものです。
温泉街を歩いたり、先の銀の採掘場を訪問したり、日帰り温泉に浸かったりしました。意外と温泉は熱かったですな。
銀の採掘場を訪問。15年前にも行ったが、内部の電灯が切れていたため散策は叶わず。ようやく散策できてよかった。
銀山温泉のあとは、最上川の中流域にある最上峡で川下りの船に乗りましたが...。やはり、こちらも例年より水量不足のようで、本来の川下りではなく、乗船港付近の周遊と相成りました。ここもまたリベンジ案件ですね。
最上峡の後は、新庄で時間調整してから最上町にある赤倉温泉へと向かう。
今年2度目の1人温泉宿。これ以降はしばらく1人温泉宿はおあずけになりそうかもしれないし、また来年気が狂ってやる可能性もなきにしもあらずってことで。
今回は鬼怒川温泉1人温泉宿のときとは違い、夕食・朝食付きのプランで宿泊。
たまにはこういうのもいいよね。
最上町でしか手に入らない日本酒も飲みました。最終日に買って帰りましたとさ。
4日目は、堺田駅を訪問。近くに分水嶺があり、そこから日本海と太平洋に流れるようです。
こちらが分水嶺です。左側が最終的に太平洋へ流れ、右側が最終的に日本海に流れます。比較的平地(とはいっても標高338mあるが)での分水嶺は極めて珍しいようです。
参考までに、前の写真の石碑の表面がこちら。
最上駅にも行って来ました。何気に行くの初めてです。(陸羽東線で新庄〜大堀間は往復したことはあるが、最上駅には到達できていなかった)
近年、駅にピアノが設置されたみたいです。(右の写真。近年廃校になった赤倉小学校より移転)
現在では、簡易委託駅となっており、駅窓口は平日の日中のみ営業(ただし、常駐しているわけではないので、用がある場合は電話で呼び出すのが基本となっている。なお、一時期は完全な無人駅の時期もあった)
余談ですが、次に9/14の最上駅の入場券が買えるのは3年後になります。(土日祝は窓口営業がないため)
あと、最上駅の下にある銘板内の駅名由来の改称された年月日が実際と異なる件についてはここでは触れないでおくw
最上町を散策してたら、いかにもって感じの鉄道橋梁を発見。これは、森林鉄道のトロッコが走っていた頃の名残とか。実際に通れるかはわかっておりませぬ。
こちらは、松尾芭蕉の奥の細道でも取り上げられている、尾花沢市と最上町の境にある山刀伐(なたぎり)峠である。
今では山刀伐峠の下を県道がトンネルで貫いているが、旧道も車両による走行が可能(ただし、冬季閉鎖期間あり)。近くには芭蕉が歩いたとされる道がハイキングコースとなっているところもある。
夕刻に最上町を脱出。今回は、田代峠というドマイナーな峠から脱出する。山形県側もダート県道だったが、宮城県側はさらに道路状況が悪いダート林道だった。
夜になって仙台入り。宿泊は名取にて宿泊となった。
参:野球観戦と仙台周遊
5日目は、仙台空港で飛蝗君を拾って、野球観戦前にまた山形へ舞い戻り、最上橋と最上駅に立ち寄ることに。(わいはもう行ったけど、飛蝗君が行くチャンスはここしかなかったのでw)
写真は、最上橋から撮った最上川。水量が少ない上に川の濁りがなかなか激しいw
昼食は天童駅にあるレストランにて。天童もまともに寄ったのは初めてだったり。
天童に行った後、最上駅を経由して仙台へ戻り。
夜から野球観戦の時間。飛蝗君に加え、たけのこも参戦。3連番で西武を応援しますw
この日はイベント的には、楽天の方にヲタク集まってたけど、わいらは逆張り集団なのでしゃあないねw
それと、パリーグTVのダイジェストにガッツリ映ってて草生えたよねwww
試合は3回と9回で動きましたが、西武不利の状況の中、9回表で点が入りうおおおおおっとなったのもつかの間、西武ライオンズを裏切った浅村のサヨナラホームランで西武が負けて、わい轟沈。
わいが今まで見に行った西武の試合、全部西武勝ってたのに、これで現地観戦初の西武黒星を見る羽目になりましたとさ。
これを見て当初は、9/1に関東に戻ろうと思ってましたが、諸般の事情により1日延長することにしましたw(まあ、予備日入れてたので織り込み済みではあったが)
6日目は、飛蝗君を仙台空港に送った後、仙台市内にある荒浜小学校を訪問しました。仙台市若林区は、仙台市の中でもとりわけ東日本大震災の被害がすさまじく、この荒浜小学校がある荒浜地区においても大津波が押し寄せました。
荒浜小学校の1F部分の内部です。大津波により、天井・壁・床などいたるところが被害を受けました。そのすさまじさがわかると思います。
こちらも荒浜小学校の1F部分の内部で、先ほどの写真の隣の教室です。こちらも大津波により、天井・壁・床などいたるところが被害を受けており、津波の恐ろしさを伝えるため、被害を受けた当時のままの状態を保っています。
ちょうど、上の階では社会科見学か何かで学生の集団がいくらかいらっしゃいました。
こちらは、荒浜小学校から少し離れた荒浜地区にもともとあった集落の跡です。こちらのほうが小学校よりも海に近いところにあったため、東日本大震災の大津波で大きな被害を受け、基礎だけを残し、家は押し流されてしまいました・・・。
こちらも同様に荒浜地区にもともとあった集落の跡です。先ほどの写真とは違い、家の一部が残ってますが、東日本大震災の大津波を受けた後、時が止まって今に至ります。
今では海岸からある程度離れたところに代替の家が建っているようです。
震災の爪痕を見た後は、近くの海岸で小一時間過ごしておりました。
かつては海水浴場があったそうですが、東日本大震災発生以降、遊泳禁止となったようです。サーフィンについては特に禁じられてないようですが、自己責任で。
午後には、4年ぶりに新幹線総合車両センターのPRコーナーを訪問しました。コロナ禍の際は、見学制限もかかっていましたが、ちょっと前から平常に戻ったようです。
展示されている新幹線は相変わらず健在でしたが、横にあった機関車群はきれいさっぱりなくなっていました。
6日目はコロナワールドに併設しているホテルに宿泊。
ホテルチェックイン後に夕刻〜夜は申し訳程度に仙台で仕事してた。
7日目は仙台を徘徊。本来なら仕事かますはずが、モチベが上がらなかったので、仕事しないことにw
昼食は牛タンを食しました。
あとは、竜泉寺の湯もといスパメッツア仙台もいってきやした。
2022年の地震による被災で、休業を余儀なくされていましたが、リニューアルを行って夏から営業を再開しています。
設備的には、前回記事で取り上げたスパメッツア流山おおたかの森とほぼ同等と行った感じで。
四:3度目の最上町と経年劣化日の宴
9/1の夜にはなぜか最上駅にいたらしいw
ちょうど終列車の直前について、「終列車ジャーしました」の茶番劇後、駅の待合室でPC作業とかしてましたよとw
それにしても結構遅くまで電気ついてました。(待合室は23時くらいに切られたかなという記憶)
そして、翌朝。最上駅の駐車場で車中泊をして夜を明かし、わいの経年劣化日(もとい誕生日ともいう)を迎える。
駅前から少し歩くと運動会(?)みたいな装飾の風景が目に飛び込んで来た。
この日は「最上祭り」の日だそうで、例年9月の第一土日に行われるとか。
最上駅近くのステージや出店の他、神輿や花火大会などが行われるようです。
午前中は神輿をちょくちょく見たりしてましたね。最後の最後で、神輿を支える台を持っている男の子がかなり限界そうだったので、代わりに持ってあげたりなどしてましたw
他に見所としては、仮装行列なるものがあるそうですが、今年は人数が集まらず中止になってしまったとか。
あとは、合間に大堀温泉と瀬見温泉に行ってましたな。
それと、だいぶ久々にプールで泳いでました。水着は前日利府で買ってきたのでw
一応一通りは泳げたけど、持久力が完全に終わってることをわからされたので、過去の自分に対してもうちょっときちんと運動に時間を割くべきだったと反省したりしておりました。
地元にはこういう自治体運営の屋内プールがないので、ガチで羨ましい。
冬は、赤倉温泉スキー場でスキーやスノボもできるし、夏場は登山とかもできるので、最上町についてはある意味アクティビティする分には困らない環境かなと思います。
そして、夜の花火大会を観賞。
地元の方からラジオをレンタルしつつ、ビデオやカメラでひたすら撮影してました。写真だと伝わりにくいですが、打ち上げ場所に近いところに陣取ったので結構迫力ありました。
ぶっちゃけ地元の遊園地の花火を見るよりも大迫力だったりw
これがある意味旅の〆にふさわしいのかなと思ったり。花火が終わった後は、ラジカセを返して帰路へ。
尾花沢から地元の最寄りICまで高速使って帰りやした。
第一位:(3年連続の一位)北海道旅行
今年は北海道行かねーだろーなんて思ったら、今年もGW明けに行くことになりましたwww
ええこれで4年連続ですw どうしてこうなったのかわいにもわからねえw
今回も北海道が一位ですが、うん成り行きで4年連続行くとかギャグだよなという要素を含めての一位になりましたw
一応、2020年から
- 2020年11月(一人で)
- 2021年6月(飛蝗君と)
- 2022年7月(一人で。大移動はほぼ鉄道縛り)
- 2023年5月(今回。一人で)
てな感じです。(2020年の前は2014年に遡る)
まあ、流石に来年はないでしょう。ないでしょう。多分・・・。
行程は以下の通りです。
- (初日)自宅~成田~新千歳空港~岩見沢~北見(泊)
- (2日目)北見周辺周遊<網走・サロマ湖ほか>(同じく北見泊)
- (3日目)北見~陸別~タウシュベツ橋梁~旭川~和寒(泊)
- (4日目)和寒~美瑛~三笠~小樽(泊)
- (5日目)小樽〜新千歳空港〜成田〜自宅
といった感じに行ってきました。
以下、ダイジェストをば
まずは初日から波乱。成田空港に向かってる途中で人身事故発生するというトラブルに見舞われ、飛行機ジャーの覚悟をしてましたが、どうにか神回避をする。
過去イチヒヤヒヤしながらも飛行機に乗って、無事に北海道についたのだった。
北海道ついてしばらくすると大雨が降りましたが、それが止むときれいな虹が見られました。なお、場所が場所のため電柱や電線が邪魔で構図としてはきれいではありませんが、そこはご容赦。
最初に一度は行ってみたかった「ヤリキレナイ川」を訪問しました。名前がなかなか面白いことからテレビでも取り上げられたことがあるとか。
川自体は別に普通だったけどw
岩見沢に行ったら「最上」っていう交差点を見つけましたw
北海道にも最上っていう地名があるんだねー(棒)
ちょっと国道から外れたところに「最上橋」と「最上川」を見つけました。
あれ? 山形でも見ましたよこの組み合わせwww
なお、この最上川、皆さんが知る最上川じゃなくて、石狩川水系の最上川ですw
何の因果かわかりませんが、導かれたのには何かしら意味がありそうですねwww
その後は、北見まで大移動し、北見で宿泊しやした。
そして、翌日。また、最上橋を発見してしまいました・・・。
津別町というところに「最上」という地名があるそうでw
ちなみに、ここに関しては昨年も通っており、その時に発見しております。
余談だけど、この写真撮ったの朝の5時台です。わろたw
北海道の夏は日の出早いし、早朝から行動しないと損をする。
その後、網走郊外の能取岬初訪問しました。まあまあ風が強かったです。
昨年に引き続き網走監獄を訪問。昨年に監獄内部自体は訪問したので、昼飯のためだけにここによりました。
昨年はさんまだったので、今回はほっけで。2年連続で監獄食を味わえるなんて思ってもみなかったよw
なお、後日に某鉄道系Youtuberがわいと同じものを食べてた模様www
10年ぶりにサロマ湖を訪問。オホーツク海とか久々に見た。前回サロマ湖を訪問した時はここまで近づいていなかったので、今回はできる限り近づいてみた。
計呂地にある保存車両を撮影。かつての北海道は、サロマ湖沿いなどにも鉄道路線が通っていたが、昭和後期から現在にかけて過疎路線が立て続けに廃線となっている。
北海道各所に廃線となった鉄道関係施設が点在しており、それを巡るのも面白そうだ。
なお、一度に全て行くのは到底不可能だし、車が運転できないと巡ることすらかなり厳しいというある意味修羅の世界だ。
サロマ湖畔にある「道の駅 愛ランド湧別」。日本最北の観覧車と遊園地を擁する道の駅である。10年前もいったが、当時は休園日だったので、開園日に行ったのは初めてだ。
今回はここでいろいろな乗り物に乗って遊んだ。なかなか楽しかった。
日本最北の観覧車から見たサロマ湖。サロマ湖は広いので、様々なところに眺望スポットが点在しているのも特徴である。
10年前にサロマ湖訪問した際、ここにきていた。10年前は曇天だったが、今回は晴れだったので満足であった。
旧中湧別駅も訪れた。近くには道の駅も整備されている。温泉も入りたかったが、先のことを考えて我慢した。
なお、湧別町はチューリップで有名で、ちょうどシーズンだったので、沿道にチューリップが咲いている風景が見られた。
その後、オホーツク海沿いを進んで、少し山に入ったところに、最上橋・・・。
ええ。このあたりに最上という地名ないのに、なんで最上なのかもう意味がわからないよう・・・。
その後、北見に戻る途中に「如月橋」とかいうのを見つける。(ちなみにこの場所は10年前にすでに発見済)
え? 如月と最上・・・。頭痛と禁断症状ががががが(もう何とは言わないから察してくれ)
夜になって北見近辺で温泉に入った後、もう1度北見に宿泊。
翌日はダート道道走行三昧でした。けれども、通行止で通れないことも・・・。悔しすぎる。
津別の山奥にあるチミケップ湖。夏場はキャンプができるらしい。
なお、チミケップ湖に至るまでの道はどこからいってもダート道道の手から逃れられないので、運転は慎重に。
でも、秘境を味わいたいなら一度は行ってみてもいいんじゃないでしょうか。それに電波デトックスしたいならマジでおすすめ。携帯圏外で全く繋がらないんで。
10年ぶりの阿寒湖。流石に朝早すぎるので人はいなかったし、土産屋とか観光船すらやってなかったw
今度は観光船くらいは乗りたいね。
10年前に北海道に行った際に気になってたオンネトーを訪問。湖水の色が変化する湖で、見るところや気象条件により様々な姿を見せるそうです。
北海道三大秘湖の一つですので、阿寒湖に行くついでに行くのがいいかもしれません。なお、ここも例に及ばず基本ダート道道の洗礼をうけるがな。ただし、雌阿寒温泉側からならダート道道はないけれども。
その後、前にX(Twitter)のフォロワーから聞いていた陸別駅を訪問。2006年に廃止された北海道ちほく高原鉄道(旧国鉄池北線)の一部区間を観光鉄道(?)化し、気動車の体験運転ができるようになりました。年々体験運転できる区間が広がっているようです。
ということで、わいも運転してきました。陸別駅構内を何度も往復しました。最初は難しそうかなと思いましたが、コツをつかめば意外と簡単に運転できるんだなというのが感想です。次も行きたいですね。次は陸別駅構内以外の一部区間の運転ができるようですし・・・。
体験運転の際に資料をもらいましたが、最初はこれを頭に叩き込まんとあかんかなあって思って戦々恐々としてました。でも、実際抜粋で説明されるだけでしたので、どうにかなりました。これは持って帰れます。
陸別駅で気動車運転体験したあとは、前々から行きたかった国鉄士幌線タウシュベツ橋梁を訪問しました。ツアー参加での訪問です。ここにたどり着くためには最寄りの道の駅で鍵を借りる(定員あり)かツアーに参加するの2択しかありません。
どうにかアーチは保ててますが、近年劣化による崩落が結構進んでいるようで、数年以内にこのアーチがつながった姿が拝めなくなる日が来るかもしれません。
ガイドさんからご指導を受けまして、このようなアングルでとってみました。いいですねえ。
タウシュベツ橋梁を訪問した後、ツアーで国鉄士幌線幌加駅跡を訪問しました。かつてここを鉄道がとおってたのですからすごいものです。
タウシュベツ橋梁の方から大雪山の麓を抜けて旭川へ。
ヱ? 旭川にも「如月橋」ってあるんですか? 聞いてないですよ。そんなの。如月という地名とかないのになんで複数あるのか謎。
なお、その後は旭川で飯を食べて、和寒で宿泊。
翌朝、幌加内を経由して旭川に戻り、そのまま美瑛方面へ。
美瑛に行っても通行止に引き寄せられる法則発動www
ここは国道452号の美瑛側の分断区間端点になりやす。現在、美瑛町〜芦別市の間は未開通区間となっており、現在工事が進められています。
この未開通区間が開通することで、芦別市街地から旭川空港までの所要時間短縮や利便性向上に寄与します。また、それのみならず、現状では芦別〜美瑛・旭川間は富良野周りか滝川周りでいかないとなりませんが、未開通区間の開通によりわざわざ迂回せずとも芦別〜美瑛間を直通することで、時間短縮等が期待されます。
しかしながら、本来の開通予定がどんどん延びて今に至っても開通せず・・・。もう国道417号も最近分断区間解消したし、いい加減に解消してはいかがとわいの弁。絶対需要ゼロじゃないと思うんだけど。
4日目の午前中に美瑛の白銀青い池を訪問しました。一昨年ぶりの訪問でしたが、一昨年のほうがもっときれいに見られたかなと思います。
一昨年は泣く泣く通過した十勝岳の麓にある吹上温泉。今回は行ってきました。
こちらは24時間365日いつでも入れる混浴の野外風呂。もちろん無銭で入れるというw(混浴風呂自体は一昨年行ってるが、ガチの野外混浴風呂は人生初めて)
冬場も入れます。むしろ冬場に行く方がいいかもしれないと思いました。雪でぬるくできるしね。なお、温泉はかなりの熱湯。42〜48℃はあるので、夏場は絶対に入らない方がいいと個人的には思います。入った後は絶対に体というか皮膚が赤くなるので。
ちなみに浴槽(っていう表現でいいのか?)は2つあり、上と下で別れてます。上はガチで熱めですが、下はまあどうにか入れるレベルでしたね。初心者は下に入ることをお勧めします。
一応、水着を着用しての入浴も可なので、女性の方は水着持参をおすすめします。
まあ、温泉マニアなら一度は行くべきかと思いますよ。個人的には。
富良野周りで、芦別もまわってきましたが・・・。
芦別になんであるんだよ「如月橋」・・・。
どうやらわいが生きている間はその呪縛から逃れることはできないようだ・・・。まあ、多分近しい人ならお話しできるのでまあ。(本質情報等が含まれるのでご注意を)
北海道内には如月橋という橋が少なくとも5箇所あることが確認できております・・・。
芦別におふろcafeグループの施設があるので、そこに寄っていきました。
芦別の後は三笠へ行きました。三笠は北海道の静態保存車のパラダイスの一つでもあります。これまで行きたかったのですが、なかなか機会に恵まれず。ぶっちゃけ、車じゃないと行きづらい。バスは出てるけどさ。
まずは、クロフォード公園に保存されている車両から。国鉄幌内線(廃線済)旧三笠駅の施設を生かして跨線橋やホームなどがそのまま保存されています。
そして、奥に進むとキハ82形特急形気動車が編成単位(6両)で保存されています。先頭車だけ保存はまあまあありますが、グリーン車や食堂車を含めた編成単位での保存はなかなかないと思います。(他に全くないというわけではありませんが、全国的に見ると珍しいかと)
長年の風雨に耐えてますが、ところどころやはりボロくなり始めてますね。
そして、もう少し奥にある三笠鉄道記念館にも訪問。北海道の鉄道はこの幌内(三笠市)〜手宮(小樽市)間が発祥(正確には札幌〜手宮間が先行開通した後、札幌〜幌内間がおって開通)と言われています。幌内の石炭を小樽の港まで運ぶために敷設されたというわけです。
残念ながら、小樽側と三笠側の両端はすでに廃線となっています。
そして、写真はキハ56形急行形気動車と郵便用客車です。他にも多数の保存車両があります。
そして、左側の写真の機関車は冬場除雪するためのラッセル車です。北海道ではまだまだ現役ですが、他の地域では絶滅危惧種になりつつあります。後継の排雪用モータカーにシェアを奪われつつあるという状況です。
右側の写真は機関庫内に収容されている9600型蒸気機関車です。他にも蒸気機関車・電気機関車・ディーゼル機関車が保存されています。
三笠の後は、札幌を突き抜けて小樽へ。途中江別で大雨に降られるというorz
小樽に行くと、そこには最上という地名があり、そして最上橋もあるっていうね。(おまけにバス停も存在する)
最上って山形だけじゃないんだなと改めて痛感しました(何が)
そして、4日目の夜に小樽の天狗山に登りました。日本三大夜景として有名な小樽の夜景を実際に見ることができて満足でした。
夜は小樽のアットホームな宿に宿泊。
最終日の朝は、宿の主人に勧められた小樽祝津パノラマ展望台へ。小樽の奥側にありますが、付近にはおたる水族館・祝津マリンランドなど小樽の街中以外にも観光スポットが結構あります。
なお、最終日だけすごく晴れてたというw 他の日はどっかしらで雨降られてたし。1日中雨はなかったけどさ。
その後は、小樽駅近くに車を置いて乗りバスしてきました。
北海道中央バスには、小樽駅〜最上町を結ぶ最上線なるものがあるらしいです。へぇ〜(棒)
環状線ではないですが、運行上の都合で環状扱いで運行されています。最上町で小樽築港方面のバスに乗りやした。(築港方面はバス本数少ない)
小樽築港から小樽まで電車で戻り、車を拾いに行ったのち、10年ぶりに小樽市総合博物館へ訪問しました。ここが旧手宮駅となっており、前述の三笠の幌内からここまでが北海道初の鉄道路線だったということです。奇しくも今回その両端を訪問したことになります。
この写真はキハ56形を先頭に、各種気動車や電気機関車が保存されているホームです。10年前は車内の出入りができるようになってましたが、コロナ禍および車両自体の老朽化なども重なり、車内の立ち入りができなくなってました。
なお、これ以外の車両では車内立ち入りできる車両は存在します。
ED75形電気機関車の北海道仕様(ED75 501)になります。準鉄道記念物に指定されている貴重な機関車(北海道の交流電化にともなう試作車的意味合いがありこの1両しか存在しないため)です。ここを訪問した1ヶ月後にPCB問題が勃発して、一時は解体撤去の話まで進んでおりましたが、一転し、腐食した機器などを撤去した上で、保存という形になる予定だとか。
郵便車と客車の合造となっている気動車(キハユニ25 1)です。昔は郵便輸送も鉄道が担ってた時代がありました。前は塗装が褪せててボロかった記憶がありますが、近年塗り直されたようです。
国鉄型レールバスの貴重な生き残りであるキハ03(準鉄道記念物指定)です。キハ01シリーズの北海道対応バージョンで道東・道北で活躍していました。
しかしながら、車両のコストを削減したはいいものの、運転関係による人的なコストが増えたり、ラッシュ時には不向きであったため、昭和中期の高度経済成長期の間だけしか活躍してなかったそうです。
こちらの車両車内にはいることができ、実際に座席に座ってみましたが・・・。うん、これは乗り心地よくなさすぎるねという感想でしたw
ある意味黒歴史の証人でもありますが、貴重という意味では価値の高い車両だと思います。はい。
ED76の北海道仕様(ED76 509)です。こちらも先ほどのED75 501と同様にPCB問題が勃発して、一時は解体撤去の話まで進んでいた機関車です。こちらに関しては腐食機器除去後一部を残す形で保存となる予定です。このような完全な姿で見るのが奇しくもこれが最後となってしまいました。
ちなみに、三笠にもED76の北海道仕様がおり、こちらはすでにPCB問題をクリアした上で完全な保存がされています。
ED76の後ろの客車の一部は車内立ち入り可能になってます。
博物館内には、鉄道記念物である「しづか」号という蒸気機関車(国鉄7100形蒸気機関車)が保存されており、明治の輸入機関車のうちの1両です。
現在は、戦後復元された仕様で保存されています。他にも兄弟車で
- 辨慶号(鉄道博物館)
- 義經号(京都鉄道博物館)
という蒸気機関車が保存されています。
ちなみに「しづか」と表記されてますが、明治時代は歴史的仮名遣い時代ですので、現代仮名遣いでは標準である「す」に濁点の概念が存在しなかったというわけです。(ちなみに、運転席横にある銘板は「SHIZUKA」と表記されている)
なお、「しづか」の由来は源義経の側室であった静御前からとされています。
これをみて思ったことはありますが・・・。うん、黙っときましょw
小樽で海鮮丼でも食べようかと思いましたが、結構いい時間で飛行機ジャーだけは避けたかったので、12時過ぎに小樽を離脱。そのまま新千歳空港まで帰り、それから飛行機に乗って成田についた後は直帰しました。
番外編(その弐):今年の思い出ランキング1位・2位の種明かし
1位と2位で「最上」というワードがやたら出ましたが、これには理由があります。ということで、種明かし。
戦犯となったガシャがこちら(2023年2月)です。まあ、某界隈に立ち会ってもらって最上静香の限定カードを引くゲームを実施。万が一、無料石内で出なかった場合は、その引いた数に合わせて、北海道へ行くかはたまた山形に行くかみたいなことを言ったりw
んで、
「天井いったら北海道と山形両方行くわwww」
とわい宣言。
始まる前はまだ余裕だと思ったんですよ。始まる前はw
しかし、残念なことに用意した無償石では出ず、課金することに・・・。
まだまだ大丈夫。きっと出る。北海道か山形のどっちかで終わるはず・・・。
そう思ってた時期がわいにもありましたw
鯔のつまり、結果どうなったかというと・・・
gyaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!
ゲシュタルト崩壊とはこのことなのかもしれないw
4年半ぶりにガシャ天井、無事爆死しました(笑えねえよ)
同時に北海道の最上と山形の最上巡りをするという罰ゲームも決定しました。わいにとってはこの世の終わりかつ2023年に思い描いてた本来の計画は全て吹き飛ぶこととなりました。あーあ。
こちらが、35000円の搾取および北海道と山形の最上を巡るという罰ゲームをプレゼントされた原因となった最上静香のカードです。
まあね。宣言した以上はきちんとやるのがわいのモットーなのでwww
来年はもっと平穏に過ごしたいと思いました。はい。ただ、ここ最近の日本の情勢を見るに平穏に過ごせるかどうか怪しい事案もしばしば出つつある。
というわけで今年の振り返りは以上です。
昨年とはうってかわって結構飛び回った感はあります。西日本方面今年も行かんかなあと思ったら、先月結局行ってきたのもありましたし、北陸方面も一昨年以来(観光という観点ではだいぶ久しぶり)に行きましたし。
番外編弐の案件で翻弄されなかった世界線があったらどうなってたんでしょうか。誰にもわかりませんw
改めて今年、お会いできた方々には誠に御礼申し上げます。来年もよろしくお願いします。
ではでは、皆様よいお年を。