こんにちは。北陸の食パンです。
今回はわいの過去のアイモバ遠征シリーズ第三弾の続きということで、山梨・長野南部大回り(2013年4月26日発、4月27日帰着)をしてエリア制覇した記録の続きを書こうと思います。前回記事見てない方はこちら(第一章)とこちら(第二章)をみてからこの記事を読みましょうw
残念ながら、前回申した通りアイモバ要素ほぼないんで、勘弁してくださいね。
ではでは、本編いきますよ。
目次
伍:信州路の景色を楽しみながら169系を撮る(ただの撮り鉄 前半)
仮眠する前に、海野宿の町並みを歩いてみる事にした。ちなみに、海野宿(うんのじゅく)は、長野県東御市にある北国街道の宿場である。北国街道は江戸時代に整備された脇街道の一つであり、中山道追分宿から長野善光寺を経由して、直江津に至る街道であった。善光寺参りの主街道として機能したほか、佐渡から採れた金を輸送する為の道としても機能しており、五街道の次ぐらいに主要な道であったとされる。
海野宿東側(追分宿寄り)から撮影した海野宿の町並みである。一応、車で通過する事は可能であるが、ゆっくり楽しむなら駐車場にとめて歩いてみてほしい。その方が、車で通過する時よりも趣を感じられるから。
海野宿内にあった「玉屋」と「鍵屋」。江戸時代においては、江戸の二大花火師として名を馳せており、「たーまーやー」「かーぎーやー」というかけ声が生み出されたほど有名であった。なお、海野宿にあるこれらについては花火とは全く関係はないらしい。ソースはこちら。鍵屋の屋号を別の意味で使っている事から、玉屋もおそらく別の意味で屋号を使っているのではないかと推測される。
海野宿の中程から撮影したもの。教科書に載っているような江戸時代の宿の雰囲気が感じられる。今でも、現役で住居になっている場所なども存在しており、末永くこの風景が残ってほしいものと思う。なお、訪れた時は朝早かったため開いていなかったが、宿場内に資料館が各所に点在しておりますので、海野宿訪問の際は是非資料館に入ってみてはいかがだろうか?
しなの鉄道の線路脇には「海野宿」の石碑が設置されているので、こちらもチェックしてみよう。
今回「海野宿」を訪れたわけだが、たまたま撮影する場所の近くということで、ついでに訪問した次第である。長野県内各所には様々な観光地が存在しているが、今回の海野宿は一般人にとってはマイナーな場所である(と思う)。けれども、長野県北部地域における宿場町として現在も残されている数少ない場所でもあるため、小諸や上田・別所温泉界隈を観光される際は是非セットで観光してほしいくらいおすすめの場所である。
そして、ほんの少しばかり仮眠した後、来る169系撮影に備えて練習してみる。
JR東日本(当時)の2両編成。流石に前回腐るほど見ていたから、違和感を感じなくなってきた次第である。
しなの鉄道色の115系。シャッターを切るタイミングを確認して、あとは169系を狙うのみ。
そして、いよいよ169系が来る。
はい。少しシャッター切るの早かったですねw まあ、俯瞰撮影できたのでよしとしますかw
もう1ショット。やはり169系最後の3日間とあってか、車内も乗客でいっぱいであったようだ。
この撮影が終わった後、国道18号を経由して次の撮影地へ移動。
流石は有名撮影地というだけあって、人が大杉w
撮影地より、浅間山を望む。山の背は雲がかかっているが、それぐらいだったらかえって絵になるのでよしとしよう。
練習でしなの鉄道色の115系を撮る。
というわけで、本番。わいとしてはまずまずといったところ。編成全体を写真に写すとなると列車が小さくなってしまうので、浅間山をうまく写しつつ列車を撮る事にした結果こうなったわけだ。なお、かつてTwitterのヘッダーとしてこのバージョンと浅間山のみのバージョンを掲出していた時期もあった。
もう1ショット。かつての信越本線を駆けた急行列車を想起させる風景ではなかろうか。
これを撮った後そそくさと撤収。軽装だったからできたことで、撤収中において一部の人はわいを見て、呆然としてた模様w
そういえば、路上駐車などをめぐって地元住民と撮り鉄が大喧嘩してたのだけれども、わいはきちんと駐車場に止めてました。まあ、お店の駐車場だけど、とめた後と出る前にきちんと買い物はさせてもらいましたよ。
六:威風堂々と走る169系電車を撮る(ただの撮り鉄 後半)
次の撮影地は、戸倉駅。時間がないので、上信越道を使って時間短縮。戸倉駅を選んだ理由はここで、増結がおこなわれるため、そのシーンを撮影するためだ。
戸倉駅について最初に撮影したのが、やっぱりこれであるw
戸倉駅の車両基地脇に、「あの夏で待ってる」のラッピングを施した115系が留置されていた。
湘南色の169系入線に先立って、戸倉駅で増結するしなの鉄道色169系が入線する。おそらく、屋代から回送されてきたのだろう。
そして、169系湘南色6両が入線してくる。
そして、編成全体を写してみる。軽井沢側の169系は塗り替えたばかりというのもあって綺麗である。
169系がわいのスタンバイ位置を通過する時に撮影したのがこちら。
今回の169系についてたサボ類である。
篠ノ井側の169系。こちらが前回の乗り鉄の際に乗った車両である。
というわけで、わいは連結シーンを見るためにちょうどいい位置を確保していたので、これで気兼ねなく連結シーンを見る事ができる。
増結するしなの鉄道169系が入線する。
しなの鉄道色の169系と湘南色の169系の連結完了。
そして、幌が繋がれる。
169系のトップナンバーが軽井沢側先頭を務めていた。
そして、次は前回の遠征で撮りたかったあの場所でリベンジすることに。またも時間短縮のため上信越道を使って時間短縮。
あのさぁ・・・。こういう阿呆な老害撮り鉄がいるから白目むかれるんだよ。自覚しろよ。たわけが。
そして、169系がやってきた。このときは午後時間帯というのもあって、前面は陰ってしまっているが、浅間山と絡めて撮影できたのでわい的にはよしとしよう。
後追いも撮影。この後169系は軽井沢に着いた後、この日のイベント最終列車として運行される。
軽井沢にきたときのお約束です。ありがとうございます。
そして、また国道18号を経由して最後の撮影地へ向かいます。
最後は平原駅で撮影。貨車(緩急車)を転用した駅舎で、本州ではなかなかお目にかかれないものである。なお、昔は普通の駅舎だったが、取り壊されてしまったようである。
待ち時間中にやはりこいつがきたw
北海道の過疎地無人駅だとこういう駅舎を良く見かけますが、関東近郊で見かけるとすればここが一番近いと思われる。
169系最後の撮影・・・。はい、構図的にミスしましたね。ありがとうございました。
はい。白飛びやらかした上に、シャッター切るタイミングが完全に遅かったですね。ありがとうございました。
七:リベンジを果たして帰宅路へ(帰宅路)
平原駅で最後の169系撮影後、帰宅の路へ。
いらんとは思いつつも、念のため平原駅からゴールまでのルート図を掲載。途中、上信越道の横川SAで休憩した後はノンストップでレンタカー屋まで帰った。
上信越道横川SA上り線にはかつて横軽区間を走っていたキハ57(実際はキハ58。JR九州で廃車になった車両をカットしている)が展示されており、運転台にも入れる。また、運転台後ろには多少の客室スペースがあり、そこで休憩等することが可能である。
当時は、上信越道の藤岡IC〜佐久IC開通20周年を記念して特製のヘッドマークを掲げていた。
というわけで、過去のアイモバ遠征記録第三弾はおわりでございます。
最後は、アイモバ要素ほぼゼロで申し訳なかったですが、ご容赦くださいませ。
さて、次回の過去のアイモバ遠征記録第四弾の舞台は名古屋です。この遠征をした1週間ちょっと後に懲りなくまた遠征しに行ってるというw 本当に当時のことを考えると行動力ありすぎだろとw
次回の過去のアイモバ遠征記録は往路バス、その他電車でのエリア制覇という形にはなりますが、あまり期待しないでお待ち頂ければと思います。