懐かしの車両探訪記(その参)〜念願のポッポの丘を訪問する〜

こんにちは。北陸の食パンです。

そろそろ花粉症の季節がやってきます。少しずつ目や鼻に不快感を覚えながら過ごしていますが、来月から2ヶ月間ほど地獄を味わうことを考えると、毎年鬱になりますね。はい。

さて、今回はだいぶ久しぶり(2017年夏以来)のお題目になりますが、懐かしの車両探訪記シリーズ第参弾をお送りしたいと思います。

今回の懐かしの車両はいったい何でしょうか? というか、今回は特定の車両に限ったわけではなくて、ある場所にある車両たちを続々と取り上げたいと思います。早速本題に入っていきましょう。

以前から訪問してみたかったポッポの丘にようやく訪問

昨年の4月に飛蝗君とともに2度目の千葉旅行をした際、ノープランということもあって、勝浦界隈を散策後に午後になってどこに行こうかと思案したところ、そういえばと思ってわいが・・・

「せっかく千葉にきたんで、ちょっと気になっとるところあるけど寄っても構わん?」

ということで、飛蝗君とともにポッポの丘に向かうこととなりましたとさ。

というわけで、到着しました。まずは、ポッポの丘の入り口付近にある看板。初期の頃から更新されていないため、車両数がかなり増えた今では今では全くと言っていいほど役に立ってないという(ぉ

車両目的で訪れる場合は、訪問前に公式ページを見ることをお勧めする。

もともとは、いすみ鉄道、北陸鉄道、万葉線、銚子電鉄の車両を販売所として利用することから始まり・・・

  • 鉄道関連の食品やグッズ
  • 協力農場のうみたてたまご
  • ポッポの丘グッズや
  • 地元の方々の心のこもった手工芸品
  • 地元の特産品、各種おみやげ
  • 銚子電鉄名物の『ぬれ煎餅』・『かつお、さんま、いわしの佃煮』
  • 千葉県を代表する『信田缶詰のサバカレー』などの各種缶詰類
  • たまごかけご飯のトッピングにもってこいの『いわし、まぐろ、かつおの角煮

などを販売しています。

いわば、地元(+千葉県内)の特産品等を販売するための客寄せ的な意味で鉄道車両を用いたのが始まりで、次第にオーナーや各種保存会がポッポの丘にさまざまな車両を保存する形となったようです。

メイン広場にいる懐かしの国鉄型車両たち

まずは、メインの広場にいる懐かしの国鉄型車両たちをみていきましょう。

千葉鉄道車両保存会所有の保存車である国鉄(JR)クハ103-525になります。

京浜東北線に新製配置された後中央線と南武線で活躍し、1994(平成6)年に廃車され、その後北府中駅近くにある東芝府中事業所に実験車両として余生を過ごしていましたが、令和になって2020年にポッポの丘に運ばれました。

武蔵野線の電車内からよくみていただけあって、まさかこんなに近くでみられるとは思いもしませんでした。

なお、保存されている103系電車の中では、一番の原型を保っていると言っても過言ではないと思われます。

なお、訪問当時は車内の見学等はできませんでした。(ポッポの丘が直接保有しているわけではないため、今後も外からの見学がメインになると思われます)

クモニ83形電車保存会所有の保存車であるクモニ83006です。

こちらは荷物輸送に特化した電車で、戦後すぐに製造された73形通勤電車から改造されて誕生しました。

最初は岡山、その後広島を拠点に山陽本線で使用された後、1981(昭和56)年に長野県松本に転属し、新型電車化された大糸線でクモユニ81003の代わりとして活躍しましたが、1987年に廃車されました。

廃車後は国立の鉄道総合技術研究所へ移動し、気動車と電車の協調運転の試験車として使用されたのを始めとして、様々な試験に使用され、さらに2008年には、構内試験用の動力車を探していた東芝府中事業所へ譲渡されました。

そして、令和になって2020年に先ほど紹介したクハ103-525とともにポッポの丘に運ばれました。

なお、訪問当時は車内の見学等はできませんでした。(ポッポの丘が直接保有しているわけではないため、今後も外からの見学がメインになると思われます)

久留里線で活躍していたキハ38形のトップナンバーであるキハ38-1です。

元々はキハ35形から改造(車体を新しく作って、主要な機器を流用)し、八高線に投入されましたが、1996年に八高線の八王子〜高麗川間の電化に伴い、八高線から撤退し、久留里線で活躍することとなりました。

その後、久留里線に新型車両が投入されることとなり、2012年11月限りで引退となりました。キハ38形は解体されることはなく、すべて現存しています。(この車両のほかの動向としては、水島臨海鉄道に1両譲渡され現役で活躍しているほか、5両はミャンマーに輸出されて活躍している)

このキハ38-1は、ポッポの丘が直接保有しているため、車内に入ることができますので入ってみましょう。

客室内の写真は撮り忘れましたが、ギャラリーみたいな感じになってます。

そして、キハ38形の中でも日本で唯一乗務員室内に入ることができます。

引退当時の面影が随所に残っています。

運転台部分の全景はこんな感じです。

ポッポの丘入り口付近にオハネフ25-211保存会所有の保存車であるオハネフ25-211です。

なお、本来の車体から頭の部分の3分の1〜4分の1程度残して保存されています。

2008年に廃車後、東映株式会社が譲り受け、翌年に東京・高輪プリンスホテルで開催された「大鉄道博」で展示されたそうです。その後、保存会に譲渡されたようです。

地方私鉄のレトロ電車や路面電車も

ポッポの丘の始まりとも言える銚子電鉄やいすみ鉄道で活躍していた車両を含め、多数の地方私鉄で活躍した電車と路面電車も保存されていますので、写真を交えてみてみましょう。

この写真の左側の電車は、銚子電鉄で活躍していたデハ701です。もともと近江鉄道で活躍していましたが、1978年に銚子電鉄に入線し、しばらくの間活躍後、2010年に引退し、2011年にポッポの丘に運ばれ、オープン当時の初期保存車の一つとなっています。

この写真の右側の電車は、運輸省規格型電車保存会所有の長野電鉄モハ1003号です。カットモデルになっています。

運輸省規格型電車とは、戦争による製造技術の低下や資材の不足により十分な数の電車が製造できない中で、戦後当時の運輸省が私鉄の車両数の充足を目指し、効率的な生産を行えるように制定した規格に則り製造された電車を指すそうです。

その規格により、車両の長さ・幅・扉の数・出力等が定められており、各事業者で似たような雰囲気の車両に仕上がっているものの、製造会社により若干の違いがあったそうです。

1949年〜1985年の間に長野電鉄で活躍し、その後保存されていましたが、状態が悪くなったため、解体することになってしまい、その一部を救出ならびに修復して残すことになったそうです。

この写真の電車は、銚子電鉄で活躍していたデハ702です。先ほど紹介したデハ701と同じく、もともと近江鉄道で活躍していました。1978年に銚子電鉄に入線し、しばらくの間活躍後、2010年に引退し、2011年にポッポの丘に運ばれ、オープン当時の初期保存車の一つとなっています。

現役当時は、ワンマン非対応車であったことから、銚子電鉄内ワンマン運転開始後はラッシュ時や多客時に運転するなど、波動的要素が強かったそうです。

この写真の電車は、北陸鉄道のモハ3752です。1951年〜2007年の間、半世紀以上に渡り現役で活躍していました。ポッポの丘オープン当時の初期保存車の一つとなっています。

奥に見えている黄色い車両は、いすみ鉄道のいすみ204で、いすみ鉄道開業当時に導入されたレールバス型の気動車です。写真ピンボケやらかしちゃったので、写真がなくてすみません。こちらもポッポの丘オープン当時の初期保存車の一つとなっています。

こちらは万葉線で活躍していたデ7052です。万葉線の前身である加越能鉄道時代から活躍していました。東京都電8000形をベースにして作られた車両で、同じ富山県内の私鉄である富山地方鉄道のデ7000形とほぼ同等の設計となっています。そのため、車番重複を避けるため7051番から付番することとなったようです。

1961年〜2009年に加越能鉄道→万葉線で活躍し、ポッポの丘オープン当時の初期保存車の一つとして余生を送ることになりました。車内はたまごの販売や宅急便などの受付エリアとして使用されています。

懐かしの赤い車両とか

ポッポの丘に後から追加された車両で、赤い車体の電車がいくらかいますので紹介したいと思います。

まずは、東京ではかつておなじみだった丸ノ内線の400形電車の454です。丸ノ内線の開業当時から平成初期まで活躍していました。

運転席には、警笛を鳴らせるようにスイッチが設けられており、100円払う必要がありますが、3回まで警笛を鳴らすことが可能です。

車内には平成初期の丸ノ内線の路線図もそのまま残っていました。半蔵門線はまだ延伸途中だったり、南北線や副都心線は存在すらしてなかったことが伺えます。

訪問当時、絶賛修繕中であったこの電車は、デハ1052号車保存会所有の京浜急行旧1000形のデハ1052です。カットモデルになっています。これは、以前店舗で使用されていたためなのだそうです。

旧1000形は、今でも語り継がれるほど有名な京浜急行を代表する電車で、京急線のみならず、都営浅草線やその先の京成線・北総線まで足を伸ばしていました。2010年までに後継車に押し出される形で京急線では完全引退となりましたが、現在では香川県の私鉄であることでん(高松琴平電気鉄道)で活躍しています。

旧1000形は、大昔に数回ほど乗った記憶があります。

カラフルな貨車と機関車

ポッポの丘のメイン広場の裏手にはカラフルな貨車や機関車がいます。軽くではありますが、紹介したいと思います。

これらの写真の貨車は国鉄ヨ5000形緩急車です。1959(昭和34)年に汐留駅~梅田駅間で高速貨物列車が運転開始になったことに伴い、導入されました。緩急車は、車掌車のことです。

ポッポの丘で保存されている各車は、新しく運転する高速貨物列車に対応するために、ヨ3500形の支持装置を改造したグループとなっています。

昭和末期に貨物列車の車掌乗務自体が廃車されたことを受け、急速に数を減らしました。

ちなみに、貨車の中にも入ることができ、主に銀河鉄道999関係の絵などがみられます。

千葉鉄道車両保存会所有の保存車である国鉄20t入換動車です。入換動車は日本国有鉄道が開発した機械設備で、主に駅構内貨物線で貨車の入換作業に使用されました。そのため「貨車移動機」とも呼ばれます。

普通の機関車とは異なり、車籍を有さないため、機械扱いとなる関係上、鉄道本線を走ることはほとんどありません。

20t入換動車は1966年に登場しましたが、本線を走ることが出来る機関車(DE10形ディーゼル機関車など)を貨車移動機扱いとして運用することにより、貨車移動機の活躍の場は縮小していく一方です。

この写真に写っている車両は2つあり、まず奥にいるのが、国鉄10t入換動車です。用途的には前述で紹介した国鉄20t入換動車と同様です。ポッポの丘に保存されている国鉄10t入換動車は、北陸本線の貨物支線である敦賀港線において使用されていました。

手前にいるのが、ヨ8000形緩急車のヨ8818です。コストダウンおよび製造の合理化を目的として特徴的な車体になっているのが特徴です。また、国鉄の量産二軸緩急車では初めて便所が設置され乗務環境が向上しました。

昭和末期に貨物列車の車掌乗務自体が廃車されたことを受け、急速に数を減らしていますが、日本全国に保存車が存在し、中には動態で保存されている車両もあります。また、現在でも数両が鉄道車両の輸送や特大貨物列車運転時の係員添乗用車両として現役で使用されています。

ちなみに、この2両は車掌車編成乗車体験というイベントで使用されており、主に土日を中心に50mほどの距離を往復走行しています。

ヨ8818の車内です。真ん中にはストーブも設置されています。

珍しいモノレールの展示も!

ポッポの丘では、全国的にも珍しいモノレールも保存されていますので、ここで紹介します。

千葉都市モノレール1000形です。湘南モノレール400形をモデルにして、製造されました。千葉モノレール開業当初から活躍していた車両で、初期の一次車はすべて引退しましたが、二次車から四次車は今でも現役で活躍しています。

モノレールには、跨座式と懸垂式があり、千葉都市モノレールは後者を採用しています。(ようはレールが上にあるか下にあるかということです)

車内は休憩所や売店などで使用されています。

ちなみに一方の車両については、運転席に入ることもできます。モノレールの運転席に入れるのはなかなかないかも。

丘の上の高台には珍しい車両や懐かしい車両がいっぱい

ポッポの丘はメイン広場のみにとどまらず、さらに坂を登ったところにも展示車両があるとのことですので、せっかくですから坂を登ってみることにしました。

大山ケーブルカー たんざわ号保存会所有の保存車である大山ケーブルカー たんざわ号です。

神奈川県伊勢原市の大山観光電鉄が、1965年(昭和40年)の開業時から、2015年(平成27年)まで運転された大山ケーブルカー2両のうちの1両で、設備更新のため引退となりました。

その後、解体予定だったうちの1両を「大山ケーブルカーたんざわ号保存会」が譲り受け、2015年夏からポッポの丘で展示保存されることになりました。

搬出に際しては、隣接する道路が無いため、ヘリコプターにより秦野市内のヘリポートまで運ばれ、そこからトレーラーで運ばれて来るという特殊な輸送をしたそうです。当然ながら、ヘリコプター輸送は重量制限が伴うため・・・

  • 窓ガラス
  • 座席
  • 機器類

を取り外す事になり、まずは車体本体だけでポッポの丘にやって来ました。以来、保存会のメンバーにより元の形に復元する作業が続いています。

なお、車輪やブレーキ装置などは、新しく造られた車両に流用したため、ポッポの丘では、車体のみを保存展示しているそうです。
ちなみに、車体の傾斜は22度ですが、展示場所は11度の傾斜であるため、床面は水平にはなっていないらしいです。

ケーブルカーの保存自体もなかなかないと思いますが、どうなんでしょうかね。

さて、大山ケーブルカーたんざわ号を横目にして、坂を上がりきって高台に到着すると、そこには懐かしい車両たちがたくさん保存されていました。

千葉鉄道車両保存会所有の保存車であるクハ183-1527(左)とクハ183-21(右)です。

まず、クハ183-1527ですが、183系1000番台を基本に総武快速線東京~錦糸町間の地下区間で使用されていた保安装置(ATC-5形)を搭載した車両のうちの一つです。当初は上越線の特急「とき」を中心に活躍していましたが、のちに幕張電車区に転属、房総各線の特急列車(さざなみ・わかしお・しおさい・あやめ・すいごう)として活躍しました。

房総各線の特急列車に後継車が入った後は、波動用車両としての役割に回り、新前橋、大宮、長野と渡り歩いて2015年に廃車となりました。

次に、クハ183-21ですが、総武本線東京~錦糸町間の地下線及び房総東線(現在の外房線)の電化完成に伴い、急行列車の一部を特急列車に格上げするために製造されました。

地下区間を走るため、運輸省(現在の国土交通省)が定めた防火基準「A-A 基準」を採用し、非常時の避難口として使用出来るよう前面は貫通構造になっています。多客期には他の編成と連結の上で貫通扉を開放することもあったそうです。

クハ183-21は登場時から廃車まで一貫して幕張電車区から動くことなく、房総各線の特急列車で活躍し、廃車後は長野県上田市の民宿「夢ハウスあずさ号」に保存されていましたが、2013年にポッポの丘に移設されました。

クハ183-1527は1両丸ごと保存されていますが、クハ183-21は先頭部だけのカットボディでの保存になっています。

千葉鉄道車両保存会所有の保存車である113系電車のクハ111-2152です。1978年に登場し、湘南電車として東海道線東京口で活躍していましたが、E231系の導入により東海道本線から房総各線に活躍の場が移りました。

幕張電車区に転属後は横須賀色に塗り替えられましたが、2009年に再び湘南色に戻され、房総各線の普通列車や東海道線でのリバイバル運転に使用された後、惜しまれながら引退・廃車されました。

廃車後は長野県上田市の民宿「夢ハウスあずさ号」に先頭部のみのカットボディという形で保存されていましたが、2013年にポッポの丘に移設されました。

千葉鉄道車両保存会所有の保存車である113系電車のクハ111-1072です。

113系1000番台は、総武快速線の東京~錦糸町間地下線及び横須賀線品川~東京間の相互直通用に製造されたグループです。地下区間を走るため、183系0番台と同じく運輸省(現在の国土交通省)が定めた防火基準「A-A基準」を採用し、非常時の避難口として使用出来るよう前面は貫通構造になっているのが特徴です。

また、タイフォンが前照灯の横ではなく、下部に設置されていることも特徴の一つに挙げられます。

当初は横須賀・総武快速線で活躍していましたが、E217系電車の増備に伴い、房総各線の普通列車で活躍することになりました。

廃車後は長野県上田市の民宿「夢ハウスあずさ号」に先頭部のみのカットボディという形で保存されていましたが、2013年にポッポの丘に移設されました。

懐かしのブルートレインに迫る

そして、トリは高台に展示されているブルートレインを特集したい。

ポッポの丘唯一ともいえる本物の機関車とブルートレイン2両について写真を交えて説明したいと思う。

先頭にDE10形ディーゼル機関車のDE10 30がおり、それに従う形で2両目にオロネ24 2、最後尾にオハネフ24 2が連結されている。

まず、先頭にいるDE10形は日本国有鉄道が1966(昭和41)年〜1978(昭和53)年にかけて製造したディーゼル機関車です。

この機関車は、操車場での貨車の入換や、地方ローカル線での客車列車牽引に使用することを目的として開発され、運転台が横向きに配置されていることが特徴です。ちなみに、国鉄時代には短区間ながら佐世保線の寝台特急「あかつき」や、北陸本線の寝台特急「日本海」など優等列車を牽引したこともあります。

その高い汎用性から国鉄分割民営化後もJR各社に継承されて使用されてきましたが、近年では客車列車の減少や車両の老朽化により数を減らしています。

ポッポの丘にいるDE10-30は1968(昭和43)年に製造され、北海道の釧路機関区に新製配置されました。その後五稜郭機関区に転属した後、国鉄分割民営化に合わせて1987(昭和62)年に廃車されました。

廃車後はかつてお台場の船の科学館に係留されていた羊蹄丸甲板内にて展示されていましたが、同船の解体に伴って搬出され、移設されました。

お台場の船の科学館時代ではみられなかった運転席にも入ることができます。原則土日のみ開放されているようです。

ただし、入るときは機関車についているステップを利用して上がることになるので、お子様連れの方や小さいお子様、足の悪い方はかなり大変かもしれません。

そして、車体は撮り忘れてしまいましたが、次にオロネ24 2の車内も見学できましたので、その模様を記します。

予備情報ですが、原則土日のみ開放されており、入るときは機関車についているステップを利用して上がることになるので、お子様連れの方や小さいお子様、足の悪い方はかなり大変かもしれません。

ちなみに、オロネ24形は開放2段式(プルマン式)のA寝台車で、定員は28名となっています。

とりあえず下段寝台の座席モードのところに座ってみました。寝台特急日本海で乗ったときのことを思い出します。

現役時代に寝ることがかなわなかった上段寝台にも上がってみました。

全ての上段寝台に上がれるわけではなく、一部のはしごが展開されている部分のみ上がることができます。(ちなみに、大半のはしごが壊れているっていう・・・)

オロネ24形の上段寝台から眺めてみたときの様子がこちら。通路は赤いカーペットベースで敷かれており、下段寝台は一部を除いて、ほとんどが座席状態となっています。

ちなみに、オロネ24形は開放2段式(プルマン式)のA寝台車で、定員は28名となっています。

下段寝台の一部は、寝台状態になっており、実際に横になることも可能です。

寝台特急日本海で、青森から大阪に向かっているときの思い出が蘇りました。

 

乗務員室内も見学することができます。左の写真は、冷暖房や電灯、方向幕などの制御盤、右の写真は乗務員室の窓です。窓下に鍵がついており、解錠すると窓が開きます。

そして、乗務員室内の椅子と机です。一部の設備は現役当時のままですが、流石に放送装置などは撤去されているようです。

机には、雑誌とポッポの丘に搬入されるオロネ24 2の写真が展示されていました。

乗務員室の向かい側に喫煙室もあります。現役当時はここでたばこが吸えました。(もちろん今はNGです)

便所や洗面台周りは撮り忘れました・・・。(多分便所内は入れなかったと記憶しています)

車内や車体を撮り忘れてしまいましたが、最後尾にいるオハネフ24 2です。B寝台車で当初は3段寝台でしたが、のちに2段に改められました。

乗務員室は見学できなかったと記憶しています。

なお、こちら側が出口となっており、貫通扉から連結器を伝って降りる形になります。お子様連れの方や小さいお子様、足の悪い方はかなり大変かもってところです。

いすみポッポの丘の案内

ちなみに、今回の特集で取り上げた車両各種が展示されているのは、いすみポッポの丘というところになります。

簡単ではありますが、いすみポッポの丘の案内を以下に記載します。

<営業日>

月曜・金曜・土曜・日曜・祝日の10:00~16:00

※入場自体は無料ですが、バイクおよび車で来る場合は駐車料金が必要です。(バイク500円、車1000円)

※火曜〜木曜は原則的に休業ですが、祝日の場合に限り営業しています。

<アクセス>

(車の場合)首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の市原鶴舞インターチェンジから約14km

(列車の場合)​いすみ鉄道上総中川駅下車、徒歩約30分

※レンタサイクル利用の場合、大多喜駅ないしは国吉駅(土日・祝日に限る)へお越しください。また、タクシー利用の場合は大多喜駅へお越しください。

詳しいアクセス方法は、公式ページの方が詳しいので、こちらをご覧ください。


ということで、鉄道関係の懐かしい車両特集ということで、千葉県にあるいすみポッポの丘を訪問しました。

オープンから10年以上たち、今では貴重な車両の保存場所としての機能も果たすようになりましたが、一部車両を除いては車体の痛みもあったりしましたので、保存や修繕作業のために現地で買い物や募金などして、いつまでも貴重な車両たちが残るように行動したいですね。

まだ、撮りたいものもあるので、近いうちにリベンジでいければと思ってます。


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