こんにちは。北陸の食パンです。
2017年も終わりまで1か月を切りました。長いようで短かったかなというのが今年の印象ではありますが、公私ともに激動の1年だった気がします。9月には大経年劣化祭も迎えましたし・・・。
さて、今回は過去のアイモバ遠征第拾八弾もといファイナルということで、完全走破!日本横断3000km高速道路の旅(2015年11月27日出発、2015年11月30日帰着)の続きかつ過去のアイモバ遠征本当の最終回記事をお送りしますよ。
前回は、益田でアイモバ益田エリアのヌシと出会い、その後一気に北陸まで移動し、マニアックな旅を展開してきました。いよいよ、アイモバ遠征の〆に向かっていくわけですが・・・。
最後の最後でとんでもない事件が待ち受けているとは思ってもいなかった?
前回記事見てない方はこちらとこちらをみてからこの記事を読みましょうw
ではでは、本編いきますよ。
目次
七:3度目の夜通し移動。疲労と睡魔との闘い(石川 七尾エリア~長野 大糸線エリア)
前回記事では、和倉温泉の総湯で一風呂浴びて、少し休息したところで記事が終わったが、ここから長野に向けて、滋賀県・愛知県経由(ここ重要)で長野に向かう段取りとなった。
石川から長野に向かうのに滋賀県・愛知県経由で向かうとかほんまに頭おかしい。
アイモバ遠征だからこその遠回り芸当であって、普通なら絶対にやらないことをやれるという貴重な経験をさせてくれるのが、アイモバiのだいご味だったのかもしれない。(それはわいだけとは言わないw)
さて、前回記事の最後に載せたルート図を掲載する。
和倉温泉の総湯で一服したわいとラカオッテ君は、まず奥能登エリアの端点である越の原ICを目指す。なお、わいは3度めである。(何度も行ってると同じところに行くのはもはや宿命)
奥能登エリアに立ち寄った後は、金沢市内へと向かうため、のと里山海道を金沢方面に向けてトレースしていった。もう日はとうに暮れており、しばらくの間夜道をずっと走ることになるのであった。
そういえば、和倉温泉のところで、とあるアイモバのアイテムをゲットしたが、それは後日紹介することにしたい。
のと里山海道を抜けた後は、金沢市内の各エリアをかすめるようにして通過。もう夜もだいぶ遅かったため、観光すらできずにただ通過するだけであった。
ただ、金沢に関しては観光以外でも何度か訪れているため、観光しなくても慣れっこ状態でいたのはある意味恐ろしいといっても過言ではないのかもしれない。
金沢市内を通り抜けた後は、白山麓エリアを経由して、石川県全エリアを通過。
そして、北陸自動車道に乗って米原方面へと向かう。
途中、2度目の尼御前SAで休憩をとろうとしたときに、大事件が発生する。こんな事件誰が想像しただろうか?
それは・・・
ラカオッテ君「あれ?」
わい「どした?」
ラカオッテ君「靴、和倉温泉に置いてきたぽいっす」
わい「ファーーーーッ」
実は、ラカオッテ君は車を運転する際、靴を脱いで運転するというスタイルをとっており、通常ならば靴を脱いだ後車内に放り込むのだが、和倉温泉で乗りこんだ際に靴を放り込むのを忘れたらしく、そのまま靴を置き去りにして今に至ったというわけである。
ラカオッテ君「あれ、長年履いてたお気に入りの靴だったんですよー」
わい「今から和倉温泉に戻るのはかなり厳しいので、申し訳ないがあきらめてくれい」
ということで、ラカオッテ君は外にすら出られない状態になってしまう。このあとどうなってしまうのか?
ラカオッテ君の靴がないため、わいがSAの売店まで出向き、富山名物「ますの寿し」と「鯖の焼姿すし」を購入。2人で分け合って食べた。
本来ならば、尼御前SAで運転交代であったが、靴忘れをしたラカオッテ君がそのまま運転を続行することとなった。
北陸自動車道の後半から名神に入り岐阜県入りするまでのルート図がこちら。
湖北エリアを通る以外は特筆するべき事項はない。
ラカオッテ君の激走で、途中敦賀付近で初めて他人の運転でビビるという事態になってしまったw
滋賀県に入り、賤ヶ岳SAで運転交代。交代後すぐに出発し、名神高速道路へと入る。
名神高速道路をかっ飛ばすわいの様子を見たツイキャス視聴者の多数がビビっていた模様w
アイモバが終わった後、かっ飛ばしまくるかといえば、そこまでしないでしょ多分ね。(しないとはいっていない)
広域ルート図を掲出してみる。
米原JCTから小牧JCT・土岐JCT・美濃関JCTを経由して東海北陸自動車道に入るという阿呆(ほめ言葉)なことをする。これもラカオッテ君のアイモバ制覇エリアを少しでも増やすためにやったことである。
とにかくこのあたりはかっ飛ばしてた。深夜ということもあったけど。
東海北陸自動車道を北上して、途中白鳥ICでいったんおりて、福井県の大野エリアに立ち寄る。帰りは油坂峠旧道(国道158号線現道)を通っていった。もう一度東海北陸自動車道に乗り、飛騨清見ICで下車し、高山を通り抜けて、上高地エリアへと向かう。
高山を過ぎた後の国道158号は道路わきに雪が積もっていたり、おまけに路面が凍結している状態であったため、今まで以上に慎重に運転した。そして、眠気もMAX状態であったため、かなり必死こいて運転してた記憶がある。
なお、安房峠は普通に安房峠道路を経由していった。国道158号現道はすでに冬季閉鎖されているので、それしか方法がなかったのだが・・・。
一応、岐阜・愛知県北部あたりの拡大ルート図も掲載しておく。
一宮JCTでそのまま東海北陸自動車道に入らないのがミソ。アイモバがなかったらわざわざそんなことはしない。
(この写真はラカオッテ君の提供です)
ラカオッテ君あてに投げたわいの代行案件。普段掲示板で自分の案件なんて見ないから、ある意味新鮮であった。
安房峠を越えた後は、いつもの伝統芸能ルートで大糸線の柏矢町駅へと向かう。もうそのころには日も昇っていた。
大糸線エリアに立ち寄った後、いったんコンビニに寄り、靴なしのラカオッテ君のためにスリッパがおいてあるか確認したところ、おいてあったので購入して彼に渡す。(高山近辺でも探したが見つからなかった)
そして、スリッパではあるが、●時間ぶりに履物を得るラカオッテ君は速攻コンビニのトイレに駆け込むのであった。あとは、きちんとした靴をどこで買うかの問題はまだ残っているわけではあるが・・・。
コンビニで仮眠しようとも思ったが、寝付けなかったので、近くの道の駅まで行って仮眠することにした。
しかし、仮眠したはいいが、この後さらなる大事件が起こるとはだれが想像しただろうか。
八:長野の地で大移動の疲れを癒す(長野 大糸線エリア~長野 長野エリア)
道の駅で1時間仮眠したわい。さて、そろそろ行こうかなと思って、エンジンをかけようとするも・・・
「キュルキュル・・・キュルキュル・・・」
一向にエンジンがかからないので、不審に思ったわいは、ハンドル横の右レバーのとあるところに気づいてしまった・・・。それは・・・。
寝る前に前照灯消し忘れてバッテリー上がってたンゴwww
こんな表記をしたが、実際のところはそれどころではなく、くっそ慌てていた。それに気づいたラカオッテ君が起床し、ことの顛末を伝えた後、どこかへ行ってしまう。
そんな中、わいはロードサービスに電話するのに必死であったが、そんな姿をよそにどこかへ消えたラカオッテ君が戻ってきた。なんと・・・。
救援してくれる人を探してくれてたらしい。地元の軽トラにのったおじさんを呼んで、道の駅からブースターケーブルを借りて戻ってきたのだ。
ということで、必要なものが全部そろったので、ジャンピングスタートを決行。その結果、無事にレンタカーのエンジンをかけることができた。救援してくれたおじさんありがとうございました。
んで、なぜそんなことをやらかしてしまったのかというと・・・
- 借りた車が一昔前のフィットだったことで、ヘッドライトがオートで光るものだと勘違いしたこと。(自家用車がフィットシャトルなので、その感覚でいたこと)
- 今回の遠征で夜通し運転したのが、初めてだったこと
- 極度の睡眠不足でヘッドライトを消すことすら忘れてしまったこと
主にその3点が原因であることが考えられるが、結論からいえば・・・。
わいのポカミス
これに尽きる。
この案件に関しては、三大アイモバ遠征重大インシデント案件の一つとして数えてもいいのかもしれない。(ほか、2013年北海道内の速度超過取締未遂事件、2014年レンタカー回送中に最後の最後で信号を見落としてお縄になった事件<同時にゴールド免許はく奪確定>)
無事にエンジンがかかったところで、ロードサービスの呼び出しをキャンセルした。ラカオッテ君のナイスファインプレーに圧倒的感謝。
無事に復帰したところで、運転を交代し、ラカオッテ君の運転で長野を目指す。(長野自動車道を自分の手で運転したいというたっての希望による)
長野ICで降りたあとは、ラカオッテ君の靴を仕入れるために、一度長野市郊外のショッピングセンターに立ち寄り、靴を仕入れた後、善光寺へと向かった。
(この写真はラカオッテ君の提供です)
長野ICを降りるときの写真。2人で必死こいて長野ICの「公団ゴシック」を探したところ、最後の最後でようやく見つけることができた。
ラカオッテ君の靴を仕入れた後は、善光寺の仲見世通りを歩く。あるきがてら、昼飯時になったため、仲見世通りのところにある店に入ることにした。
昼飯は信州そば。本場の蕎麦はやっぱりうまい。大昔は戸隠で蕎麦打ちもしにいったことがあったっけなあ。
でも、そばうまいんだけど、腹を満たすという意味では物足りNASAある
そして、昼飯後は善光寺へ。善光寺に訪れるのも十数年ぶり(当時)だった気がする。相変わらず本堂の変わらぬ姿に安堵する一方で、最近は落書き案件に悩まされているらしい・・・。
本堂の中は、見学できるが別途料金が必要なのと、以前行ったことがあるので、今回はパスすることにした。
善光寺本堂前で千早を撮る。
その後、後ろを振り返るとやたらとTVカメラの列ができていたので、何事かなと思いつつその周辺で何が起きるか待ってみることにした。
待つこと十数分。牛を引き連れた女性が登場。顔つきから見ると外国人のようであるが、おそらく東南アジア系統の方なのではと思われる。
善光寺で牛といえば・・・
「牛にひかれて善光寺参り」
ということわざはみなさん一度は聞いたことがあるだろう。まさか、実際に善光寺で牛を見るなんて当時は思ってすらいなかったがねw
ちなみに、意味は・・・
〔長野の善光寺近くにいた欲深い老婆が、さらしていた布を角に引っ掛けて逃げた隣家の牛を追い、知らずに善光寺へ行き信心を起こしたという言い伝えから〕
自分の意志からではなく、他人に誘われてよい方に導かれることのたとえ。
である。わいの場合、よっぽどのことがない限りそういうことはないですねえ。ええ。
そして、法被には「マルコメ」の文字が見える・・・
あとはもうおわかりですよね。
はい。マルコメ君が牛の後について善光寺参りしにきましたよーっと。
その後、マルコメ君は、善光寺本堂で参拝したそうです。はい。
ちなみに、このときの模様はマルコメのページにも掲載されているので、時間があればさらっと見ていただければと思う。
そして、善光寺参拝後、長野駅を見に行くことにした。
長野駅を歩道橋から撮った図。わいも学生時代、山岳部の合宿でよく長野駅を使っていたこともあり、見慣れた風景ではあるが、昔に比べると駅舎や駅前広場がだいぶリニューアルされていた。
それでも、随所に昔からある風景もあり、ほっと一息つくことができた次第である。
長野駅を見に行った後、とあるところに寄ることにした。道に迷いそうになりながらも、なんとかたどり着いたとあるところとは?
はい。長野総合車両センターです。湘南色をまとった115系の訓練車がいたので、撮影しました。
今では、かなり貴重な存在になりつつある115系ですが、JR東日本では高崎周辺・新潟エリアで現役ですね。あとは、しなの鉄道でも多数残存していますよと。
奥にはED60と茶色のEF63が連結されて留置されていた。いずれも現役引退してからかなりの年数が経つが、こんな形でまだ残っていること自体奇跡的といえるのではないだろうか?
遠征当時、引退したばかりの115系復刻横須賀色編成も最期のときを待っていた。乗りたかったけど、結局乗れずじまいであったが、こんな形で出会うことになるとは思ってもいなかった・・・。
別アングルより。奥になんか赤い機関車がいるぞ?
もう少し近づいてみて撮影する。iPhoneで撮ったのでこんな写真で申し訳ないが、まぎれもなくレインボー色のEF65 1118である。現役のころも幾度か目撃したり撮影はしているが、最期のときを待つ姿も取れてしまうとはまさに奇遇であった。
すでにナンバープレートなどは取り外されてしまっているが、側面のでっかいEF65は最後まで健在であった。Nゲージでもほしいなあ。EF65の赤いやつってだけでもステータス高いし・・・。
EF65 1118に連結されるようにして留置されている国鉄色のEF65 1107。こちらは何も取り外されていない状態で留置されていた。おそらく、EF65 1118と一緒に廃車されたものだと思われるが・・・。
機関車の奥のほうでは、新潟の485系が解体されている風景が見られた。
最近の首都圏のJR電車の墓場はこの長野総合車両センターで解体されることが多く、ここで幾多の電車がこの世を去ったのであろう・・・。
長野総合車両センター見学後は、ラカオッテ君の希望により彼の祖父母の家(信州中野)へと向かうことになった。
久々に人様の家にあがったので妙に緊張してしまったわいであった。彼の祖父母からいろいろとおもてなしを受けてただただ恐縮しまくった思い出であるw
九:アイモバ遠征フィナーレへ・・・(長野 長野エリア~アイモバ遠征の終わり)
ラカオッテ君の祖父母宅で羽を伸ばした後は、ついにアイモバ遠征の最後ということで、最後の最後に戸隠エリアの端点に寄り、それからゴールへ向けて、上信越自動車道信州中野ICから長野自動車道・中央自動車道を経由して南下することとなった。
ラカオッテ君の希望で少しの時間ではあるが、姨捨PAに立ち寄り、夜景を撮影する。
なかなか条件がよく、いい夜景が拝めた。なお、カメラはiPadなのでちょっと表現性の面では微妙であるが、まともなカメラで撮影すればそこそこいい夜景が撮れたのではなかろうか。
機会があれば、もう一度リベンジはしたいところである。
姨捨から見る夜景をバックに千早を撮る。
(この写真はラカオッテ君の提供です)
姨捨から見る夜景をバックに美希を撮る。
そして、最後のルート図。エリア表記をするのが面倒なのですべて省略させていただいた。
とりわけ書くことはあまりないのだが、岡谷JCTから東の山岳高速こと中央自動車道を東京方面へひた走り、八王子JCTから圏央道へ抜けて、戸塚でラカオッテ君を降ろし、レンタカー返却ぎりぎりの時間でレンタカー屋に戻り、今回の遠征もといわいのアイモバ遠征プログラムはすべて終了することとなった。
そして、おまけ。
スタートから、ラカオッテ君を降ろすまでの合計走行距離数・・・
3009km!
ラカオッテ君が、遠征前に
「今回、3000kmくらい走るんじゃないっすかねー」
なんて言ってたが、本当に3日間で3000km走ってしまった。車でのアイモバ遠征ではおそらくこれが最初で最後の最長不倒距離であるのは間違いないであろう。
もっとも、当初の予定通りにいっていれば3000kmどころか、2500kmくらいにとどまっていたことから、如何に2日目の後半以降で大きく距離を稼いだかがわかる一幕であった。なお、最終的には(レンタカー返却のころには)3030kmほどいっていたと推測される。
ということで、アイドルマスターモバイルi終了直前のころから、備忘録を重ねて2年くらいかけまして、この章を持ちまして・・・
アイモバ遠征備忘録完結
です。
本当だったら1年くらいで仕上げるつもりでいたんですけど、気が付いたらモチベあがらない、公私ともに忙しい、アイマスライブの会場推しだのなんだのしているうちに2年すぎちゃいました・・・。
ブログ書くときだけでいいから集中力ほしいんですけどね。
はっきり言って、アイドルマスターモバイルiをやってる人(とりわけ廃人の方向け)向けの記事ということもあるので、誰得な面もところどころ見受けられはしましたが、もし、これをきっかけにドライブに行ったり、立ち寄った観光地を訪れたりしたいなと思ったら、わいはうれしい限りです。
てか、アイモバ遠征中なんて観光なんてまともにしてなかったような
わいが、この「アイドルマスターモバイルi」に出会わなければ、アイマスの世界により深く入っていくことはなかったし、機会がなかったら訪れなかった場所も多々あったことでしょう。
もちろん、遠征資金や課金の都合もあって、銭失いは多かったですけれども、遠征先でみた景色、カメラで撮った千早との思い出は、わいが死ぬまでは永久に忘れることはないでしょう。
「アイドルマスターモバイルi」が終わったので、エリアゲームだけのために遠征することはもうありませんが、今後は、3年間エリアゲームのためだけに遠征した代償として我慢した観光地巡りや道路めぐりなどいろいろとやっていきたいなと思います。
アイモバ遠征備忘録はこれで終わりですが、アイモバリアルグルメツアーに関してはまだまだたくさんあるので、取材次第(というかまだネタは大量にあるんですけど)逐一ブログにあげてこうと思ってます。
また、今回のアイモバ遠征備忘録が終わったことで、今後のブログの方向性をどうするか若干迷っていますが、旅の記録なり、何かしら情報を提供したりなど話題をいろいろと摘み取るような感じで展開していければなって思います。
あれだけの長編をどれだけの人が全部読破したのかわかりませんが(おそらくほとんどいないでしょう)、わいのブログの目的の一つを無事達成できたので、最後に〆の言葉を書いて終わりにしましょう。
アイモバ遠征備忘録をお読みいただきありがとうございました。
それではまた逢う日まで!