2021年わい的思い出ランキング(前編)

こんにちは。北陸の食パンです。

今年は2〜3月が忙しすぎてわい初のブログ2ヶ月間無更新をしてしまったほか、6・8月もなんだかんだでブログ更新なしなど、今までで一番ブログ更新に割ける時間が取れなかった年でもありました。来年はもうちょっと更新頻度を増やせればというところですね。

ところで、今はコミケの準備に追われてますが、いつものごとく主宰が息していません。息しないままだとジャーもあり得る話ですので、最悪の状況に陥った時のために念のためお伝えしておきます。

まあ年末ということで、例年通り今年の思い出を締めくくる記事をね今回はお送りしたいと思います。

タイトルは、「2021年わい的思い出ランキング」ベスト10を発表したいと思います。まあ、はっきり言って誰得記事ですがご笑覧頂ければこれ幸いです。

今年も去年と同じく、社会情勢的にイエッコロナモードでしたけれども、結構色んなところ行った気がします。そんなの知らねえイエッコロナwww

簡単(?)ではありますが、各々のエピソードも語っていこうと思います。

さあ、早速ランキングの発表をしていきましょう!

第十位:伊豆大島訪問記

3月下旬に突発的に伊豆大島を訪問することにした。

伊豆大島自体に上陸するのは別に初めてでもなんでもないのだが、岡田港周辺しか歩いたことがなく、ほかのところには行ったことがなかったので、せっかくだからということで、日帰りかつ滞在時間約5時間というかなりタイトな行程で行くことにした。

行き帰りは東京から約2時間で伊豆大島にたどり着けるジェットフォイルを選択する。普通に乗るとそこそこ高いが、事前に東海汽船の株主優待券を仕入れていたので、9000円で往復することができた。

島内は一番効率良く回れるレンタカーを利用することにした。この当時は、今まで借りたレンタカーの中で少々険しい部類だったけれど、それを上回るレベルのものを3ヶ月後に乗ることになるとは、全く想像すらしてなかった。

まずは、伊豆大島名物「バウムクーヘン(バームクーヘン)」(地層大切断面)を見学。

島の南東側に位置する波浮港にも立ち寄る。このあたりも伊豆大島随一の景勝地だ。

日本で唯一の砂漠指定されている裏砂漠ももちろん見学。強風の影響でちょこっとしか歩けず・・・。ここで、伊豆大島の洗礼を受けてしまった。

今回は時間がなかったので、登頂は叶わなかったが、三原山も外から眺めることができた。次はきちんと登ってみたいところ。

詳しいことはこちらに書いているので、合わせてみていただければと思う。

第九位:惜別! 419系電車との永遠の別れ

2021年11月上旬、わいのハンドルネームの由来である419系電車のクハ418-1が危ない(解体直前の危機)とのことで、いても経ってもいられず緊急で富山県高岡市まで出向く。

出向きましたはいいんですが、肝心のカメラが壊れ(結果論を言えば、USBの故障で、バッテリー自体に異常はなかった)、当初予定していた撮影ができず、やむなくiPhoneで軽めに撮影して撤収。

帰りは、ちょうど飛蝗君が富山マラソンに参戦してたので、沿道に繰り出して見に行ったり(大集団の中にいたらしくはっきりと確認できず)、その後糸魚川駅と大町市に寄って帰る。

写真を載せたいところですが、iPhoneでしか撮影できなかったので、残念ではありますがボツ扱いにて。

まあ、ついにわいの一時代を支えてくれた心の拠り所がなくなっちゃったって感じかな。

第八位:東京都最高峰 雲取山制覇!

8月に飛蝗君他1名と雲取山登山をすることにした。当初は山の日に登る予定だったが、悪天候が予想された(実際当日悪天候だった)ため、2週間順延することにした。

流石に久々の往復20kmのロング山行をぶっつけ本番でやるのはしんどいと思ったので、当初予定の1週間前に足慣らしとして奥武蔵のロング山行を実施。予想以上にめちゃくちゃハードな訓練であった。

そして、当日の夜中に地元に集合し、そこから1時間半ほどかけて山梨県側の登山口へ。ちょっと前に奥多摩湖のあたりで国道411号の土砂崩れが発生し、一時は予定行程を変更かと思われたが、仮復旧したことで、無事に当初の予定通りの行程で行くことにした。

登山口で少し仮眠を取ろうとしたが、全く眠れないまま登山に臨むことになった。

雲取山は、近年大人気である「鬼滅の刃」主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)とその妹・禰豆子(ねずこ)の出身地とされており、登山口には炭治郎のイメージカラーである緑と黒の市松模様の旗が設置されていた。あと、撮るのを失念したがもう一種類旗があり、そちらは禰豆子のイメージカラーであるピンク系の旗となっている。

夜が明ける前に出発した。というのも、わいと飛蝗君は問題ないけど、他1名が体力的な面で2名と差があることを見越して早く出ることにしたのである。

とりあえず、夜明けまではわい先頭でひたすら登って行った。

往路の途中で夜明けを迎える。

途中には滝も見られた。(これより大きな滝もあったけど)

ここらへんが、だいたい標高1500m地点である。

途中のピークから撮った景色。尾根沿いではあったが、なかなかの急坂で登りごたえはあった。

いよいよ雲取山の山頂近くまでやってきた。避難小屋が見えれば、山頂は近い。

そして、9時過ぎに無事に登頂を果たした。4時間近くはかかったと思う。(もし、飛蝗君と2人だけだったらおそらく3時間少々もしくは3時間切りで行けたのではないかと思われる)

次は三峯神社側からもトライしてみたい。(高低差的には今回の山梨県側のほうがあるけど)

その後、3時間半くらいかけて下山し、奥多摩で一風呂浴びてから帰った。

まあ、このときに非常に残念な出来事があったんだけど、そこはここに書かないでおく。書くと長くなっちゃうし、言ったところで無駄なのは明白なので・・・。

第七位:京都鉄道博物館見学

8月下旬のこと、わいにとって初めての京都鉄道博物館見学となった。このときはとむ君といっしょに巡った。(飛蝗君も同行予定だったが、仕事が入ってしまい叶わず)

行った理由は後で説明することにしよう。とりあえず、一部車両の写真を掲載するとともに軽く解説したい。

かつて弁天町にあった交通科学博物館に展示されていた国鉄クハ86001号電車も京都博物館へ移設された。国鉄80系電車のグループで、初期の正面はこの写真のように3枚窓だが、のちに2枚窓に変更され、いわゆる湘南顔(東海道線東京口で活躍していたことから付けられた)スタイルとなり、鉄道界において一世を風靡した。

JR西日本でわずかに残っている103系電車も博物館入りしている。すでに和田岬線や奈良線からの撤退が決まっているため、残るは加古川線と播但線のみになるが、その両線も数年後には撤退となるだろう。(あとはJR九州の筑肥線唐津口にも少数残存。この顔ではないけども)

わいも、JR東日本とJR西日本でこの顔の103系に幾度も乗っている。

豪華寝台列車の名を馳せたトワイライトエクスプレスのスイート・ロイヤル合造車であるスロネフ25形も博物館入り。一度は乗って見たかった・・・。

寝台電車として本州・九州を中心に活躍した581・583系電車のクハ581形。実際に乗ったこともあるし、なんなら前述の419系に改造されたものにも世話になってるので、ある意味わいと切っても切れない電車といえるであろう。

斬新なスタイルで一般人にも大人気だった500系新幹線の先頭も博物館入りを果たした。今でも山陽新幹線のこだまで活躍を続けてはいるが、やはりのぞみ時代の姿が一番かっこよく思える。わいも何回かのぞみ時代に世話になった。

489系のボンネット型先頭車であるクハ489-1。489系も能登や代走のはくたかで乗ったことがあった。今では博物館とかでしか見られない貴重な存在である。

こちらも交通科学博物館に展示されていたキハ81形である。気動車では唯一のボンネット型先頭車であるが、489系とは違ってボンネットの形が特徴的なものとなっている。

今回訪れた契機がこれ。145系電車という事業用車(配給車)で、クモル145形とクル144形の2両で構成されている電車である。今年限りで引退が決定したということで、京都鉄道博物館に特別展示することとなった格好である。

外観はトラックみたいな形になっており、運転台付近は屋根付き、それ以外は屋根なしになっている。台車や冷房装置など重量物や大型の部品も運べるように設計されたが、小型の部品の運搬や職員輸送もできるようになっている。

反対側も撮影。大昔に一度、首都圏で見かけたことはあるものの、まじまじと見るのはこれが最初で最後。一度は行けない危機に見舞われたが、どうにかして行くことができてよかったと思う。

京都鉄道博物館の前身とも言える梅小路蒸気機関車庫も見学した。学生時代から行きたかったが、なかなか機会に恵まれず、今回ようやく訪れることができた次第である。

貴婦人とかシゴナナの愛称で知られるC57形蒸気機関車。SLやまぐち号の牽引で活躍してきたが、度重なる故障の影響により、現在は運用から外れ、未だ修繕のめどが立たないため、梅小路に留置されることとなった。

なお、磐越西線でもC57形蒸気機関車は走っており、SLばんえつ物語号の牽引で使用されている。また、日本各地に静態保存されている。

一般人でもご存知、デゴイチことD51形蒸気機関車。高崎地区とSLやまぐち号のSL牽引で活躍している。

また、日本各地に静態保存されている上に、数がとても多いので、蒸気機関車では一番なじみがあるのではないだろうか?

シロクニことC62形蒸気機関車。松本零士の漫画である「銀河鉄道999」の牽引機で登場するので、中高年以上の方ならおそらくご存知ではないかと思われる。

「銀河鉄道999」の999号のモデルである2号機もこの梅小路で保存されている。

戦前生まれの蒸気機関車であるC55形蒸気機関車。製造されたのが比較的少数であるため、静態保存されている数も少ない貴重な機関車である。

シゴハチことC58形蒸気機関車。釜石線のSL銀河と秩父鉄道のパレオエクスプレスの牽引機として活躍している。この車両も日本各地に静態保存されている。

初めて京都鉄道博物館を訪れたこと、またとむ君に解説しながら周ってて、熱が入り過ぎてしまった影響で、当初の滞在時間より大幅に超過することとなってしまった(スマソ)

そのあとは、河原町でデザートなど食いながら過ごし、その後梅田に移動して、飛蝗君とも合流し、ラーメンをしばいてから別れ、新大阪から新幹線で帰京した。

第六位:1年ぶりのマティスさんとの酒クズ会

2020年12月以来、1年ぶりにマティスさんと酒クズ会を実施。

イエッコロナの影響+お互いの予定が噛み合わない状況が続き、ギリギリで2021年の酒クズ会開催となった。

行き先を決める段階で、南房総案と越後湯沢案があったが、サイコロを振って決めた結果、今回は南房総へ。京葉線のダイヤ乱れのため、一旦蘇我まで逃げてから乗り継ぐことにした。そして、乗り継ぐ列車が鉄ヲタ的にはレアなやつがきてしまったwww

上総一ノ宮で乗り換え。2両編成の電車で南下する。今年春のダイヤ改正で、内房・外房線の普通列車かつ南側の区間は、一部を除き原則として2両編成のワンマン列車に置き換わった。

とりあえず、前座は安房小湊で刺身を食らいながら日本酒をいただく。最初行く予定だった店が予約で入れなかったため、やむなく第二候補の店に行き、そこで刺身定食から、刺身のみを提供してもらった。

安房小湊で軽く呑んだあとは、鯨の聖地和田浦へと移動。春先以来3度目の南房総市訪問であるw

まだ次行く店が開かないのもあり、とりあえず道の駅で鯨を物色することにした。

まだ時間が余るので、道の駅近くにあった鯨資料館で暇をつぶす。こちらは(デザインとかラベルとかが)鯨関係の酒が並ぶ。今気づいたけど、マティスさんの姿写ってたw けれども、マスクより上はうまく隠れてくれたのでこのままでもいいかと思い掲載させていただこうと思ふ。

こちらは鯨のおもちゃである。他にも色々な鯨関係の展示物があった。

けれども、50分くらい余ってしまったので、和田漁港で適当に黄昏ることにした。

そして、後半戦。2店のうちどっちにしようか迷ったが、マティスさんのあるネタ提供がきっかけで、勘で選んだ店へ行く。コースの前菜で、北海道産の牡蠣やくじらのたれやカジキマグロの心臓など、まず普通では食えないような代物が運ばれる。

そして、クジラ南蛮。美味しそうというか実際美味しかった。今年は鯨の刺身とくじらのたればっかり食ってたので、南蛮は初めていただいた次第。

そして、鯨の刺身。左からベーコン、赤身と皮、そして囀り(さえずり)である。

これで3000円だけども、2人で食うなら無問題。むしろ、これを求めに来たので食わなければ勿体ないのだ。

どれも本当に美味しく、酒が進む。赤身と皮は一緒に食べるといいらしい。(同様に馬肉の赤身とたてがみも一緒に食べるといいらしい)春先は皮ばっかり食って、結構苦しい思いをしたので、ここで鯨の本来の美味しい食い方を学習させていただいたから、また鯨の刺身食うときはそれを実践したい。

ちなみに、鯨のベーコンというと今まで周りがピンク色で、内側がクリーム色っぽい感じのもののイメージが強かった(第5位の項に写真あり)けれども、初めて見る形の鯨のベーコンで非常に美味であった。まだまだ鯨の魅力を知り尽くしていなかったことを思い知らされる。

そして、囀り。囀りは舌のことである。初めて食べたさえずりは適度に脂が乗っててとても美味かった。この鯨の刺身の盛り合わせだけで和田浦に行く価値があったと思ふ。

そして、大将おすすめの寿司。説明をうけたけど、どれがどれだかもう記憶が飛んでいるw

日本酒とともにいただいたがとても美味しかった。ちなみにコースの1つで普通の定食にするか寿司にするか選択できた。迷わず寿司にした次第であるw

至福のときをすごすものの、無情にも和田浦から去る時間がやってきた。名残惜しいが・・・

帰りは横須賀線・総武線快速電車の新型車両のグリーン車に乗って帰った。

今までの酒クズ会で一番すばらしかった(料理に関しては史上最高レベルだった)うえに、また和田浦のあの店には通いたいと思った次第である。

次回は越後湯沢の予定で、春先にできればなんて思っている。

第五位:春の千葉旅行2連発

3月と4月の2回に渡って、飛蝗君とともに千葉(房総)に旅行しに行った。3月で行けなかったものを4月に補完するという、今まで飛蝗君と行った旅の中ではかなり異例の旅でもあった。

3月 鋸山制覇の旅

3月の房総旅のメインとして、鋸山を登頂することにした。

(初日の行程)自宅〜川崎市某所(飛蝗君と合流)〜鋸山〜立山〜千倉(泊)

クソザコナメクジカーの右前輪の泥除けが高速走行に耐えられずパタパタ音を出しまくっていたため、通常よりも速度を落として高速を走って鋸山に向かう。

車力道の途中にあった謎の場所(調べたけどよくわからん。洞窟っぽいが・・・)。ここで十数分遊んでた。なお、近くに動物の骨が転がっていた模様。

鋸山山頂に行く前に展望台へ。登り始めてから1時間も経たないうちに展望台へ着いてしまった。(通常だと70分くらいかかる)

東京湾を一望できて美しい景色だった。

そして、本当の鋸山山頂へ。「房州低名山」だってwww

2人揃ってクソザコ山だのなんだの言ってたなw

観光客が言う鋸山は後述の日本寺を指すことが多く、本来の鋸山山頂に行く人など、ハイカーくらいではなかろうかと思う。

鋸山山頂から日本寺に至る途中にある石切場。昭和末期まで実際に稼働していたらしい。まさに断崖絶壁とはこれである。

そして、石切場には石切用の機械が錆びたまま放置されていた。ある意味稼働当時を物語る遺産であろう。

日本寺で有名な地獄のぞきにも行ってきた。人がいなさすぎて、2人で存分に楽しんだ。

そして、日没へ。まあまあ早いペースで下山。30分くらいで山を降りたかも。

鋸山制覇後は、館山でゲーセンに寄ったり、酒クズ物資を買って宿へと向かう。なお、宿には温泉がないため、近くの日帰り温泉(旅館だけど)まで出向いて、温泉に入り、また宿へと戻った。

夜の酒クズは刺身パーティーだった。ビールとか日本酒を飲みながらつまむ。


(2日目の行程)千倉〜館山〜木更津〜海ほたる〜横浜〜大船(解散)〜自宅

2日目はあいにくの雨というか大雨で、天気が荒れ模様ということもあり、観光できる状態ではないため、館山のゲーセンで暇を潰した後、飛蝗君が未履修(過去に行ったが売り切れで食いっぱぐれた)の館山名物くじら弁当を食した。わいもかなり久しぶりで3回目か4回目である。

久しぶりのくじら弁当。パッケージは相変わらずあのときのままである。1日30食限定の駅弁なので、食べられたら本当にラッキーである。

中身も相変わらずあのときのままで、鯨肉を大和煮にしたもの(卵を挟んで写真左側)そぼろにしたもの(卵を挟んで写真右側)がごはんの上にのっかっている。

久々にくじら弁当を食した後、悪天候のため房総半島脱出を図るが・・・。最初東京湾フェリーで脱出を試みるも、荒天かつ東京湾内の時化の影響で、フェリー自体が欠航になっていた。

そのため、東京湾アクアラインで脱出を図るが・・・。アクアラインの地上区間が強風のため、速度制限がかかっていた。ともあれ、どうにかアクアラインに乗ることができ、久々に海ほたるPAに寄ることにした。

アクアラインの海ほたるPA。通過は何回かしてるが、降り立ったのは実に23年ぶりとかいうw

滞在中とにかく風が強く、通行止めも時間の問題だとは思っていたが・・・。

案の定、木更津側が通行止になった。わいらは川崎側に抜けるのでノーダメージ。なお、川崎浮島JCTで若干渋滞にハマる。というのもアクアライン通行止に伴って、人力でアクアライン方面に向かう車を引き返させていたというわけだ。

川崎から横浜方面に向かうが、強風に加えて、前が見えないほどの大雨に見舞われ、久々にガチで運転しにくい状況に陥った。でも、そんなこんなで横浜に降り立つことができた。

横浜で、初めて本場の家系ラーメンを夕食に食べて、誰かさんの乗り過ごしの聖地大船駅まで送って、解散し帰宅した。

4月 バカデケェ寿司制覇リベンジ

4月の房総旅のメインとして、前回制覇が叶わなかったバカデケェ寿司を食べに行くことにした。

(初日の行程)自宅〜羽田空港(飛蝗君と合流)〜館山(バカデケェ寿司)〜行川アイランド周辺〜千倉〜岩井(泊)

バカデケェ寿司に関しては、飛蝗君が気になってて、前回、行こうとしたものの予約がないと入れないということがわかったので、今回はあらかじめ予約を入れて向かうことにした。

羽田空港から海ほたるまで渋滞が続き、まあゆっくりと進まざるを得なかった。海ほたるから館山まではスイスイ行けたけども・・・。

というわけで、バカデケェ寿司。一貫につきサイズが普通の寿司の2〜2.5倍くらいはあると思う。意外と全て平らげるのに手一杯であった。

そのあとは、行川アイランド周辺を散策。流石に廃墟とかした行川アイランド内部には入れなかった(閉園後も一企業が管理しているので)けれども、行川アイランド駅についた列車の乗降者数を数えたり、関東ではある意味有名な(?)スポットであるおせんころがしを散策するなどした。

その後は千倉で晩飯用の鯨を仕入れて、早々に宿へと入る。宿の大浴場で過ごしてからしばらくして、酒などを宿の近くのスーパーで仕入れてから晩酌した。

鯨の赤身と皮。皮は本来薄切りが望ましいが、薄切りできるほどの技術はなく、ざっくり切ってしまったw

第6位のときのように赤身と皮を一緒に食べるのが望ましかったが、まだその時はその食い方を知らずに、皮だけひたすら食べてると苦しい目にあった。

鯨のベーコン。一般的に鯨ベーコンといえば、このイメージ。第6位で食べたものとは見た目から何から違うと思う。

そして、馬刺もあらかじめ取り寄せたので、用意した。

全景。意外と量が多かったため、晩飯では食い切れず、一部は翌朝の飯として消化した。


(2日目の行程)岩井〜濃溝の滝・亀岩の洞窟〜鵜原理想郷・勝浦海中公園〜いすみポッポの丘〜九十九里浜〜旭(風呂)〜成田空港(解散)〜自宅

2日目は、前回悪天候で行くことが叶わなかった案件を中心に、外房を回って観光を存分に楽しんだ。

まずは、濃溝の滝・亀岩の洞窟に行き、それ以外はとりあえず目についたところを適当に巡ることとした。

鵜原理想郷から海を望む。真ん中に見える建物が勝浦海中公園である。建物の海面下に行くと海を泳ぐ魚が見えるわけだ。ということで、そこに向かおう。

海中公園の建物内から撮ったもの。行った日の海中の透明度はそこまで高くはなかったものの、たくさんの魚が泳ぐ姿が見られた。写真は、タイの仲間が海中につられた餌に群がる様である。

そして、わいがとある場所に行きたったので、勝浦から向かうことにした。

前々から行きたかった場所であるポッポの丘に訪れることができた。ちょっと前までは北府中の東芝構内に置かれていた101系電車も荷物電車とともに今では千葉県の夷隅界隈に鎮座している。まだ補修の真っ最中だったため、中には入れなかった。

久留里線を走っていたキハ38。かつては八高線も走っていたし、久留里線に行った後も何度か乗り撮りしてるのでとにかく懐かしかった。車内も乗務員室部分も入ることができて満足満足。

そして、気がついたら寝台列車の中にいたしw

昔懐かしのA寝台にも入ることができた。(入り口にはしごや脚立なんていう高等なものはないので、車両に付属しているステップで乗り降りしてたがw)

一部寝転がれる場所があったので、寝転がってた。飛蝗君もここだけは妙にテンションが上がってた。(現役時代にブルートレインに乗れなかった身としては魅力的だった模様)

なんだかんだで閉園時間もそこそこ近い時刻までいたので、撤退。また、ポッポの丘には訪れたいと思いつつ、その場を後にし、九十九里浜沿いを通って、旭のとある風呂で一風呂浴びてから、成田空港で解散し、家へと帰った。

3月でできなかったことが、ここでリベンジできたので結果的にすごくいい旅になった。

第四位:12月の三岐団臨

つい先日のことですが、ふーたろ君の主催する三岐鉄道の団臨に御誘いいただき参加させていただきました。

先日、ブログで書いたばっかりなのでここではざっくりダイジェストだけ載せます。

往路の三里駅にて撮影したもの。三岐線沿線は数日前に降った雪で、雪景色となっていた。(その後もっと降ったらしい・・・)

復路の丹生川駅で撮ったもの。後ろに藤原岳を添えて。

後半の撮影会での一コマ。復刻西武カラー同士の並び。

後半の撮影会での一コマ。三岐801系電車が一同にして集結する。

急行西武新宿表示での復刻西武カラー同士の並び。西武での現役時代を彷彿させた。

最後はピット線内の撮影会を経て、盛況のうちに終わった。

詳しくはこちらをご覧いただければ。

番外編:母方の祖母逝去

ベスト3の前に番外編を一つ。

9月のことですが、母方の祖母が逝去しました。享年93歳でした。生前、苦しまずに死にたいとは言ってましたが、奇しくもその通りになってしまい、実際逝去を聞いたときは言葉すら出ませんでした・・・。

料理が上手で、いつも明るく振舞ってくれる祖母でした。迷惑かけたこともあったけど、それでも遊びに行った時や、家にきたときには色々と世話になりました。

1年に1回は帰ろうって決めてましたが、今年は多忙で、10月になったら顔を出そうと決めてたんですけど、それも叶わずに終わってしまいました。ちなみに、逝去前日に寄れんことはなかったので、今思えば無理してでも会いにいっておけばよかったと非常に後悔しております。

これで、存命の祖父母は母方の祖父のみとなりました。旅行に行きたいと言ってたので、来年は久々に祖父と旅行するのもアリかなと思いました。なんだかんだで二人きりベースでは十数年の間しばらく行けてなかったので・・・。

おばあちゃん、今まで本当にありがとうございました。


ということで2021年の思い出ランキングベスト3といいたいとこですが・・・

思ったよりだいぶ長くなってしまったので、一旦ここで記事を止めます。多分普通に書いたら15000〜20000文字レベルになりそうなので・・・。

今まで年末で書いてきた記事で一番長くなってしまった気がする。てか、まだ終わってない。

というわけで、前半はここまで。ベスト3は後半に持ち越します。後半はベスト3と間際のコミケ予告記事を載せる予定です。

では、また後ほど。


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